第10話 意外な提案

 最初は聞き間違いかと思ったが、そうではなかった。


 雪間さんの説明は声が小さくて聞きとりづらかったが、内容は簡潔で分かりやすかった。


「信じてくれとは言いません。僕も、怪しい話をしていることは分かっています。ただ、お困りのようですし、伝えるだけはしようかと思ったんです」


 必要に迫られたので話すが、自分で自分の話にうんざりしている。雪間さんはそういう風に見えた。真摯な口ぶりから、この人が仕事で頼られる理由が分かる気がした。


「正直何と言ったらいいか」


 面食らう私を、雪間さんは深い水の底のような目で見た。


「気にしないでいいです。ただ僕が、伝えたかっただけですから」


「でも、わざわざ来てくれてありがとうございます」


「それも自己満足です」


 彼は軽く肩をすくめた。


 雪間さんと別れて、会社に向かって歩きながら、私は迷っていた。結局もらってしまったカビゴンを抱きしめる。


 まともな人間だったら、とても信じないような話だ。

 しかし、私は他の誰よりも、自分の不眠症がおかしいことを知っていた。

 雪間さんの言うことを信じると、おそらく私は変人扱いされ、会社には多少の迷惑をかけるだろう。

 しかし私が倒れても迷惑なのは同じことだ。騙し騙しやってはいたが、体重は減ったまま頭は重く、立ち眩みがして座り込むことも多かった。このままでは、いずれ体力が尽きて病院のお世話になるだろう。そうなれば会社も長期で休むことになる。


 ぐるぐると頭を回転させながら、ビルに入りエレベーターのボタンを押す。

 もっともらしい理由を探しながら、ぐしゃぐしゃになっている気持ちの底をさらってみれば、本音は違うことにも気づいていた。


 私はいい加減、眠りたいのに眠れない、そのままならなさに、腹を立てていた。

 これ以上、早朝、白む空を見て、絶望的な思いをしたくない。

 雪間さんが嘘をついている気もしなかった。その理由も分からない。ひどく手の混んだ嫌がらせなのかもしれないが、あの表情は嘘をついている人のものではなかった気がする。

 もういい、決めた。自分がどう思われようが構うものか。


 エレベーターがなめらかに停止し、ドアが開いた。固い決意とともに、廊下を足早に歩き、勤務場所である部屋に入る。


 カビゴンを抱えて入ってきた私に、同僚たちの視線が集まる。


「草野さん、大丈夫?」


 課長が目を丸くして聞いてくる。


「はい。遅れてすみません。後で年休つけておきます」


「お腹痛かったなら、いいって」


 鷹揚に微笑む課長に罪悪感を感じた。目をそらせ、自分の席に座り、カビゴンを机の下に押し込んだ。


「いえ、他の用事もあったので」


「草野さん、すごいの連れて帰ってきたね?」


 ななめ前の席の山下さんが、からかうように言った。綾菜ちゃんも、目が笑っている。


「人からもらいました。ところで課長、お願いがあるんですけど」


「な、何?」


 私の気迫のせいか、課長の顔色が変わった。顎を引き、厳かに提案する。


「席替え、しませんか?」

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