第7話 探り合い
二〇二四年二月五日 月曜日 午後
氏川のそばに立った三淵は、早速質問を飛ばした。
「あなた方が奥野さんの別宅を訪問した時、確かに被告人は奥野夢人だと名乗ったのですか?」
氏川は記憶を手繰り寄せるように中空を見つめる。
「自分から名乗ったわけではないですが、徳安が『奥野夢人さんですか?』と尋ねたところ、『そうです』と返事していました」
「あなたの目から見て、被告人と奥野さんは似ていますか?」
「いえ、全く」
「被告人と奥野さんを見間違えることはない?」
「絶対にないです」
「奥野さんの別宅から出てきたのは誰ですか?」
氏川は席についている草鹿を真っ直ぐと指さした。
「そこにいる人です」
「被告人が奥野さんの別宅から出てきたのを見た時に、あなたはどう思われましたか?」
「誰なんだろう、と思いました」
「あなたは被告人とその時に初めて会ったんですか?」
「そう思います」
「被告人が奥野さんの知り合いだと知っていましたか?」
「初耳です」
「奥野さんの別宅を訪問した日はそのまま帰ったんですか?」
「そうです」
「その後、警察に通報したんですか?」
「そうです」
「被告人が奥野さんになりすましていた期間、あなたはメールやメッセージアプリで何度もやりとりをしていますね。普段から頻繁に奥野さんとやりとりをしていたんですか?」
「していました」
「やりとりの内容はどのようなものでしたか?」
「会社の業務に関わることです」
「どういうポイントを見て奥野さんの様子がおかしいと感じたんですか?」
氏川は身振り手振りを交えて答える。
「レスポンスが遅いことと、返信の内容がぼやけているところです」
「ぼやけているとは?」
「いつもの奥野であれば、こちらのメールの内容に深く突っ込んでくるようなことを質問してきたりするんですが、そういうことがなく、内容も後日確認するというのが続いていたんです」
「それに気づいたのはいつ頃ですか?」
「八月二日頃だったと思います」
「それまでは気づかなかった?」
「はい。奥野は海外出張へ行っているということだったので、忙しいのかなと思って」
「七月一二日以降のやりとりを思い出すと、そこで交わした内容も様子がおかしいと感じましたか?」
「感じました」
「つまり、あなたの目から見ると、明らかにおかしい返答があったということですね?」
「そうです」
「あなたから見て、被告人は奥野さんになりすましているように見えましたか?」
「ちょっと杜撰だったと思います」
「なぜそう思うのですか?」
「私なら、奥野さんと相談して返信内容を考えると思うので」
三淵は微かに笑みを浮かべた。
「そこまで密に相談ができるなら奥野さん自身が返信をすればいいのでは?」
「異議あり」紗怜南が鋭く声を上げる。「検察官は証人に意見を求めています」
戸倉は三淵へ視線を送る。
「意義を認めます。検察官は証人が見聞きしたことについて質問して下さい」
「以上です」
三淵はさっさと席へ戻ってしまった。戸倉がすぐに紗怜南に目をやる。
「弁護人からの反対尋問をどうぞ」
返事をしてから、紗怜南は草鹿を一瞥した。彼は氏川と目を合わせないように床に顔を向けている。
「氏川さん、あなた方が奥野さんの別宅を訪問した時に、被告人になぜ奥野さんの別宅にいるのか尋ねましたか?」
「いえ……。そういう精神的な余裕がありませんでしたから」
「被告人に何かしらの事情があった可能性も考えられたわけですよね?」
三淵が立ち上がる。
「異議あり。誘導尋問です」
「意義を認めます」戸倉が応じる。「弁護人は質問方法を変えて下さい」
紗怜南は戸倉の方を見ることなく、氏川へ問いを発する。
「あなたは被告人と奥野さんがやりとりしているところを見たり聞いたりしたことはありますか?」
「ありません」
「被告人と奥野さんが高校時代クラスメイトだったという事実を知っていましたか?」
「知りませんでした」
「以上です」
紗怜南は戸倉に目をやって質問を締めくくった。
「検察官は再主尋問はありますか?」
「はい」三淵は立ち上がって氏川のそばへ歩み寄る。「あなたは奥野さんに不倫相手がいたことを知っていましたか?」
「知りませんでした」
「そういう噂を聞いたこともありませんか?」
「そうですね……、ありませんね」
「あなたは奥野さんのご家族と面識はありますか?」
「ええと、奥野の奥さんとという意味ですか?」
「そうです」
「面識はあります」
「どれくらいの関係性ですか?」
「奥野さんも一緒に何度か食事をしたことがありますし、連絡をし合うくらいには」
「一般的には親しい間柄という感じでしょうか?」
「だと思います」
「その上で、奥野さんに不倫相手がいたことを知らなかったということですね?」
紗怜南がすぐに反応する。
「異議あり──」
「以上です」
紗怜南の言葉を遮るようにして、三淵は席へ戻っていった。
二〇二三年九月五日 火曜日 午後
アクリル板で隔たれた紗怜南は覚悟を決めたような眼差しを草鹿に向けていた。
「今回の事件の公判請求が受理されました。裁判は避けられないということです」
「俺はやってない」
相も変わらずの草鹿の一点張りに紗怜南は肩を落とした。ひとまずは、草鹿のちょっとした興奮状態を鎮めようと思ったのか、彼女は優しく微笑んだ。
「検察側は草鹿さんの有罪を証明しなければなりませんが、私たちは必ずしも無実であることを証明する必要はありません。……まあ、できれば最高ですけど」
「じゃあ、証明してくれよ」
「そのためには」紗怜南は鉛のような溜息と共に吐き出す。「草鹿さんの力が要ります」
「俺はもう散々喋ったんだよ……」
テーブルに両肘をついて頭を掻き毟る様子は悲壮感にまみれていた。
「それでも草鹿さんが無実を勝ち取るためには詳しく話してもらう必要があるんです」
アクリル板に顔を近づけて紗怜南は声を上げる。
「何回も何回もおんなじ話させられて、頭割れそうなんだよ……」
「諦めないで下さい!」
監視役の男が紗怜南の飛ばした声にパッと顔を向ける。
「そんなCMみてえなこといわれてもよぉ……」
無常観を溢れさせて椅子に収まり続ける草鹿は疲弊し尽くした男の姿だ。紗怜南はテーブルを軽く叩いて草鹿を鼓舞する。
「頑張って下さい、草鹿さん。ここで諦めたら全て終わりですよ」
「バスケの監督かよ……」
「聞いて下さい」紗怜南は前傾姿勢になって熱のある言葉を発する。「相手の検察官は三淵瑛士という男なんです。調査のためにはグレーなこともやると噂がある敏腕の検察官です。腰を据えて戦わなければコテンパンにやられますよ」
「だからあんたが戦ってくれよ」
「勝ちたくないんですか!」
ものすごい剣幕で草鹿に迫る紗怜南に、草鹿は少し身を引いて苦笑いした。
「なにマジになってんだよ……」
「勝ちたくないんですか?」
訴えかけるような眼に草鹿はおずおずと応える。勝ちにこだわる紗怜南の熱に押された格好だ。
「いや、勝ちたいよ、そりゃあ」
◇
「では、続いて弁護人側から証拠の告知を行ってください」
戸倉が促すと、紗怜南は運ばれてきた証拠物を載せた台を引き寄せた。
「弁第一号証は、被告人が残した奥野さんからの指示を書き留めたメモのデータです。これは被告人が所持している自らのスマートフォンの中に保存されていました」
紗怜南はメモの内容を読み上げ始めた。そこには、ホームセンターで購入する商品のリストや業者に回収させる不良品についてとその手筈、リフォームするユニットバスの基本的な仕様などが記録されていた。
戸倉は紗怜南のメモの読み上げが終わると、草鹿に尋ねた。
「これはあなたが打ち込んだものですか?」
「そうですよ」
草鹿はややぶっきらぼうに堪える。
「いつ頃打ち込んだのですか?」
「奥野を見送る前に色々といわれてすぐにメモったんで……七月一二日ですね」
「被告人は奥野さんから、彼になりすましている間にやるべきことを依頼されており。そのことは供述の中で一貫しているところです。その供述について、次の乙第一号証の被告人の供述調書二三通で示します」
紗怜南が朗読するのは、大量の資料だ。いずれも奥野から指示があり、奥野の別宅に滞在し、ホームセンターで買い物をし、不良品回収業者に依頼をし、リフォームを進めたという旨が記録されていた。長い時間をかけて資料を読み上げた紗怜南は間を置かずに言葉を加える。
「被告人は奥野さんから奥野さんの別宅に滞在することを要請され、ホームセンターでの商品購入や不良品回収業者とリフォーム業者への依頼を行いました。
弁第二号証は、二〇二三年七月八日午後一九時二〇分頃に撮影された新宿歌舞伎町の居酒屋『さくまや』の防犯カメラ映像です」
紗怜南は早速、そばのモニターで映像を再生する。一月八日に三者が集まった会議室で流されたものと同じ映像だ。
「ご覧になったように、被告人と奥野さんは七月八日の時点で和やかな雰囲気で会話をしていることが分かります。
乙第二号証は、被告人の供述書五通となります」
紗怜南は二〇二三年七月八日に居酒屋「さくまや」で草鹿と奥野が交わした内容についての記述を淡々と読み上げていった。
「以上が居酒屋『さくまや』で被告人と奥野さんが交わした内容になります。奥野さんは被告人に不倫相手と一か月程度出かけるので、その間、被告人に自分になりすますように頼み込んでいました」
紗怜南が話し終えると、戸倉は腕時計に目を落とした。
「それでは、第一回期日の審理をこれにて終了いたします。第二回期日は明日二月六日午前一〇時開廷します」
草鹿にとっての長い一日が終わりを告げた時、窓の外は夕闇に覆われていた。
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