奇怪的故事

明日出木琴堂

仲夏夜之夢

 奇妙な体験をした大昔のお話でも一席…。


 それは、私が、古き良き文化の残るさる地方都市の三流私立大学に入り、初めての前期試験の時のことでございます。

当時、私は三流私立大学の体育会に所属しておりました。

その当時の三流私立大学の体育会と言えば、誰が決めたか、滅法上下関係に厳しい世界。1回生にとって【自由】などという甘美な言葉は存在いたしません。

大学での1日の行動といえば、大半は体育会の雑務と練習で終わりでございます。たまに時間が出来れば講義を受講…。全く、主客転倒、主従逆転の状況でございます。

ですので、私としましてはレポート課題も難しくなく、出席確認も行わない一般教養の講義が中心の1回生の間に可能な限りの単位を取得しておきたかったのでございます。

一般教養の講義の試験は、ノート持ち込み可の楽な試験が大半なのでございます。

この前期試験の結果いかんで、1回生の期間で取得出来る単位も容易たやすく想定できてしまうのです。

体育会の同級生たちは「体育会は1回生、2回生の時が一番大変だから、3回生、4回生になってからまとめて単位を取ればいいんだよ。」と、気楽に構えておりました。

しかし、私にはそんな悠長な事を言ってられるだけの余裕はございません。

先の事など想像出来るだけの心の余白はございません。

なぜかと申しますと、私は親の反対を押し切って、県外のどうしようもない三流私立大学へ下宿までして通っており、生活費を稼ぐためにアルバイトを欠かせなかったからなのです。

高卒と大学卒の履歴を天秤にかけ、自分なりに出した結果でございます。「とにかく4年で卒業して、さっさと就職!!」が、私の大学というところへの望むものだったのです。

時は日本のバブル経済が花開こうとする頃、他の地方から来ている同級生のように、潤沢な仕送りで悠々自適とはいかないバブルに乗れなかった我が実家の台所事情…。

4年間でしっかり卒業するためにも、とにかく、今、目の前にある事を出来る限りかたづけておくことが何よりも優先だったのでございます。


 私の通う三流私立大学は、前期試験が大学の夏期休暇前にございました。

前期試験の期間は6月半ばから4~5週間ございました。

ですので、地方から来て下宿している学生たちは郷愁からか、ホームシックからか、「出来るだけ早く試験期間を済ませて1日でも早く帰省する。」という事に余念がございません。

そのために、授業選択の段階で試験が早く始まる授業をリサーチし、積極的に時間割に組込む地方出身者が多くおりました。しかしながら、大学側の策略なのか、遅い期間に開始される試験には単位の取りやすいものが多く、単位取得と夏季休暇をはかりに掛ける下宿学生も少なくはございませんでした。


私も地方から下宿してこの大学に通っている身ではございますが、体育会に入っておりましたので、大学の夏期休暇も帰省することはなく、体育会の雑務と練習、下宿の生活費を得るためのアルバイトに明け暮れるだけでございました。ですので、前期試験期間が短かくなろうが長くなろうが関係はございません。どれだけ試験期間が長びこうが問題はございません。

それよりも1単位でも多く単位を取得することの方が私にとっては重要でございました。



 私が奇妙な体験をするのは、7月の暑い日でございました。体育会の練習を終え、アルバイトを終え、夕方6時頃には下宿先である学生アパートに帰っておりました。

当時、私の住まう学生アパートは2階建てになっておりました。1階はワンフロア全てコインランドリー、2階に4畳半一間のこじんまりとした下宿部屋が4部屋。あとは、共同便所と小さな洗面所というアパートでございました。

その2階の階段上がって直ぐの1号室が私の部屋でございます。

アパートの前は幅4メートル程の生活道路になっており、道を挟んでアパートの正面には学生相手の定食屋があり、定食屋の並びには銭湯もあり、親元を離れ初めての下宿生活を営む上で、なんの不自由もございませんでした。


 学生アパートに戻った私は、いの一番に1階のコインランドリーにて練習着の洗濯をいたします。その洗濯の間に、道を挟んでアパートの正面にある学生相手の定食屋で夕餉を取ります。

この定食屋、メニューは少なく味もそこそこではございますが、安い金額の割には量は半端ございません。満腹感だけは満足いくものがございます。

嫌でも体を酷使する体育会の学生にとっては神様のようなお店でございます。

そのせいか、わが校の体育会の間では引く手数多あまた

少しでも遅く行くと売り切れ御免で閉店。何度も悔しい思いをすることがございました。

ここで満足いく夕餉を済ませますと、道を挟んだアパートの1階にあるコインランドリーに戻り、洗濯物を乾燥機にかけます。「乾燥機なんて贅沢じゃない?」と、お思いの読者の皆様もおられることと思います。残念ながら私の住まう学年アパートには物干しなど存在致しません。余計な出費にはなるのですが、泣く泣く乾燥機を使わざるえないのでございます。

そしてその間に、道を挟んで定食屋の並びにございます銭湯にて体を清めさせて頂きます。当時の三流私立大学の体育会の部室にはシャワーなんて洒落たものなどは完備されておりません。

炎天下の練習で、大量の汗と土埃でコーティングされた体を1秒でも早く洗い流したいものでございます。その欲求に応えてくれて至高のひと時を与えてくれるのが銭湯でございました。


 湯上りの綺麗な体でコインランドリーの乾燥機の中の洗濯物を回収し、2階への鉄階段を足取り軽やかに上り、一番手前の部屋へ戻る。

部屋ではラジオをつけ、洗濯乾燥した練習着をスポーツバッグに詰め、煎餅布団に横になる。

これが私の帰宅後の普段のルーティンでございました。

ただ、この日はこのあとやるべき事がございます。

それは、明日の試験のための準備でございます。準備と言っても、大学外で売っている「あんちよこ【講義ノート】」を自分のノートに移し替えるだけでございます。

一般教養の講義の試験はだいたいがノートの持ち込みが許されております。

「どれだけ熱心に講義を聞いていたか。」「どれだけ熱心にノートをとっていたか。」に、試験の比重が置かれておるのでございます。


 教授や講師は試験対象期間中のどこかの講義で試験に出題される部分を暴露してくださいます。

しっかりと講義に出席できていれば試験の出題範囲を知ることが出来るのですが、はっきり言って、体育会の1回生は一般教養の講義に欠席することなく講義を受けることは至難の技でございます。

ですので、先達たちが、我々後輩に遺して下さった過去問が記載された講義ノートを、数百円程の対価を払い使わせて頂いておる次第でございます。


 とにかく、明日の試験のためにこの「あんちよこ《講義ノート》」の過去問題集の正解解答を自前のノートに書き写せば、明日の試験は乗り越えられる手はずでございます。

一夜漬けならぬ一夜写しに私は精を出しておりました。




7月の暑い夜でした。ドアの横にある換気窓、対面する位置にある室内窓を全開にして煎餅布団に横になってノートを書き写しているだけなのに汗が滲みます。


 時刻が深夜0時を迎えようとした時、急に聞いていたラジオが「ザーザー」という音に変わりました。

私の通う大学は盆地で有名な地方にございました。

土地柄、どうしてもテレビでもラジオでも、急に電波障害を起こす事が多々ございます。

この夜も、『しばらくすれば元に戻るだろう。』と、思っておりました。

ただ、今夜はそうではございませんでした。「あんちよこ《講義ノート》」の書き写しを進めても進めてもラジオの「ザーザー」という音は消えることは無かったのです。深夜でも意味なく陽気なディスクジョッキーの声が戻ってくることはなかったのです。

流石に耳障りになりました。私はラジオのスイッチをオフにいたしました。


 無音の中での単調な作業が私に隙きを与えます。睡魔の襲来でございます。

体育会の練習、アルバイト、満腹に風呂上がり、煎餅布団に横になりながらのノートの書き写し…、寝落ちするには最高のコンディション。私に抗える術はなく、あっさりと睡魔の術中に落ちてしまいます。


 元来、私は寝つきが悪く、眠りの浅い人間でしたが、この夜はあっと言う間に寝つき、珍しく深い眠りについていたと思われます。

その死んだように眠る私を現世に呼び戻したのは階段を上る足音でございました。


 私の住まうアパートの階段は鉄製の階段であり、人が通ると「カンカン」と金属特有の甲高い音を立てるのでした。

その「カンカン」という甲高い音を私の耳が捕らえ、眠りに落ちた脳細胞の何割かを無理矢理起こしたのでした。

『ん…。帰省せず、誰か残ってたのか…。』

その「カンカン」という甲高い足音は、鉄製の階段を上っては下りる、下りては上がる、上っては下りるを繰り返すのでした。

『いい加減、五月蝿いなぁ…。』と、思いながらも私の頭も体も起きようとはいたしません。ただ耳だけはしっかりと「カンカン」という甲高い音を聞いておりました。

最初「カンカン」という甲高い足音は1名分だけだったのですが、それが2名となり3名となります。

その人数が上っては下りる、下りては上がる、上っては下りる…。

『友達でも連れてきているのかァ…?』こんな風に寝ぼけ頭で怒りながら疑問を抱いておりました。

しかし、「カンカン」という甲高い足音の人数はどんどん増えてまいります。

3名から5名。5名が10名。10名が20名…、と。

すると、今まで「カンカン」という甲高い不規則な足音は、ランダムなものでは無くなり、規則正しく一糸乱れぬ行進のようなものになってまいります。沢山人々が列を成して鉄製の階段の上り下りを繰り返す…。

あろうはずも無い映像が私の寝ぼけた脳裏に過ぎります。

私の脳裏には、汚れた革のブーツにベージュの脚絆をつけた沢山の脚の映像が見えたのでした。

その瞬間に私はまた深い眠りについてしまいました。





 しかしながら、私はまた物音で深い眠りから起こされます。落ち着いてゆっくり眠らせてはもらえません。

今度はアパートの前の道路から聞こえる音を私の耳がとらえたのです。アパートの開け放たれた窓から。アパートの薄い壁越しから。音が聞こえてまいります。

初めその音は「キュルキュル。キュルキュル。」という小さな音でございました。

アパートの前のアスファルトの生活道路を何かが通行しているようです。かなり遠くから聞こえる音でした。


 アパートの前の生活道路は、この周辺に住まう方々が日常に使用する程度の道路でございます。人通りも車の往来も然程はございません。ましてこの時期は下宿学年たちが帰省し、従来よりこの界隈の人口は少なくなっておりました。

それに当時は、コンビニエンスストアなどまだまだ物珍しい代物、深夜となれば、アパートの前の生活道路を使う人も物も全く無くなります。

故に、深夜に騒音を立てながら通行するものがあれば嫌でも耳に入ってしまいます。


「キュルキュル。キュルキュル。」

遠くから聞こえていた音はだんだんと近づいてまいります。

「キュルキュル。キュルキュル。」

近づくにつれ、音はだんだんと大きくなってまいります。

「キュルキュル。キュルキュル。」

音がはっきりしてまいりますと、寝ぼけ頭でもそれが何か想像がつきはじめました。

『キャタピラの音だ。どこかで夜間工事でもあるのだろうか…。』などと寝ぼけ頭は考察を始めます。

「キュルキュル。キュルキュル。」「ザッ。ザッ。ザッ。ザッ。」キャタピラの近づいて来る音に違う音が混じります。

「キュルキュル。キュルキュル。」「ザッ。ザッ。ザッ。ザッ。」混じる音にも聞き覚えがあるように感じます。如何せん、寝ぼけた思考ではそれが何か突き止めるまで努力するような強靭な意思など持ち合わせておりません。

兎にも角にも、眠い。一刻も早く通り過ぎてもらいたい。


「キュルキュル。キュルキュル。」「ザッ。ザッ。ザッ。ザッ。」

音はどんどんと私の眠るアパートに近づいてまいります。

どんどん近づいてまいります。

『もう少しでアパートだ…。』寝ぼけ頭でそう思った瞬間、アパートがゆっくりと揺れ始めたのでございます。ギシギシと軋みながら、上下に…。

私が住まうアパートは、決して新しくはございませんが、「古い」という程でもございません。

コンクリートの基礎にコンクリートの床。鉄骨の躯体。瓦屋根と、薄くはありますがしっかりとした壁を備えた耐久性重視の建物でございました。

ですので、前の生活道路をダンプが通ったとしても揺れるようなことはございません。それが急に揺れ始めたのでございます。

ノートを書いている途中で寝てしまったため、私はこの時、煎餅布団にうつ伏せで寝ておりました。


「キュルキュル。キュルキュル。」「ザッ。ザッ。ザッ。ザッ。」音はどんどん私の眠るアパートに近づいてまいります。音が近づくにつれ、部屋の揺れも激しくなってまいります。どんどん激しさを増してまいります。

それまでは私も、部屋の揺れと同調して揺られておりましたが、徐々に部屋に弾かれるように体が跳ね出します。

ただ何故か、そのように感じておりましても私の頭は寝たままでございました。

そして音の主がアパートの真横に差し掛かると…、

部屋は信じられない程の音を立て、信じられない程に上下に揺れます。まるでカクテルのシェイカーを振るかの如く…。

私はその中でもみくちゃにされておりました。


 湯呑みの中に入れたサイコロのように…。ピンボールゲームの玉のように…。上ヘ下ヘ、右へ左ヘ、前に後ろに…。

それが、夢か現か幻か…。体感しているような…、仮想体験のような…。

アニメのようにあっちに当たってはこっちに当たり…。


 ただ、音を発しているものが通り過ぎた瞬間、アパートの揺れもピタリと止まったのでございます。私も弾かれる事が無くなったのです。

その後は、嘘のような静けさ…。私はまた深く眠り落ちたのでございます。





 瞼を通して目に入る赤桃色の光が私の意識を覚ましました。いつの間にか仰向けで寝ているようでございます。ノートの書き写しの途中、蛍光灯もつけたまま寝てしまっていたようでございます。

再度ノートの書き写しをしなければと、体を動かそうといたしますが、ぴくりとも動きません。

『金縛りか…。』などと考えておりました。金縛り自体は今までにも何度か経験がございました。特に、部活動で疲れ切った夜にはかかる事が多ございました。

『疲れてるんだなぁ…。しばらくすれば解けるだろう。』と、悠長に構えておりました。いつもらな1分程度で体が動くようになっておりましたが、この夜は一向に解ける気配がございません。





どれだけ経ったでしょう。指一本動かすことも、目や口を開けることも、できません。

唯一できたのは息をすることと、瞑った瞼の中で眼球を動かすこと、それだけでした。

瞼の中で眼球をせわしなく動かします。兎にも角にもそれ以外どこも動きません。脳もこの状況を把握できません。どんどん気持ちが焦ります。それが眼球をよりせわしなく動かす要因となります。

『なんなんだ?なんなんだ?』

打破したい。この状態を打破したい。その一念だけでした。

とにかく、とにかく、動け、動け。パニックに陥っておりました。とにかく、状況を打破したい。

しかし、どうしてもどこも動きません。

力の入れすぎで首の筋肉が痛くなってきました。背中の筋肉が強張ります。ふくらはぎはつりそうです。

こんなに力んでも小指ひとつ動きません。こんなに暑い夜に力んで足搔いて藻掻いているのに、汗一滴すら滴り落ちません。


 余りの力の入れすぎで疲弊しました。今度は全身に力が入らなくなりました。

どんどん何も出来なくなる。恐怖だけがのしかかってくる。動くのは眼球だけ…。


 私は眼球が動くのならと、一縷の望みで瞼に力を入れてみました。

「えいやぁ。」と、力まかせに瞼を開こうと試みます。

一回。二回。開きません。

本当にどうすれば良いのか分からなくなりました。心が焦ります。

「もう一度。」と、半ば諦めかけで瞼に力を入れてみました。


すると、今度は瞼は簡単に開きました。


急に大きく開いた瞼で光量調整の出来なかった眼球は、蛍光灯丸い眩しい光だけを脳裏に焼けつけます。

何も見えない一瞬が過ぎると…。

仰向けに寝る私の頭の位置に、正座して座るぼんやりとした人影。その人物の顔は真っ黒で、着物を着ていた…。

瞬時に金縛りの体中に鳥肌が立つ…。体中に冷たい何かが走る…。脳みそは「逃げろ。逃げろ。」と、指示を出す。

ただ、体は一向に動かない。

『どうしよう…。どうしよう…。』



その人影は動き出す。正座したまま手を伸ばす。私の顔の前で。黒く大きな手のひらを広げ。その手は、私の顔に触れようと…。

…瞬間。

「うわあ!!」

私は大声を発しておりました。

勢いよく起き上がっておりました。

声と共に金縛りも解けておりました。

私は恐る恐る後ろを振り返ります。

そこには誰もいません。

歯は寒くもないのに「ガチガチ」と音を立て、全身の毛が逆だっており、暑くもないのに額には汗が滲んでおりました。

静けさが怖くなり、慌ててラジオをつけます。

「ただ今の時刻は、0時15分。では、リクエストを続け…。」

『えっ?』

…私はこの間、たった10分程しか寝ていなかったのです。


 


 

 翌日の夕方、アパートの共同電話に実家から連絡がございました。

「おじいちゃんが亡くなった。」と…。

祖父が最期に会いに来てくれたのかも知れません。

昔から様々な言い伝えが残る古の都で経験いたしました嘘のような本当のお話の一席でございました…。






お終い。

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