第2話 突然の逮捕

ルーデラス公国は、海に面した半島にある小国で、古代文明発祥の地として世界的に有名だ。一年中温暖で穏やかな気候に恵まれ、西の大陸と東の大陸を繋ぐ中継地として現代も繁栄を維持している。西と東の文化が交わることで独特の文化を形成し、その中でも首都のカリンシュアは国際色豊かな都市として広く知られ、当代随一の栄華を誇っている。


肥沃な農地はレモンやオレンジなどの柑橘類やオリーブの木が植えられ、海で取れた魚介類を使った料理も名物だ。明るい茶色の日干し煉瓦と鮮やかな模様のタイルで作られた家が所狭しと並び、迷路のように入り組んだ町並みは、太陽の贈り物と呼ばれている。


その一方で、夏場の日中は太陽の光が強く照り付けるので、人々は屋内に引っ込んでいることが多い。夜になり海から涼しい風が吹く頃になると、わらわらと人が出て来て町が賑わってくる。魔灯の発明もあり、夜でも賑やかな不夜城の都市としてカリンシュアは広く知られていた。


そんな豊かなカリンシュアにも貧富の差は存在する。魔道具店を経営するオリオン・パパスは路地の吹き溜まりのようなところで生まれた。物心ついたころには父も母もおらず、それを特段不思議に思うこともなく、親戚の家で育てられた。その家は商いをやっていたので、小さい頃からせわしなく店の手伝いをする毎日。同居する実子と差は付けられたが、それでも初等学校には通わせてもらい飢えない程度には食べさせてもらったので、特に恨みは持っていない。


しかし、彼が12歳になった頃店が傾いて、一家離散になってしまった。いや、彼だけ追い出されたという方が正しい。行くあてもなく街をさまよい、ここは冬でもそれほど寒くないから凍死は免れるだろうかと考えながら、物乞いをするか盗みに手を染めるか迷っていた時に、魔術師である師匠と運命の出会いを果たした。


師匠と言っても、一目見ただけでは何者か分からない、着ている服も粗末だし、本人も見てくれを一切に気にしない。それでも鋭い眼光を見た時、こいつはただ者ではないとオリオンは悟った。その頃師匠は、西と東の大陸を行ったり来たりする生活を送っていた。この時はカリンシュアに少しだけ立ち寄るつもりだったのだが、何の因果か、まだ子供だったオリオンを拾い、そのまま定住して彼を養うこととなった。


師匠が何者なのか、オリオンは未だによく分かっていない。ただ、とてつもない魔術師であることだけは理解できた。根拠はないが、今思うとどこかの国に招かれて向かう途中だったのではないだろうか。それなのに、ここに二年も滞在してみなしごのオリオンが独り立ちできるだけの技術を無償で教え込んだ。なぜそんなことをしたのか? オリオンがたまたま魔力持ちだったせいもあるが、何よりこの師匠が並外れて気まぐれな性格をしていたという方が適当な気がする。師匠のつかみどころのない性格に、オリオンは振り回されてばかりだった。


それでも技術は超一流だ。古代魔法、攻撃魔法、治癒魔法、魔道具の知識、全ての分野において穴がない。一体何年費やせばあれだけの体系立った魔術を習得できるのだろう。見た目は若いが、会話の端々からそれ以上に年を取っているらしいことが伺えた。詳しく聞こうとすると、決まっていつもはぐらかされる。いつか絶対に聞いてやると思っていたが、彼が14歳の時忽然といなくなった。


オリオンはまた一人になった。でも、今度は金になる技術を持っている。これには大いに助けられた。彼は、大通りから一本入ったうらびれた路地沿いの家を借り、そこで無免許の魔道具の店を開くことにした。彼には夢があった。いつか国に唯一あるトポルディア魔法学校で勉強したい。師匠は「魔術師になりたかったら魔法学校へ行くことだ」と事あるごとに言っていた。優秀な師匠から教えを受ければその必要はないと思っていたが、「魔術師になるための基礎勉強は学校からしか得られない。私が教えるものとは違う」と言って聞かなかった。


店を開いて1年ちょっと経過した。幸い何も宣伝していないのに口コミで彼の評判が伝わり、商売は順調である。商品の質がいいので、客は彼の言い値で買ってくれる。この分なら目標額まであと少しというところまで来ていた。魔法学校に行くための資金がたまれば願書を出すことができる。師匠に教えを受けたことで魔術に対する興味が深まり、もっと学びたいという欲が芽生えていた。


オリオンは、日付が変わる頃、いつもの時間に店じまいをしていた。この後は粗末な食事を胃袋に詰め込み寝るだけだ。学校のための資金を集めるのが最優先で、生活費は必要最低限まで切り詰めていた。粗末な万年床に体を滑らせ、明るくなるまで泥のように眠る。起きたら朝食を摂り、家の用事を済ませ、昼過ぎに店を開ける。そんな毎日だった。


だが、この日ばかりは早朝に起こされた。乱暴に扉を叩く音で目が覚める。何事かとふらつきながら扉のところまで行くと、尊大な口調で男の声が響いた。


「警察だ。ここで違法な商売をしていると市民からの通報があった。今すぐ扉を開けろ」


まずい! すぐに逃げろ! オリオンはすぐに店の奥に引っ込んで、床板を外して、床下収納から小さな金庫を取り出した。彼の全財産をここに隠していたのだ。そして脱兎のごとく裏口から外へとび出し、大通りへ走る。なるべく人込みの多いところに行って目を欺くのだ。金庫を小脇に抱え、無我夢中で走り続けた。


結果から先に言うと、オリオンは、程なくして取り押さえられた。まだ体ができあがっていない10代の少年と成人した屈強な男たちでは、元より勝ち目がないのは火を見るより明らか。オリオンは牢屋に入れられ、何日も厳しい取り調べを受けた。少年とは言え、身寄りのない貧乏人に情けをかける大人はいない。


これで全て終わりだ。簡単な裁判をしたのち、石切り場か炭鉱にでも送られるのだろう。取調室から牢屋に戻される途中、オリオンはもうろうとした頭で考えた。もう何日ここにいるだろう。店にあったものは、皆証拠品として押収され彼の手元には何も残されていない。どん底から這い上がるのは死ぬほど難しいが、落ちるのは余りにも簡単だ。もう生きる気力すら残っていない。


「よう、逮捕の時以来だな」


そんな時、彼を捕まえた警官が牢屋まで訪ねて来た。もう裁判を待つだけなのに、今更警官が何の用事があるのだろう。


「このままだと国境近くの山か離島で強制労働するしかないが、俺が助けてやってもいいぞ」


いきなり何を言い出すんだ、この男は。オリオンが驚いて顔を上げると、警官はある提案をしてきた。


「お前が持っていたあの金庫の中身をそっくりくれれば見逃してやる。どうせ強制労働で体を壊して死んだら、金なんて何の役にも立たない。どうだ、悪い話ではなかろう?」


オリオンに選択の余地はなかった。こうなった今では、罪を免れるためならどんなものにでもすがるしかない。警官の言う通り、ボロ雑巾のようにこき使われ命を落とす囚人は多い。そんなのまっ平ごめんだ。


オリオンは警官の提案を受け入れた。こうして、秘密裡に取り引きがなされ、彼は証拠不十分で自由の身となった。お金持ちの家なら、別にどうということはない金額で罪を免れることができるらしい。しかし、彼にとってはあれが全財産だった。爪に火を点すような生活をして必死に貯めた財産は、思わぬ形でなくなった。最悪の事態は避けられたが、魔道具づくりはもうできない、学校に通うこともできない。人生が終わったことには変わりなかった。


家に戻ってみたが、予想通りの惨状だった。泥棒が入ったよりも無惨に室内は荒らされ、金になりそうなものは何一つ残っていない。大家は、違法な商売をして騒ぎを起こしたオリオンに怒り、ここを出て行けと野良犬のように追い出した。


(誰が密告したか見当はついている……あの女だ、依頼を聞いてもらえなかった腹いせに通報したんだ!)


フードが取れた拍子に露わになった燃えるような赤髪と勝気そうにつり上がった灰色の目。そしてドゥーカス家の紋章。つい今しがた放免となったばかりなのに、自暴自棄になっていた彼は、ドゥーカス家の令嬢に一矢報いなければ気が済まなくなっていた。生まれてこの方、何でも思い通りにしてきたであろうあの高慢ちきな女が、のうのうと生きるなんて許さない。自分はどうなってもいいから仕返しをしないことには気が済まない。半分熱に浮かされながら、彼はドゥーカス家の屋敷がある方角へと進んで行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る