第2章 スリーピングフレンド
第13話 駿介
「じゃあ、どこ行こうか?」
内実はどうあれ、見た目が人に好印象を与える人間というのは、確かに存在する。首を傾げてにこやかに微笑むこの人も、その類の人だ。だからといって、何でもしていいわけではない。
「帰っていいですか」
「ほんと面白いなあ、花音ちゃん」
オーバーサイズの緑のシャツに、折り目のついたグレーのテーパードパンツ。シャツの胸ポケットにはサングラスをかけ、ベルトと靴の色は合わせている。
男性の服には疎い私でも分かるくらいにお洒落で、しかも似合っている。日曜日の駅前は混雑していたが、駿介の姿は人目を惹いていた。
「せっかくここまで来たんだから、遊んでいこうよ。勿体ない」
「あなたが呼び出したんでしょうが。しかも、雪間くんのふりして」
苛々して、思わず甲走った声になってしまった。
スマホに雪間くんからメッセージが来ていたのは、昨晩のことだった。
『相談したいことがあるので、会ってほしいです』
時間と場所は一方的に指定されていた。私達は友達になったが、彼は仕事で忙しく、一度食事をした後は連絡が途絶えていた。
話を聞くだに、連日残業、土日出勤も多くかなりひどい労働環境だった。また、あのパワハラ上司から何か言われたのかもしれない。思いつめそうな性格なので心配だった。
あれこれと憂慮していたのに、待ち合わせ場所にいたのは脳天気な顔をした駿介だった。
ちなみにこの人と会うのは、雪間くんと初めて会った時以来である。
「大体、どうやって雪間くんのスマホからメッセージを送れたわけ? 乗っ取り?」
「昨日の夜、
「ロックかかってなかったの?」
「かかってたけど、四桁の番号はロック解除するところを盗み見て知っていたから」
「嫉妬深い恋人じゃないんだからさ。騙されたってチクってやる」
スマホで雪間くんにメッセージを送ったが、既読にならない。電話をしたが出なかった。
「森、今日はまだ寝てるよ。昨日、酒飲ませたし。アプリの設定も、連絡の通知が来ないようにしておいた。しばらくは気づかないんじゃないのかな」
「用意周到」
「しょうがないじゃん、だって」
駿介は語尾に力を込めてこちらに顔を寄せる。
「こうでもしないと、花音ちゃんが会ってくれなかったから。俺は友達になりたかったのに」
顔が近い。駿介の身長はおそらく百八十センチを超えるが、私は背が低く百五十センチほどしかないので、大きな壁が前にあるようだった。
私は後退りして駿介をにらむ。
「嫌な予感しかしなかったもん。今、この状況からして、私の勘は合っていたんじゃないの?」
食事をした時に、雪間くんから、『駿介が草野さんの連絡先を知りたがっているが、どうしますか』と聞かれ、別に知り合いになりたくないのでいいです、と断っていた。
「決断が早すぎるよ。せめて一度くらい会ってから決めよう。森に、花音ちゃんに会いたいってせがんでも、くそ真面目に、本人が嫌がっているからって断るし。紹介の仕方が悪かったんじゃないの。俺のこと、あいつから何て聞いた?」
「駿介は女癖が悪い、二股かけてよく修羅場になっているって」
「ほらあ」
駿介はふてくされた子どものような顔をした。
「それは誤解。俺は女癖が悪いんじゃないから。強いて言えば、世界に魅力的な女性が多いのが問題なのね」
「ちょっと何言ってんのかよく分かんない」
どうしようもなさそうな人だ。
駿介は背が高く、堂々たる体躯で首も太いが、顔立ちは眉が太く、目も大きいので童顔の部類に入る。誠実そうな見た目に、騙される女性が多いのかもしれない。
駿介は人懐こい笑顔を向ける。
「俺の事は、駿介って呼んでいいよ。森のことは名前で呼ばないんだ?」
「それは……」
「私はゆっきーって呼びたかったんだけど、それは雪間くんに嫌だって言われて」
「目に浮かぶわ」
駿介は苦笑する。
「いいじゃない、ゆっきー。あいつ、照れているんじゃないの」
「駿介の名字も雪間?」
「違う。森。木が三つの森ね。
私は吹き出した。
「パンダみたい」
「ね? シンシン、シャンシャン、トントン。親戚の間で、お決まりの笑い話。森は、シンシンって呼ばれると嫌そうな顔するけど」
「雪間くんと駿介は従兄弟なんだよね?」
「そう。俺の母親が、森の父親の姉。うちの母も元々は雪間姓だったけど、結婚して森に変わったってわけ」
「何歳?」
「二十八。俺、年上でも全然ありだから」
軽薄な笑顔を浮かべ、長身を私の方に屈める。
「俺はただ、花音ちゃんのことを知りたいだけなんだ。それに、こんなに天気の良い日に、家に帰ってジャージに着替えて寝るなんて時間の無駄遣いだよ」
「誰もそんなこと言ってないけど」
「花音ちゃんはそういうことしそうだなって。折角、可愛い恰好しているのに。森に会うから?」
私は紺のキャップをかぶり、グレーのTシャツに黒いサロペットという服装だった。
「可愛いっていう恰好じゃないでしょ」
「可愛いよ。まあ、花音ちゃんならジャージでも可愛いけどね」
「言葉に重みがないって言われない?」
「俺の言葉は愛で溢れて重たいくらいだよ」
この人と雪間くんは、本当に血がつながっているのだろうか。もし雪間くんに、駿介の軽さが五パーセントでもあれば、随分悩みが減りそうである。
「映画見る? それとも、ロープウェーに乗ろうか? あれに乗ったら、観覧車があるところに着くよ」
駿介は駅前のビルを指さした。青空にあやとりの糸のようなロープが張り、その下をゴンドラが動いている。海上を走って、桜木町からみなとみらいまでをつないでいるはずだ。私はまだ乗ったことがない。興味はあったが、なぜこの人と乗らなければならないのか。
黙る私を睥睨していた駿介は、ふいに真面目な顔つきになった。
「……実は、森のことで相談したいこともあったんだ。あいつ、長時間労働しすぎじゃない? しかも、元からどんより暗くて、生まれてこのかた深海で暮らしてます、みたいな風情だから不調に気づかれづらい。このままじゃ確実に、体か心のどちらかを壊すと思う」
「それは、確かに」
私は深く頷いた。
「だから花音ちゃんと話したかったんだ。森は友達少ない。多そうじゃないでしょ? しかも、女の子の友達なんて! あいつの生涯初だよ。女の子と話しているところなんて、小学生の時でも見たことない」
「小学生でも?」
「孤独な子どもだったから。察してあげて。だから、花音ちゃんはとても貴重。あいつ、人の言う事あんまり聞かないでしょ? でも俺と花音ちゃんが協力したら、多少は聞く耳を持ってくれるかもしれない。そうしないと、本当に壊れちゃうかも」
「分かった。協力する。どうしたらいい?」
沈鬱な表情をしていた駿介は、私の返事に顔を輝かせると私の肩に手を置いた。
「じゃあ、映画とロープウェー、どっちにしようか?」
「……だったら映画」
また騙されたような気もしたが、もう遅かった。
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