古董

さて、昨今は、古着というものがファッションとして若者たちから絶大な支持を受けているようで…。

昔の方々が身に着けておりました衣服や貴金属が高値で売られているようでございます。

この商売、決して新しいものではございません。それこそ、大昔から存在しております。

ただ、現代の商売と著しく違う部分は、中古品はあくまでも格安だったというところでございます。貧乏人御用達というところでございます。





時は1980年代の初頭。古の都の最高学府に通う二人の若者がおりました。

仮に、一人をヤジオ、一人をキタヒコと名づけておきましょう。

全く違う地方出身の二人。性格も全く違います。

ヤジオは大雑把でお調子者。キタヒコは気弱で生真面目。なのに、偶然にも同じ学年、同じ学部、同じ第二外国語教室、同じ貧乏学生、ということもあって、二人は直に意気投合。

暇さえがあれば一緒に遊びに興じるほどの仲となりました。





この日も二人して市中を散策しておりました。

時代は日本が好景気に溢れかえる秒読み段階の時期。地方からやって来た貧乏学生たちにも少しではございますが、好景気の兆しのおこぼれが回ってまいります。

具体的に申し上げますと、バイトでボーナスが出たり、高時給のバイトが見つかったりと、とにかく末端までお金が回ります。

そうなると、それまで爪に火を灯すように生活しておりました貧乏学生にも【余裕】というものが生まれます。

若い青年男子、余裕ができれば、食い気に色気。

ヤジオとキタヒコの二人も例外ではございません。

用もないのに街に繰り出し食っちゃ飲み、食っちゃ飲み。それに飽きると次の興味は女性へ向かいます。






されとて、恋愛経験未熟な二人組。どうすれば女性が振り向いてくれるなど、皆目見当がつきません。二人して無い知恵を絞ります。絞って絞って、これでもかっ!というところまで絞りますが、妙案など無く、途方に暮れながらあてもなく市中をうろうろ。うろうろ。

そんな中、二人の目に止まったのは,お洒落な男たち。

時は後の「DCブーム。」と呼ばれる先駆けの時代。新進気鋭のデザイナーズブランドが競い合うように、ひしめき合うように、あちらこちらに出店しておりました。

物珍しいそれらの店舗には、余裕綽々の社会人や裕福な大学生たちが他人とは違う価値観…、とかなんとかのたまって、目の玉が飛び出るほどのファッションを買い漁っておりました。

そして彼らは買い漁った物を身に着け、これみよがしに通りを闊歩しておりました。

それを見た二人は、二人して「これや!」とばかりお互いを舐め回すように品定め…。





ヤジオは、伸ばし放題のボサボサヘアーに染みのついた霜降りのトレーナー。膝の抜けたジーパンに便所下駄。

キタヒコは、おかっぱヘアーで緑色に白い線の入ったジャージ上下。緊張しぃ〜の汗っかきのせいで、首にはどこかでもらった粗品の白タオルが必需品。極めつけは足元のビーサン。

二人、目が合った瞬間に「これじゃあねぇ…。」と、同じ言葉が口からこぼれます。






そうなると「善は急げ。」というばかりに、二人はいろいろな通りにある中古品店に入っては出て、出ては入り、を繰り返します。

古の都と言われる事はあって、そこらかしこに古物商はぎょうさんございます。

それこそ、骨董品と言われる高価な物を扱う店から、ゴミと見間違うほどの怪しい物をところ狭しと並べる店までありとあらゆる古物商がございます。

二人はその中から古着を扱う店を中心に見て回ります。

いくら余裕ができたからと言って、二人に使えるお金など知れております。

今まで自由に使えるお金が月に二千円から三千円ほどだったのが、一万円になった程度でございます。

もてるにはお洒落が必要だと分かっていても、デザイナーズブランドの物を買えるだけの財力を二人は持ち合わせておりません。

そこで味方になるのが古物商でございます。

世の中、まだまだ使える物が要らなくなったということで、回り回って古物商の手に渡ります。豊かになったことで要らなくなった物が前よりも増えたようでございます。

そのような品を格安で提供することによって古物商の商いは成り立っております。

この【格安】という部分が、ヤジオとキタヒコの二人にとって味方する部分でございます。

とにかく限りある資金でお洒落になる。

魅惑の変身を遂げなくてはならないのです。

しかし、元来、ファッションセンスなど持ち合わせていない二人。

いろいろとお店には入ってみるも、何を買えばいいのかさっぱり分からない始末。

ただただ、時間を費やし冷やかし行為を繰り返しておりました。

二人一緒に閃いた時のモチベーションもだだ下がり。やめたいのに言い出せない。引くに引けない空気が二人を包み込みます。重い気持ちと重い足を引きずるようにとりあえず次へと向かう二人でございました。

いい加減疲れ出した二人、しかし、次の一軒で二人は目を輝かせることになります。






その店は寺町周辺に集ったたくさんの古物商の中の一つでございました。

細い路地をクネクネと曲り曲り、方向も分からなくなった袋小路にポッんと建った長屋が一軒。

半軒の引き戸の戸板に古着、古物、商い中の看板。

二人はビビりながらも戸板をゆっくりとスライドさせていきます。

開く戸の隙間から漏れ出すオレンジ色の柔らかな光…。

恐恐こわごわその中に二人して顔を差し込むと、中はしっかりとしたアンティークな家具が置かれた西洋風な室内。物知らぬ二人でも、その家具類の高そうなことは察しがつきます。その高そうな家具の中には、見るからに仕立ての良さそうな衣服類がズラリ。

恐る恐るその衣服に付けられた値札を手に取る二人…。

「や、安うぅぅぅ…。」同じセリフをユニゾンで吐く二人。






上品な室内に陳列されている上等な商品の見た目に反して、価格設定の安いこと、安いこと。

嬉しくなった二人はあれやこれや手にします。

しかし大変残念なことに、元来、二人にはファッションセンスは皆無。

安くて素敵な商品であっても、着こなす術も着こなす勇気も持ち合わせておりません。

キタヒコが気弱に「ここもダメかぁ…。」と諦めかけたその時、ヤジオがアンティークのショーケースを熱心に覗き込んでいる姿を目にいたしました。

キタヒコは不思議に思いヤジオに近づいてみます。そのアンティークのショーケースの中には使い古された指輪やオイルライターがきれいに並べられておりました。どれも誰かが手にした物品なのでしょうが、ケースの中に並ぶそれらは、その使われたことによって新品の物とは違う輝きを放っておりました。

興味を持ったキタヒコも隣に置かれているアンティークのショーケースを覗いてみます。

隣のショーケースには、数々の腕時計や懐中時計が並べられておりました。

金や銀のいい具合に使い込まれ、いい具合に保管されていたであろう時計たち。なぜかそれらには過ぎてきた時間までもが閉じ込められているような趣きがございました。






キタヒコも何故かショーケースの中の商品から目が離せなくなります。

しかし心配性のキタヒコの頭をよぎるのは「さぞかしお高い…。」という思いばかり。諦め気分で時計に付けられた小さなプライスタグに注視するキタヒコ。見えそうで見えないもどかしい思い。顔を右に左に。上に下に。見えた!瞬間。

「えっ?!安ッ。」ビビりのキタヒコの思いとは裏腹に目が飛び出るほどの安さ。

「なぁなぁ、ヤジオ。なんかめっちゃ安ないか…?」見間違いを疑い、思わず隣のショーケースの前で固まっているヤジオに確認を取ってみます。

「ああ…。確かに。」ヤジオをはキタヒコに振り返ることもなくさっきから同じアンティークのショーケースを穴が開くほど覗き込んでおります。

「すみません。すみません。」確認が取れたことに勇気と後押しをもらえたキタヒコは、やにわに誰か居るであろう店の奥に声をかけます。

「はい。はい。」と、店の奥から割烹着姿のおばあさんが現れます。

「あら?!お若い方々。お客さんかね。いらっしゃい。」商売っ気の無い挨拶を返すおばあさん。

「お呼び立てしてすみません。これって、この値段なのですか?」キタヒコは時計を指差しながらストレートに知りたことだけを質問します。

「ええ。そうどすえ。」

「じゃあ〜。これとこれを見せてもらえますか。」キタヒコは2個の腕時計を指差してお願いした。一つは金色の腕時計。もう一つは銀色の腕時計。

「へえ。へえ。」と、割烹着姿のおばあさんはショーケースからキタヒコの所望した腕時計を取り出し、ケースのガラスの上にそっと置くと…。

「1個三千円やけど、2個買うてくれはるんやったら、五千円にしとくえ。」と、買う気をそそる売り文句を並べます。

すると「ほんま?!買う。買う。」と、キタヒコは商品をよく見る事もなく、即決。

「おかみさん。こっちは?こっちは?」と、横からヤジオも参戦してまいります。

「へえ。へえ。ちょいとお待ち…。このカレッジリングとこのジッポかえ?」

「そや。そや。」

おばあさんはやはりショーケースからヤジオが所望したカレッジリングとジッポのライターを取り出すと、ショーケースのガラスの上にそっと置きます。

「ライターは問題あらへんけど、指輪は…。あんさんには大きおすえ。」

おばあさんはヤジオにやんわり助言をいたします。

そう言われ、ヤジオはカレッジリングを手に取ると、おもむろに自分の左手の親指につけてみます。

「ぴったりやん。かっこええ。おかみさん、ライターと指輪でいくら?」

「ほんまにそれでええの?ほなら…、ライターが千円で…、指輪が二千円やから…、全部で三千円やけど…、二千円でええわ。」

「おおきに。ほなこれ。」ヤジオは指輪をはずすこともせず。膝の抜けたジーパンのポケットから、ようお似合いのヨレヨレの千円札を2枚、取り出し、ショーケースの上に叩きつけるように置きました。

ヤジオにとって大枚のお金の抜けたポケットには、ショーケースの上に置かれたジッポのライターがねじ込まれます。

ヤジオの買い物が済むのを待ってキタヒコが「僕の方も会計お願いします。」と、割烹着姿の女店主に声をかけます。

「へえ。へえ。待たせたね。あんたさんもつけていきはるの?」

「いや。やめときます。」

「ほなら、袋に入れるわね。」と、二つの腕時計は薄紙に包まれ、どこかの百貨店の紙袋に突っ込まれて、キタヒコの手に渡されました。


店を出た二人はホクホク顔で帰路につきます。ヤジオはことある毎に、左手を眺め、キタヒコはチラチラと、どこかの百貨店の紙袋に視線を落とします。

当初の計画とは全く違う買い物になってしまいましたが、二人は今まで身に着けたこともない物を持つことで、一皮むけたような、大人になったような勘違いに浸っておりました。






翌日のキャンパス。

ヤジオ、キタヒコ、共にいつもの格好で登校。

しかし、同級生たちは目ざとく彼らの変化を見つけ出します。

「ヤジオ、なんや、その左手についとるんは?」

「デカいイボでもできたんか?」

「チッチッチッチッ。かっこええやろう。」右手の人差し指を立てて、左右に振りながらヤジオはのたまいます。

「見てみ。見てみ。アンチック言うやつや。分かるかァ~、君たちに。」大上段から偉そうな物言いでございます。

「ディープブルーのブリリアントにカットされた石。銀の台には校章と1942、KS U、の刻印。あちらの物でございますわよォ〜。」金持ちと言えば【ざぁ〜ます】言葉。いかにも、ステレオタイプなヤジオらしいセリフでございます。


違う席ではキタヒコが取り囲まれておりました。

「キタヒコ。それどないしたんや。パチったんか?」

「ジャージに金時計は合わんやろう。」

「時計は洒落てんな。」

「やろォ〜。昔のやねん。めっちゃかっこええねんよ。」

キタヒコは二つ買った腕時計の金色の方をつけておりました。

金のメッキは経年劣化のためか少し色褪せてはおりましたが、それでも存在感はピカイチでございました。

「見て見て。」と言ってキタヒコは腕時計をはずします。

「ほら。ベルトがバネになってんねやで。」これは腕時計のベルトがバネの入ったマジックハンドのような構造でございまして、伸縮自在、どんな手首にでもジャストフィット…、という大時代の代物でございます。

革ベルトやメタルベルトが主流であった1980年代には使われる事のなくなった技術でございました。


二方向の机がざわついている中、ひとグループの同級生たちが教室に入ってまいります。

このグループ、関西では【ボンボン】と呼ばれる、いわゆる、お金持ちの御子息たちのグループでございます。

教室内でのざわめきから発端の場所へ即座に近づくと、嫌味をポロリ。

「キタヒコ。珍しいモンつけとる思たら、盗品やないか。」

「なに言うんや。盗ってきたわけないやろ。」

「ヤジオは盗掘か。」

「アホか。なにぬかしとるんじゃ。」

「お前らつけとるモン、古物やろ。」

「それがなんや。」

「なんも知らんのか?ほんま無知やねぇ~。」

「なにいちゃもんつけとんねん。」

「あんなぁ〜。古物の貴金属の出処知っとるんけ?」

「えっ…。」

「安う出とる時計なんぞは死人の家からかっぱらってきとんやで。」

「…。」

「ほんで、外国のモンなんぞは、戦死者からのかっぱらいや。墓あばいたり、死体切り刻んだりしてな…。」

「…。」

「安いから言うて、そないなろくでもないもん、よう身につけるなぁ〜。」

「うっさいわ。なんやねん。ほんま、けったくそ悪いわ。」

「お前ら絶対、祟られるで。気いつけや。」

「うっさいわ。ボケ。」

「怨念のこもったもんなんぞ、死んでも身に着けんで。」

「うっさい。うっさい。」

「呪われるさかい近づかんとってや。」

「本気でうっさいわ。」


…と、ここで講義開始のベルがなります。

とりあえず、一触即発の危機は回避されました。

しかし、ヤジオ、キタヒコの二人にとっては、自慢の買い物を馬鹿にされ、頭が煮えくり返り、腹の虫が収まらない状態でございました。故に、講義の内容など何一つ頭に入りません。





数日が経ち、ボンボンたちから受けた屈辱も全くもって忘れ去り、平常運転のヤジオとキタヒコ。

暇ができると二人して遊ぶ算段に花が咲きます。

「この後、俺んちのアパートで麻雀せえへん?同じアパートに住んどる奴から誘われとるんよ。」と、ヤジオの提案。

「ええな。」と、やる気満々のキタヒコ。気が弱いくせに賭け事が滅法好き。身を滅ぼしやすいタイプでございます。

「ほな、俺んちのアパートに集合っうことで。」

「オーケー。」

キタヒコは通学に使っているロードパルに跨がると、イグニッションキーを差し、ギコギコギコとキックを3回。ブレーキレバーを握りますと、パタパタパタパタと、ロードパルが息を吹き返します。

「どれくらいで帰ッとる?」

「もう、スクールバス来るやろうから…、30分ぐらいちゃうか。」ヤジオの答えを聞いてキタヒコは左手の金時計に目を落とします。

「ほな、その頃に行くわ。」と、キタヒコは言うと、ステップに足を乗せ、ロードパルのアクセルを絞り、のろのろとその場をあとにいたします。






約束通りの時間に、ヤジオの住むアパートへロードパルで乗り付けますと、アパート前にしゃがみ込んでいるヤジオを発見。

ロードパルを止めて近づくとヤジオは熱心に単車を磨いております。

「なんや。このCB50どないしたん?」

「アニキのお下がりなんや。さっき置いて行ったんよ。」ヤジオの兄さんはこの古の都で会社勤めをしておりました。

「良かったやん。これでスクールバス通学ともおさらばやん。」

「もう、満員のスクールバスに揺られることもなくなるで。」

アパート前で二人してたわいもない話に花が咲いておりました。

「喉、乾いたさかい、ジュース買うけど、ヤジオ、なんかいる?」

「ほな、コーヒーで。」

その返事を聞き、キタヒコが自動販売機へと足を向けた途端…。

「ギャアぁぁあぁぁあぁぁあ…。」

驚いて振り向くキタヒコ。そこには叫びながらうずくまるヤジオ。

「ど、どないしたん?」踵を返すキタヒコ。うずくまるヤジオに近づくと足元が一面血の海…。

「なんや?!」

「ゆ、指、もげた。」

「あわわわわわぁ…。どないしょ。どないしょ。」

「な、な、なんか、タオルないか?」

「こ、これでええか?」

「それでええ…。」ヤジオはひったくるようにキタヒコがいつも首に掛けている粗品の白タオルを取り、急いで左手に巻き付けます。

「キタヒコ。あの川沿いにある総合病院まで乗っけて行ってくれ。」

「わ、分かった。」

原付きのロードパルに二人乗りで総合病院まで急ぎます。急ぐと言っても、50CCの排気量のエンジンでは、出せる速度にも限りがございます。

「な、なんで指、切れたんや?」運転しながら聞きたいことには直球で尋ねるキタヒコ。

「よう分からんねんけど…。チェーンと歯車に挟まれたみたいやわ。」

「えっ?!エンジンかかってたっけ?」

「かけてへん。」

キタヒコは背中に冷たいものを感じます。






病院では直に手術の段取りとなります。

心許無くぼーっと待っているキタヒコの元に看護婦さんが寄ってきます。

「お友達、災難やったね。」

「はい。」

「ところで、切れた親指は?」

「親指が切れたんですか?」

「そうよ。左手の親指。」キタヒコの頭の中に映像が浮かびます。嬉しそうに大きなカレッジリングを左手の親指にはめるヤジオの姿が…。

「それでな。…。お兄さん聞いてる?」

「あっ…。はい。はい。」

「その切れた親指、あったら持って来てほしのよ。」

「えっ?!なんでまた?」

「上手いこといったらくっつくかも知れんらしいの。」

「元に戻るの?」

「上手いこといったらやけど…。」

「分かりました。」

一刻でも早く親指を見つけられるようキタヒコは鈍亀のようにしか走れないロードパルを鞭打ちます。

気は焦るが、思いようにはロードパルは走ってくれません。

やきもきしながらもどうにかこうにか事故現場に到着いたします。血溜まり状態であったCB50に駆け寄るキタヒコ…。

「えっ?!」

そこには先ほどの惨状がございません。

「だ、誰かが掃除を…。」とも、考えましたが、そのような気配は一切ございません。

「一体全体、どないなってんの…。」その場に茫然と立ち尽くすキタヒコ。

「あかん。あかん。」呆けてる暇のないことを思い出すキタヒコ。

CB50の周辺を目を凝らして見回します。

…が、千切れた親指を見つける事ができません。

今度は地面に這いつくばってCB50の下をくまなく探します。

しかし、親指どころか、血痕の一つも見当たりません。

地面に這いつくばったまま、狐につままれたような面持ちのキタヒコ。

しょうがなくまた、ロードパルに火を入れ総合病院にとって返します。






「あのォ…、先ほど…。」

「ちょっとちょっと。こっち来て。こっち来て。」先ほどの看護婦さんがキタヒコに手招きして呼びたてます。

「な、なにか…?」

「あなたのお友達、変なんやけど…。」

「えっ?!どういう意味?」

「親指が失くなったっていうことで来たじゃない。」

「はい。」

「それで左手に巻いてたタオルを取ったのよ。」

「うん。」

「確かに、左手の親指は失くなってたわ。」

「うん。うん。」

「それでね…。なんて言えば伝わるかなぁ…。まるでソーセージを切った時みたいに…、切り口には骨も肉も無かったのよ。血も一滴も出て無かったのよ。」

「へぇ?そんなことって…。」

「元からそこには親指が無かったみたいなのよ…、ねぇ…。」

看護婦さんの話を聞いて、キタヒコは背中にぐっしょりと冷や汗をかいておりました。

得体の知れない何かにヤジオは取り憑かれたのではないか…。と、想像を巡らすキタヒコ。

魑魅魍魎に取り憑かれとすれば、その原因は…、あの古物の指輪としか考えられない…。と、考えるキタヒコ。

本当に死体から取って来たんじゃないのか…。疑心暗鬼を生ずるキタヒコ。

元々の持ち主の霊が怒っているんじゃないか…。恨まれて、妬まれて、祟られたんと違うんか…。と、妄想暴走中のキタヒコ。

だからこんな気味悪いことになったんやないか…。と、結論を出してしまうキタヒコ。

キタヒコの思考はもう止まりません。


看護婦さんから、ヨタヨタと遠ざかり、ユラユラと病院をあとにするキタヒコ。

ロードパルを取りにいくことも忘れ、夢遊病者のようにトボトボと表に歩き出すキタヒコ。

「やっぱ、ボンボンらの言う通り、僕らは祟られたんかも知れん…。」額から出た汗が頬を伝って滴り落ちます。

「ヤジオの次は僕や…。」汗を拭いたくとも、いつもの白タオルは首には掛かっていません。

「どないしたらええんや…。」汗だくの顔に両手を当て、力なくその手を落とす。

「とにかく、これとあれを処分せなあかん。」左手の金の腕時計を外し、ジャージのズボンのポケットへ放り込みます。

「一刻も早う処分せなあかん。」小走りに駆け出すキタヒコ。



考えて、考えて、考えて、考えて。キタヒコは下宿に戻り、置いてあった銀時計を持ち出します。

怖くなったキタヒコは金時計、銀時計ともに捨てることを考えます。

しかし、その辺りに捨てて、もし、見知らぬ人が拾い、その結果ヤジオのような事が起きたら…。と、生真面目なキタヒコは考えてしまいます。

全然関係ない人まで巻き込むわけにはいかない。でも、どうにかして処分したい。

二つの腕時計を持ちながら様々な気持ちを抱きながら市中を彷徨い歩いておりました。

あてもなく、途方にくれ、ただただ歩く…。

そんな折、ふと目に入る朽ちた質屋の木看板。看板の掛かっている店を見渡します。木の看板よりも朽ち果てておりました。

キタヒコ思案六方…。

「ここなら…、この不気味な佇まいやったら…、こいつらを引き取ってもらえるかかも…。」

どうにかこの気味悪い古物を処分したい。ヤジオの二の舞はごめんだと、己に言い聞かせ、崩れかけの質屋の扉を開けます。






「御免下さい…。御免下さい…。」

裸電球だけの薄暗い店内で、いつもの気弱なキタヒコの声で呼びかけますが、何の音沙汰も返ってまいりません。

「御免下さい。どなたか居られませんか?」ここにきてまでも、己の気弱さに業を煮やしたキタヒコは、これでもかと、言わんばかりに声を張り上げます。

「なんでっしゃろ?」奥から落ち着いた声が返ってまいりました。

ギシギシと床板を鳴らしながら小柄な着流し姿のご老人が薄暗闇から現れます。

「す、すみません。大声でお呼び立てして。」キタヒコは持ち前の気弱に元戻り。

「へえ。ほんでご用事は?」老主人は禿げ上がった頭に皺だらけの面長な顔。そこには銀縁の丸眼鏡と白髪の無精髭。

そんな老人が発するとは思えないほどの優しい声のトーン。

この声色に安心したキタヒコはジャージのズボンのポケットから二つの腕時計を取り出し、お店のカウンターに並べます。

「これを…、」危険な可能性のある不気味な物を引き取らせようとする罪悪感からか言葉が続きません。次の言葉を発しあぐねているキタヒコに…。

「これを処分したいと…。」老主人はキタヒコの考えを見透かしような更に優しい言葉をかけます。

「は、はい。はい。」

「なかなか厄介なモン、お持ちですな。これはどないしはったんで?」老主人の問にキタヒコはこれまであった事を全て洗いざらい言葉にします。

「そら、えらい災難でしたなぁ。」

「はい。」

「古物ちゅうモンは、真っ当に流れ出たもんとそうでないもんがございます。」

「はい。」

「そうでないもんには、大なり小なり、曰く因縁ちゅうもんがついとります。」

「はい。」

「小さい恨みめいたもんやと、買いはった人に悪戯程度の不幸を与えよります。大きい怨みやと、持ちはった人間の全てを奪います。命まで奪うもんもございます。いわゆる怨念ちゅうやつですな。」

「…。」

「お友達の指輪も、多分、持ち主の指を切って持ってきたもんでしょうな。そやから、お友達の指は元の持ち主の恨みから、あちらへ持って行かれた…。」

「あちらとは…?」

「さあ…。なんでっしゃろなぁ〜。恨みを残した死者の世界ちゃいまっかなぁ…。」

「…。」キタヒコの体に悪寒が走る。

「それで、これは使いはったんか?」

この質問にキタヒコの額から汗が吹き出す。背中には冷や汗が滝のように流れている。答えるのが怖い。返事を聞きたくない。しかし、生真面目なキタヒコは正直に答えてしまいます。

「金時計の方を身に付けてました…。」墓穴を掘った思いのキタヒコ。

老主人の丸眼鏡が裸電球の光を反射した。次の言葉が出てこない嫌な間がキタヒコを押し潰す。断頭台に頭を固定されたような諦め気分がキタヒコを包み込みます。

「お宅はん、運がええな。」

「はぁ…。」あっけに取られるキタヒコ。

「金時計は、真っ当な出のもんですわ。」

「は、はい…。」

「せやけど…、銀時計の方は、かなり厄介な代物でっせ…。こっち付けんで良かったねぇ。」

キタヒコの体中から力が抜けます。安心からか膝から崩れ落ちそうになります。そして、嬉しさからかしなくてもいい質問してしまいます。

「もし、そっち付けてたら…、僕の手も失くなってましたか…?」

その質問に一瞬、ニャリと口角を上げる老主人。そして、重く静かな声で…。

「否。お宅はんの手やのうて…、他の全部が、あっちに持っていかれてましたわ。」




お後がよろしいようで…。






お終い






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