月に照らされ天翔ける君は

雑食ハラミ

第1話 モグリの魔道具屋

ルーデラス公国の首都カリンシュアは、夜になっても人々の往来が絶えず、不夜城の都と言われる。その片隅で、人気のない狭い路地を小走りに進む一つの人影があった。一個隔てれば大通りなので、賑やかな喧騒は耳に届くが、ここは野良犬以外誰もいない。大通りの明かりが漏れてきて、幸い通行するのに支障はない。でも、いつ変な輩に目を付けられ絡まれるか知れたものではない。一秒でも早く用事を済ませてここから立ち去らないと。


メモに書いてある住所にたどり着き、彼女は足を止めた。辺りを見回し、特徴が一致しているか確かめる。正面は扉が固く閉ざされ、看板もなく、ただの民家と区別がつかない。だから周囲の風景を見て確認する必要があるのだ。よし、ここで間違いなさそうだ。彼女は、ごくりと唾を飲み、大きく息を吸ってから扉を叩いた。


そのまましばらくじっと待つ。やがて、低くしわがれた声で応答があった。


「低く暗きユフテルの流れ」


やはりそうだ。彼女はこの場所で合っていることを確信した。ええと、確か教えてもらった合い言葉は——。


「すべて我らと共にあり、脈々と流れる命のふきだまり」


永遠とも思える沈黙ののち、ギイと音を立てて扉が開く。その瞬間彼女は素早く動き、身体を滑り込ませて中に入った。


それまで、暗い場所にいたから室内のまばゆさに目が慣れず、しばらく瞬きを繰り返す。大人が数人入れば寿司詰め状態になるくらいの狭い空間なのに、魔石を使った魔灯が何個も吊り下げられやけに明るい。その理由は、ここがどんな場所かを知れば簡単に分かる。


「何を持って来た?」


相手はフードを目深にかぶり、顔を見せないようにしていた。低くくぐもった声をしているが、敢えて作っているのか不自然に聞こえる。おそらく正体を知られたくないのだろう。かろうじて見えるのは癖のある黒髪と顎から首にかけての部分。見えるところから想像するに、案外若いのではなかろうかと推察された。


「報酬と材料費込みで、ザクロ石30個あるわ。これで依頼を聞いて欲しいの」


彼女もまたフード一体型の黒いローブを着て、正体を知られないようにしていた。彼女のような身分の者がこんなところに出入りしていると知られるのはまずい。徹頭徹尾、隠し通さなければならない。


相手の男はそれを受け取り、ゆっくりとカウンターに向かい腰を下ろすと、小さな巾着袋からザクロ石をじゃらじゃらとテーブルに広げ、魔灯の明かりに透かして、注意深く観察を始めた。ザクロ石は魔道具の原料として重宝される。ここでは依頼を聞く代わりに材料となるものを報酬として差し出す物々交換が決まりになっていた。


彼女はぐっと固唾を飲んで様子を見守る。ザクロ石の品質には自信があった。何せ、自分の家から持ち出したものなのだから。


「ねえ、いつまで待たせるの? 早く返事をちょうだい」


いつまでも相手が口を開かないので、彼女はしびれを切らして催促した。


「これは受け取れない。悪いが持ち帰ってくれ」


「なぜ? 偽物ではないはずよ!?」


彼女は愕然とした。ここで依頼を聞いてもらえなければ、全ての計画が狂ってしまう。必死になって食って掛かった。


「出所はきちんとしているし、本物であることは私が保証する! 依頼の内容も聞かないうちから断るなんてひどい! 理由を聞かせて!」


「そんなに言うなら、自分で確かめてみな」


男は、彼女に一粒のザクロ石を手渡し、光に透かして見るよう促した。そうしてみて初めて彼の言っていることが分かった。小指の先ほどの大きさしかないザクロ石の一つ一つに紋章が刻印されている。彼女の家の紋章だ。彼女は思わず声を荒げた。


「なんでこんなケチ臭いことを……! ザクロ石にまで名前を書いておくなんて!」


「ちっぽけな石とは言え、一個あれば庶民なら一ヶ月食べられるだけの価値があるからな。むしろ、どうやってこんな小さな石に刻印したか気になる。精巧な魔法を使ったんだろう」


彼女はかっとなってザクロ石を引き取ろうと手を伸ばした。その勢いが強かったために被っていたフードが取れ、ほっそりした手が露わになる。


フードの下から現れた顔を見て、男ははっと息を飲んだ。流れるようにつややかな髪は、ザクロ石より鮮やかで、素肌は白磁のようになめらかで白く、袖から伸びた手は指先までよく手入れされていて、手荒れのする仕事をしたことがない上流階級だと一目で分かる。灰色の目は驚愕で見開かれ、整った素顔が灯りの元に晒された。10代後半の客は初めてだ。


「あんた、もしかしてこの家の……」


しかし言い終わらないうちに、彼女は巾着袋をひったくった。その拍子でザクロ石がバラバラと床に落ちる。


慌てて二人ともかがんで落ちた石を拾った。漏れがないかどうか念入りに確かめた後、男は彼女に残りの石を手渡す。


「これで全部のはずだ。一つ残らず持ち帰ってくれ。こんなものうちにあったら、どんな目に遭うか分かったもんじゃない」


紋章が記されているということは、ここに置いておけば何らかの追跡がかかる魔法の仕掛けがあると見て間違いない。そんな物騒なもの怖くて受け取れなかった。


「これが駄目なら他の物を持って来るわ。あなたしか頼める人がいないの。親に内緒で頼めるのは——」


「見たところ、裕福な家のようだが、あんた自身自由にできる物はないんだろう? それで家の物を持ち出した。でも、ザクロ石一粒にも紋章を刻印するくらい隙がないなら、何をしても無駄だろう。おとなしく帰りな、お嬢様」


その紋章には見覚えがあった。確か、この首都の街、カリンシュアを代表する一族のドゥーカス家のものだ。ということは、今目の前にいる彼女は、ドゥーカス家の令嬢ということになるのか。お嬢様と言われた彼女は、顔をゆがめて彼を睨みつけた。


「分かったわよ。失礼するわ」


それだけ言うと、素早く踵を返して、扉を開けて出て行った。扉が開くと祭りのような外の喧騒が聞こえたがそれも一瞬、またぱたりと止んで静けさが戻る。やれやれ、しょうもないお客だ。この町一番のお嬢様がこんな店になぜやって来たかは不明だが、いずれにしても深入りすべきではない。さっさといなくなってくれて助かった。


彼はもう一度、ザクロ石が落ちてないか四つん這いになって慎重に探し回った。どうやら大丈夫そうだ。安心したその時、フードがはらりと肩に落ちた。そこから見えたのは、よく整えられていない黒い癖毛と、栄養が足りてなさそうな色つやの悪い顔。隈のできた目はぎょろっとして、いかにも路地裏に怪しげな店を開きそうな陰気な面構えと言ったところだ。驚くべきことに、先ほどの彼女と年が離れているようには見えない。大人の客相手に舐められないよう、必死で素顔を隠しているのだ。


ここは、首都でも珍しい魔道具製作を請け負う店。魔道具は、魔法を動力とする機械のことで、作業の効率化や家事の補助などに広く応用されている。この店を明るく照らす魔灯もその一つで、魔力が込められた魔石を材料とし、現代の電灯のような使われ方をしている。夜の街の賑わいも魔灯の開発によるものだ。しかし、貴重な技術ゆえ、恩恵を得ているのは主に王侯貴族で、庶民の間に普及しているとは言い難い。それに、中には取り扱い注意の物もあるため、誰もが簡単に手に入れられるものではなかった。


それを、生まれも育ちも決して恵まれないこの少年が、多額の報酬さえ用意すれば、素性も用途も聞かずに製作を引き受けてくれる。彼がどこでその技術を習得したのか誰も知らない。しかし、彼の作った魔道具は質が高いと評判で、宣伝をしていないにもかかわらず口コミで来る客が後を絶たず、身分の高い貴族までもが訪ねることがあった。本来魔道具を作るには国の免許が必要だが、彼の場合無免許なので、堂々と看板を出すこともできない。そういう訳で、裏通りの一角に普通の家に紛れてこそこそとやっている。


(こういう時はどうするといいんだっけ……極東の国では塩を撒くって師匠が言ってたな。まあいいや、面倒くさい。今日はもう上がろう)


彼は、うーんと伸びをした後、魔灯の明かりを消して扉に鍵をかけた。もうドゥーカス家のお嬢様に会わずに済む。面倒ごとには巻き込まれない。そのはずだった。


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