英雄人形

 昔々、ある異世界の住民が、ある男のたましいを召喚しました。


 男は日本の広告関係の下請け企業につとめて、SNSやアプリに広告動画が正しく表示されるように管理する仕事にたずさわっていました。

 ですが、仕事にやりがいを感じていませんでした。

 この手の広告動画はみなきらわれますし、誰もが遠慮や気遣きづかいなしに不快感をおもてに出します。

 その上、効果もはっきりしないので、商品の売り上げが伸びても、アプリの利用者数が増えても、男が広告を工夫したおかげという話にはなりづらく、誰かにめられることも、感謝されることもめったになかったのです。



 男は気づいたら異世界にいました。

 召喚される直前まで何をしていたのか思い出せず、本当に“気づいたら”異世界で横になっていました。


 そこは天井に木のはりめぐらせた広い部屋で、闇の中にろうそくの火だけがともっていました。

 体を思うように動かせないので、目と首だけで周りをうかがっていると、数名の異世界人が寄ってきて、男に話しかけました。

 しかし、男は突然の出来事に頭がいつかず、きもつぶすばかりでした。


 しばらくしてから、やみけ込んでよく見えない黒い服で全身を固めた女が、1枚の紙を見せてきました。

 書かれている文字はミミズがのたくったようでしたが、不思議なことに、男には何となく意味が分かりました。


見ること能うやヴァーバリヤ・ワープ


 つまり、「目が見えるか」と書かれています。

 男は同じ調子で、続きを読んでいきました。



 紙の説明によると、異世界人たちは彼女らの世界で1000年前に活躍した英雄のたましいを召喚し、新しい肉体に定着させました。

 この新しい肉体は、異世界人たちが作った人造人間に、何年もかけて魔術的な調整をくわえたものです。

 肉体の準備がととのって、いよいよ英雄のたましいを定着しようとしたところ、そのたましいは別の宇宙でまったく別の人生を生きていると判明しましたが、どうしても必要な事情があって、召喚を決行せざるを得ませんでした。

 と、そういうことのようです。

 異世界人が男に何をさせたがっているのかは書かれておらず、日を改めて追々おいおい説明するとだけ書かれていました。


 紙には、男が古語を読める理由も書かれていました。

 この異世界で英雄だった頃の記憶が、この世界に戻ってきたことでよみがえったのだろう、この世界でしばらく過ごせば、記憶がさらに鮮明になるはずだ、とのことです。

(これは夢だな)

 と男は思いましたが、そう思うと何だか先の展開が気になって、大人しく異世界人たちの介護を受けることにしました。



 男がリハビリ生活を送る部屋はどこも窓が閉め切られて、ろうそくの明かりしかありません。

 こんなに薄暗いのは、男の肉体が日光で損耗そんもうするのをふせぐためとのことでした。

 実際、男は全身をおおうような黒い服を着せられていました。


 食事は野菜が少なく、肉ばかりでした。

 味付けのおかげで美味しくはありましたが、風味も食感も男には馴染なじみのないものでした。



 世話役たちは男のことを「バンガロン様」と呼びました。

 男は最初、日本人としての名前を名乗って、世話役たちにもそう呼んでほしいと思っていましたが、「バンガロン様」と呼ばれ続けている内に、もうそれでいいやと思うようになりました。


 世話役たちが言うには、ここはチェルマーシという国の貴族の別邸だそうです。

 どうやら国王が誰かに殺されて大変なことになっているようですが、詳しい事情はなかなか聞かされませんでした。


 異世界の事情も気になりましたが、男の関心を引いたのは、世話役の女たちです。

 どの女も若く美しく、かぐわしいこうき、男のおしゃべりの相手をして、男のことをとにかくめてくれました。

 男がひとりで服を着替えたと言っては褒め、男が正しいマナーで食事をしたと言っては褒め、男が異世界の言葉を順調に思い出していると言っては褒めてくれるのです。

 男は彼女たちの褒め方をわざとらしいと感じながらも、悪い気はしませんでした。



「バンガロン様、どうかお聞きください」


 男が異世界に来てから1ヶ月あまりが過ぎたある日の朝食後、世話役を統括とうかつするスメルドという男が言いました。


「先王様は人徳にすぐれたご立派なおかたで、神々に祝福されていました。

 しかし、野蛮な異民族が先王様を殺して王位にいてからというもの、雨はらず、畑の作物さくもつれるばかりです。

 にもかかわらず、奴らは酒池肉林の日々で、チェルマーシの民に重税をし、意見する者には容赦ようしゃしません。

 我々もひもじい思いをしながら、いつここが見つかって殺されるか分からず、眠れぬ日々を送っております。

 バンガロン様、無力な我々をどうかお救いください」


 現在の君主が暴君なのと異常気象は関係ないのではないか、と男は思いましたが、この世界に魔術があるのは確かですから、そういうこともあるのかもしれない、と思い直しました。

 国がれているにしては、男に出されてきた食事が豪華だったことも気になりましたが、言及はしませんでした。


「力になりたきは山々なれど(力になりたいのは山々ですが)」

 男が話すチェルマーシ語はまだぎこちなく、古語じりな上にゆっくりとしか話せません。

、何をすべきや(私は何をすれば良いのでしょうか)」


「ありがとうございます、バンガロン様! ありがとうございます!」

 スメルドはすっかり感激しました。

「バンガロン様、どうか我々の総大将そうだいしょうとしてご出陣しゅつじんください」


「総大将?」


左様さようです」



 男はこれが夢である可能性も忘れて、うなってしまいました。

 総大将を引き受けるということは、自分の責任で戦争をするということであり、直接的にせよ間接的にせよ、少なからぬ人を殺すということです。気が進むはずがありません。

 しばらくしぶってから、ようやく言いました。



「けだし、あたうべからず(私に総大将なんてつとまらないと思います)」


「恐れながら、細々こまごまとした指示や手配はわたくしが引き受けます。重要なのは、バンガロン様がへい鼓舞こぶしてくださることです」


 スメルドはするどい目で男を見ていました。

 世話役の女たちもまた、こわいくらい真剣しんけんな顔で男の承諾しょうだくを待っていました。

 断れる雰囲気ではありません。


 ここは異世界であり、そういう倫理観で動いている世界。

 男に共感してくれる人は誰もいません。


「されば、是非ぜひもなし(そこまでおっしゃるなら、分かりました)」



 それから1週間ほどった日の夕方、スメルドは男を外に連れ出し、暗幕あんまくなかが見えない立派な箱馬車はこばしゃに、一緒に乗り込みました。


「演説はわたくしが代行いたします。ですが、戦闘開始の号令だけは、バンガロン様ご自身になさっていただかなくてはなりません」


「戦闘開始の号令?」


「わたくしが合図しますので、『全軍、進めバックーナ・アグラ!』とさけんでください。発音が正確なことよりも、声が大きいことが大切です。とにかく大きな声を出してください」



 間もなく馬車が止まりました。

 スメルドが先に外に出て、男に言います。

「少し明るいですが、日はしずんでおります。始めましょう」

 男が馬車から出ると、松明たいまつらされた木の階段がありました。どうやら簡易かんいてきな演説台のようです。


 さきを歩くスメルドにうながされ、男が階段をのぼると、歓声かんせい大波おおなみのようなおもさで男に押し寄せました。


 ずっと部屋に閉じ込められていた男は、初めて見る異世界の風景に目を見張みはりました。

 すぐ目の前に待機する兵士たちは、見渡みわたかぎり誰もが、真っ黒にった鉄とかわの防具で武装しています。

 男は兵士の総数を聞かされていませんし、数え方も分からないので、(すごく多いなぁ)と漠然ばくぜんと思うばかりでした。


堂々どうどうとして、右手をげてください」


 スメルドが言ったとおりに男が右手を挙げると、ガチャガチャと耳障みみざわりな音がひびきました。

 兵士たちが手に持ったやりたてたたき合わせて、拍手はくしゅの代わりとしているのです。


みなもの、よく集まった」


 スメルドがおごそかに演説を始めましたが、男には早口すぎて、まともに聞き取ることができませんでした。

 意味が分からないと、演説は長く思えます。

 男は、いつ自分の出番が来るのだろうかと内心そわそわして、何人もの兵士たちから注目され続けているこの舞台から逃げ出したいと思いましたが、何とかこらえました。


 演説をえたスメルドが合図をしたので、男は大きく息をって、声をり上げました。


全軍、進めバックーナ・アグラ!!」


 てまでるがしそうな大声が出たことに、男は自分でもおどろきました。


 実際、これは「バンガロン様」だけが使える魔法であり、スメルドたちが男をこの世界に召喚したねらいでもありました。

 人造人間にきざまれた術式に、男のたましいからの膨大ぼうだいな魔力がそそがれることで、何千、何万もの軍勢を一度に強化するこの魔法が発動するのです。



 兵士たちは雄叫おたけびを上げ、軍隊ラッパもたずに荒野こうやを走り出しました。


 そのには、黒々とした城壁がありました。

 城壁の上には煌々こうこうと明かりがともっており、火矢ひやらしきひかりの玉がはなたれます。


「お疲れ様でした」

 戦いが始まったばかりにもかかわらず、スメルドが言いました。

 男が不思議に思い、質問する言葉を探していると、それより早く、言葉をせいするようにスメルドが言いました。

「バンガロン様のおかげで、戦いはすでに勝ったも同然です」



 その直後、男がばたりと音を立てて倒れました。

 スメルドが腕輪を操作し、人造人間に埋め込まれたもう1つの術式を作動させ、肉体とたましいの接続を切ったのです。


「残酷なようですが、こんな強大な力、ほうっておいてはあぶないだけですからね。次はもう少しマシな転生先を見つけてください。それにしても――」


 たましいがらとなった人造人間が回収され、馬車に乗せられるのを見送りながら、スメルドが独り言を続けました。


たましいの魔力がこれだけ破格はかくで、情報が極限きょくげんまで遮断しゃだんされているのに、こんなうその言いなりになって戦争に協力する者ばかりとは、チキュウではきっと凄惨せいさんな戦争がえないにちがいない」




<英雄人形、完>


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