第2話 回想

 ――草木も眠る丑三つ時午前2時

 私は隣で寝息を立てている姉を起こさぬよう、こっそり部屋を抜け出していた。


 目的は只一つ。一人で温泉に入る為だ。

 無論、夕食の前にも温泉には浸かったが、姉の妨害にあってゆっくりできなかったのだ。理由は宝船ほうせんの湯には若返りの効能があるとされていることだ。姉の言い分では「私より若いミツキさんが私より長湯するなんて言語道断よ!」ということらしい。


 だが、私も美容にはかなり気を使っている。私だって思う存分若返りの湯を堪能したかったのだ。


 脱衣所で浴衣を脱いで大浴場へ向かう途中、私は横目でチラリと体重計を見た。


「…………」


 見てしまったからには無視はできない。左足からそっと乗ると自動でスイッチが入り、デジタルの数字で体重が表示される。旅行に行く前より2キロも太っていた。私は内心そのことに強いショックを受けていたが、姉に見られなかっただけ良かったと自分を慰めることにした。


 湯舟には先客がいた。旅館の女将である栗藤りっとうまいだった。


「これはお客様の前で大変お見苦しいところを……」

 舞はそう言ってそそくさと大浴場を出て行こうとする。


「…………」


 濡れそぼつ舞の裸体は見苦しいどころか、瑞々しく水を弾いており、女の私でさえ見蕩みとれてしまうほどグラマラスで美しかった。


「待って。私、女将さんと少しお話がしてみたくなりましたの」


 私にそう言われて、舞はピタリと動きを止める。お客に呼び止められては、女将としては戻らないわけにはいかない。


「女将さんは何時もこの時間に入浴を?」


「……申し訳ありません。この時間ですとお客様が来ることも殆どありませんので。それに当旅館自慢の湯ですから、私自ら設備等で至らない点がないか点検する意味も兼ねて、毎日確認させて戴いております」


「なるほど。女将さんがこれだけ綺麗だということは、若返りの効能はどうやら本当のようですわね」


 私がそう言うと恐縮しきった様子で「それでは」と頭を下げて、舞は去って行った。


 その後、三十分程湯に浸かって、満足した私は大浴場を出る。

 自分の部屋に戻るまでの道すがら、ずーんと重かった肩が嘘のように軽くなっていることに気がづいた。


 これも温泉の効能だとするなら、チェックアウトする前に姉と二人でもう一度入っておきたいところである。


 だが問題は、一人で真夜中に入浴したことを黙ったまま、どうやって姉にこの温泉の素晴らしさを伝えるかであった。

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