第11話 鏡の後ろ
***
雪間さんは真剣な面持ちで、パンケーキとパフェを写真におさめていた。
パフェのアイスが溶けないか心配になってきた頃、シャッター音が止んだ。
「すみません、あんまり可愛いかったので」
「いいですよ、存分にどうぞ。もう食べてもいいですか?」
「はい」
アイスをすくって口に入れる。チョコミントの爽やかな香りが鼻をくすぐった。
「顔色、良くなりましたね」
雪間さんがぽつりとつぶやいた。私は、にんまりと笑う。
「何たって、眠れてますからね」
「太った気もします」
「おいっ」
今日は、私が誘って再び地下通路のカフェに来ていた。色々お世話になったお礼と、事の顛末を聞いてもらうためだった。
「雪間さんの言ったとおりでした」
「当たっていて良かったです」
雪間さんはちっとも嬉しそうではなさそうに言うと、静かに紅茶を口に運んだ。
*
「僕はそういうのが分かるんです。見える、と言ってもいい」
あの日、真昼のコンビニの前で、雪間さんは苦々しげに言った。
「そういうのって?」
「……幽霊とか、そういうのです。あなたは憑かれている」
「確かに疲れてはいるけど。眠れてないから」
そうじゃなくて、と雪間さんは半目で首を横に振った。
驚いたことに、彼は、社内で私の働く階と、大体の場所を知っていた。もちろん、そんなことまで私は喋っていない。
「外から見て、そのあたりが嫌な感じがしましたから。おそらくは、あなたの席が原因です。以前にその場所で働いていて長期療養に入っていた人も、同じ席に座っていたはずです」
「田中さんが関係しているってこと?」
「いえ、もっと古い。その人も巻き込まれただけです。その場所で過去に何かが起きているはず。向こうの強さからいって、前の人のように、体力を絞り取られて、入院するのが普通です。不眠症くらいで済んで、あなたが出勤し続けているのはあり得ない。信じられない図太さです」
呆れ果てた顔で見られ、少し傷ついた。
「じゃあ、雪間さんと会った日はよく眠れたのは……」
「僕は見える。そして、見られた方もそれに気がつく。それで、一時的に大人しくなっただけです。僕には何の力もありません」
しっかりとお祓いをすれば、それはそこにいることができなくなり、私の睡眠も改善するだろうと雪間さんは教えてくれた。
とはいっても、私の権限ではそんなことは不可能だ。それで、私は席替えを提案したのである。
*
「誰と席を交換したんですか?」
残念そうにパンケーキにフォークを入れながら、雪間さんが聞いた。
「決まってるじゃないですか。課長ですよ。コミュニケーションの活性化とか、新しいアイデアを生み出すためとか、とにかくそれっぽいことをまくし立てて、席替えにまぎれて課長にあの席に座ってもらいました」
「ひどい……」
「だけど実際、管理職じゃないとお祓いなんか呼べないし」
席替え後、私の不眠はやや軽くなった。一方で、課長の顔色はどんどん悪くなっていった。一週間後、私は課長に、席替えの本当の理由を打ち明けた。
蒼白になった課長から、元々、この部屋は会議室だったと教えてもらった。
「南向きなのに、なぜか夏でも涼しいって噂が立っていたんだよ」
人員増加と部署の再編に伴って場所が足りなくなり、数年前に法務部が入った。そしてこの春に、私の部署が引っ越ししたのだ。
課長が上層部をどう説得したのかは分からないが、意外なほどに早く、装束姿の神職はやってきた。近所の大きな神社の神主さんだと聞いた。
同僚は全員出席し、偉い理事職の人々まで来ていた。厳粛な雰囲気の中で儀式はとり行われた。
対応が素早かったのは、会社にも思い当たるところがあったからではないだろうか。ビルの建設時に、作業員が亡くなる事故があったと言っている人もいた。
部屋にはお札が貼られ、一角に塩も盛られた。部屋の雰囲気はますます混沌としているが、その日以降、私は前のようにぐっすりと眠れるようになったのだ。
近いうちに、私の部署は別の場所に移動することも決まった。あの部屋は倉庫にするらしい。課長の体調も戻り、今は生き生きと、句会の準備をしている。
「おかげさまで食欲も戻って、受けつけなくなっていた、好物のエスニック料理も、また食べられるようになりました。睡眠って素晴らしいですね。今は私、寝るのが楽しくてしょうがなくて。この前なんか、うっかり会社に遅刻しちゃいました」
「何やってんですか」
冷たい眼差しも、全く気にならない。私は浮かれきっていた。
「今日は私が奢りますから、じゃんじゃん、頼んでいいですよ」
「草野さんは、占い師への対抗心で婚活していたんですよね」
「そう! あの占い師がデタラメ言っていたことが、これで証明されたってわけですよ! 全然違いましたけどって、言いに行きたい。嫌がらせに、兎の耳のカチューシャつけて。あ、本当にはやりませんよ」
「あなたは、ちょっと弱っているくらいがちょうど良かった気もします」
雪間さんは、疲れた様子でため息をついた。
「雪間さんは、最初にここで会った時から、気づいていたんですか?」
「この人、後ろにすごいのつけてるなあと思ってました」
「言ってくださいよ」
「言ったとして、信じました?」
真顔で聞かれ、私は言葉に詰まった。婚活で会った初対面の人にそんなことを言われたら、荷物を抱えて立ち去っていたかもしれない。
そういえば、前にここで、雪間さんが私の後方を凝視していたことがあった。あの時は、後ろにある鏡に写った、隣に座っていたかわいい女性を見ているのだと思ったのだけど。
「隣の子を見ていたんじゃなかったってこと?」
「隣の子って何ですか」
とぼけているのではなく、本当に何を言っているのか分からない、という顔だった。私は吹き出した。そのまま笑い続ける私に、雪間さんは困惑した視線を向けていた。
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