第36話 ちぐはぐな家

***

 

 そこは、山あいの静かな住宅地だった。小さな畑や空地に混じって、ぽつぽつと家が建っている。

 空には重い雲が立ちこめ、昼間だというのに薄暗い。

 道沿いに梅の林があった。黒い枝に映えるほころびかけた白い蕾が、雪のようだ。


「寒いね」


 底冷えのする寒さだった。体が震え、コートのポケットに手を入れる。朝より気温が下がっているような気がした。


「天気予報で、今日の午後、雪マークがついていたよ」


 駿介の言葉に驚いた。


「本当に? 今日、天気予報見てなかった。帰り、もし雪が降ったらどうしよう」


「ちゃんとスタッドレスタイヤに履き替えてます」


 恩着せがましさは一切無く、しかし、遠い目をして雪間くんが言った。


「重ね重ね、すみません……」


 休日の昼間だが、周囲に人通りはない。建材を積んだ軽トラックが寂しく道を通り過ぎて行った。

 

 教えてもらった住所には、クリーム色の壁の広々とした一戸建てが立っていた。

 屋根は煉瓦色で、南仏風の瓦がふいてある。家の前面には庭があり、道に面して白いフェンスと門があった。

 愛理先輩から話を通してもらい、不動産屋に家の鍵は開けてもらっている。


「綺麗な家じゃない」


「そうだね」


 駿介の言葉に頷く。

 築十年という話だったが、外壁は綺麗だった。塗装を塗りなおしたのかもしれない。

 曇天の下なので明るい印象とは言えないが、どこにでもある普通の家に見える。


 駿介がスマホを出し、家を撮影しだした。


 問題の家を挟んで、右隣は空地で、左隣はやや古さを感じる木造の一戸建てが建っている。

 雪間くんは道を挟んだ家の向かい側を見ていた。


「何見てるの?」


 フードのついたジャケットのポケットに手を入れ、顔をしかめている。


「ここは場所が悪いなと」


 雪間くんが指さした方向を見ると、道を挟んで向かい合う梅林の奥に墓地が見えた。お墓が近いのだ。

 底の深いまなざしに、さっきよりも寒さを感じた。


「あの家、やばそう?」


「いえ。それが嫌だ」

 

「どういうこと?」


「多分、僕等が来たから隠れてます。家の中に何がいるのか、分かったもんじゃない。とりあえず、あなたと駿介は入らない方がいい」


「あれ、駿介は?」


 さっきまで後ろにいたはずの駿介がいなかった。

 門の蝶番は外されており、扉の片方が頼りなく風に揺れていた。


「先に家の中に入っちゃったんじゃない?」


「あの馬鹿」


 苛立ちを露わにして小さな声で呟くと、忌々しげに顔を歪める。


「僕が様子を見てきます。あなたは絶対に来ないでください」


 雪間くんは厳しい顔つきで私に言うと、足早に家の中に入って行った。

 

 一人で残されてしまった。

 寒さに体が凍えるので、軽く足踏みしながら、家の様子を観察してみる。

 庭木は短く刈り込まれていたが、芝生は所々剥げていて、玄関に続く敷石にも雑草が目立った。

 家自体は綺麗だが、庭はうら寂れている。何だかちぐはぐで、落ち着かない。


 腰のあたりに、後ろから軽い衝撃があった。

 驚いて振り向くと、小さな女の子が私のすぐ後ろにいた。

 ぎょっとして、思わず身を引いた。


「お姉さん、あのうちの人?」


 就学前か一年生くらいだろう。肩くらいの長さの髪を下ろした女の子で、ふわふわした紫色のフリースの上着を着ている。


「違うけど、何で?」


「遊んでいて、あそこにボールが入っちゃったの。取りに行ってもいいですか」


 女の子は真面目な顔つきで、門の向こうの庭を指さす。声に張りがあり、はっきりとした喋り方をする子だ。


「近所の子?」


 女の子はこくりと頷いた。寒さのせいか頬が紅潮している。


「みのりのおうちはあっちの方だけど、ここで遊んでたら、ボールがあそこに入っちゃったんです」


「私が探してくるよ。何色のボール?」


「水色。これくらい」


 顔の前で、小さな両手で丸を作り、その穴から目をのぞかせる。目が合って思わず笑ってしまった。

 家に入るわけではない。少し庭に入ってボールを取るくらいなら大丈夫だろう。


「分かった。ちょっと待ってて」


 白い塗装があちこち剝がれかけた門扉を押すと、軋んだ金属音が響いた。

 庭はさほど広くない。端から歩きながら地面を見ていくと、灌木の下に少し汚れた水色のゴムボールが落ちていた。


「あったよ」


 拾って振り向くと、外にいると思っていたみのりちゃんが、家の玄関にいたので驚いた。

 しかも、玄関ドアを開けて中を覗きこんでいる。


「ちょっと、だめだよ!」


 叫んだが遅かった。紫色のフリースが、ドアの中に吸いこまれるように消えて、ドアが閉じた。

 ボールをコートのポケットに放り込み、あわてて玄関に走りドアを開ける。みのりちゃんが入ったのはたった今なのに、三和土たたきにも、玄関ホールにも誰もいなかった。

 作り付けの下駄箱の上に、梱包用のナイロン紐と鋏が置いてある。

 その横の大きな扉には姿見がついていた。不安気な自分と目が合う。


「みのりちゃん?」


 玄関には雪間くんのものらしき靴しかない。私も靴を脱いで中に入る。電気がついてないので薄暗い。

 廊下を通って正面のドアを開けると、広いリビングに雪間くんが立っていた。窓の雨戸は開いており、淡い光が入っている。

 彼は、私を見て顔色を変えた。


「何で入ってきてるんですか」


「近所の子が、勝手に中に入っちゃったの。小さい女の子。見なかった?」


「女の子なんて見てないです」


「おかしいなあ。駿介は?」


「それが、探しているんですけど、いなくて」 


 その時、すぐ傍で、何か重いものが倒れる音がした。


 私と雪間くんは顔を見合わせる。

 音がしたのは、リビングの横にある和室からだった。

 和室に続く襖は、少しだけ開いていた。雪間くんが襖の引手に手をかけ、躊躇なく開ける。

 和室は雨戸が立てられており、暗かった。

 暗がりの中、畳の上にうつぶせになって、大きな人が倒れている。


「ひっ」


 思わず雪間くんの腕にしがみつく。


「大丈夫、駿介です」


「えっ?!」


 確かによく見ると、畳の上で大きな手足を投げ出して寝そべっているのは駿介だった。


「駿介!」


 駆け寄って肩を揺すり、顔を覗き込む。ややあって瞼がぴくりと動き、目が開いた。


「大丈夫? 何があったの?」


 駿介はうめきながら、のろのろと体を起こした。目をこすって周囲を見回し、困惑した顔つきになった。


「ここ、どこ?」


「家の中だよ」


「家に入った後の記憶がない」


「大丈夫?」


「あんまり……すごい大きな声がする。無理矢理、喋ってきてる。頭痛い……」


 苦しそうに顔をしかめて、まとわりつく虫を振り払うかのように、頭を横に振った。

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