第5話 真実を探る

二〇二四年二月五日 月曜日 午後


 昼の休憩を挟んで、張り詰めた空気が再びこの場を満たしていた。

 静粛な空気の中、戸倉が手元の書類に目を落としながら口を開く。

「公判期日に先立って、裁判所と検察官、弁護人が争点と証拠を整理するための手続を行いました。本件は被告人が検察側の主張を全面的に否認しておりますので、検察官の示した事実内容について審理していきます。

 審理は、本日二月五日の第一回期日では住居侵入と窃盗について、明日二月六日の第二回期日では殺人、明後日二月七日第三回期日では死体損壊と建造物等損壊と、三回に分けて行われます。第三期日の最後に被告人質問を行います。

 まずは、住居侵入と窃盗についての審理を行いますが、被告人が奥野さんの別宅に滞在し、被告人が奥野さんの現金一六二万六七八一円を使用し、被告人が奥野さんの別宅の電気、水道、ガスを使用したという事実自体については争いがありません。よって、この場では、それらの行為が奥野さんの同意のもとで行われたのか、同意なく行われたのかを審理します。

 この審理のために裁判所は検察官が請求し、弁護人がどう意図した証拠を採用しました。また、検察官から武富有美さんと氏川茜さんの証人申請があり、それを採用しました。検察官は証拠の告知を行って下さい」

 戸倉から手で促されて、三淵が立ち上がった。彼は強い意思に満ちた眼差しで壇上につく裁定者たちを見つめる。

「甲第一号証は、奥野さんの別宅から押収された奥野さんの財布の内容物の写真撮影報告書です。一万円札三九枚、千円札四枚、百円玉七枚、十円玉六枚、五円玉二枚、一円玉十二枚、奥野さん名義のクレジットカード二枚、キャッシュカード四枚、ポイントカード三枚、二〇二三年七月二五日付の『サンホームセンター』のレシート一枚となっています」

 三淵は袋に入った証拠物をひとつひとつ掲げ、壇上の人間へ提示した。

「次に、甲第二号証ですが、被告人名義の預金口座の二〇二三年七月一二日直近半年間の取引履歴です」

 三淵は淡々とした口調で手元の資料を読み上げた。そして、草鹿の方に目を向ける。

「草鹿さん、この預金口座はあなたが唯一利用できる金融商品ですね」

「そうです」

 草鹿は不機嫌そうに口元を歪めてぶっきらぼうに返事をした。その後ろで紗怜南は苦々しい顔をしている。三淵はすぐに資料を手にして、それを朗読し始めた。たっぷり時間をかけて資料を読み終える。

「次の甲第三号証は、奥野さんの銀行口座・証券口座の取引履歴です。事件の直近半年から二〇二三年八月一〇日までの奥野さんの銀行と証券の口座状況について記載されています」

 三淵は卓の上から紙の束を取り上げて、そこに記載された出入金と利用の記録を滔々と読み上げ始めた。千種が資料を表示したモニターを操作する中、資料を読み上げると、三淵は意味を込めた視線を壇上へと向けた。

「奥野さんの銀行口座からは七月一二日から八月一〇日の間に出金記録はありません。

 続いて、甲第四号証は、奥野さんのクレジットカードの利用履歴です」

 三淵はまたもや書類を全て読み上げた。眠気を誘うような情報の羅列だが、三淵の緊張感のある声がピリついた空気を繋ぎ止めている。

「クレジットカードも七月八日の『さくまや』での会計に使用して以来、利用履歴はありません。

 甲第五号証は、奥野さんの電話の通信履歴です。二〇二三年七月一二日直近半年間の記録となります。甲第六号証は、甲第五号証に記載された電話番号の調査報告書です」

 二つの資料を参照していくと、三淵は咳払いをひとつした。

「甲第七号証は、奥野さんのスマートフォン・パソコンのメール履歴です。こちらも甲第五号証と同じく、二〇二三年七月一二日直近半年間の記録となります」

 長い時間をかけて、全てのメールのやりとりを朗読した三淵は、疲れを微塵も見せずに次に移った。

「甲第八号証は、奥野さんのアカウントに紐づけられたメッセージアプリのやりとりの履歴です」

 千種がモニターに表示する内容に合わせて、三淵は淡々と書類の内容を朗読していく。

「二〇二三年七月一二日から八月一〇日にかけて、被告人は奥野さんのスマートフォンやパソコンを使用したと認めていますが、その事実を除いたとしても、奥野さん所有のデバイスによる当該期間中の通信履歴は、一時的な業者とのやりとり以外は、家族、会社従業員、取引先、友人となっています。

 甲第九号証は、奥野さんの自宅および別宅と『ヌーヴェル・オリゾン』の郵便物調査報告書です」

 紙を片手に資料を読み終えた三淵は、鋭い眼光で壇上の人々を薙ぐ。

「奥野さんは七月一〇日に銀行から二〇〇万円下ろしていますが、それは奥野さんの別宅から押収されている奥野さんの財布に収められていました。奥野さんが七月一二日に外出したとするならば、奥野さんは現金やそれに類するものを持っていなかったことになります。また、奥野さんはスマートフォンやノートパソコンも奥野さんの別宅に残したまま外出しました。

 さらに、奥野さんの通信は、二〇二三年七月一二日の直近半年間、一か月間どこかへ出かけるという計画についてやりとりをしたものはありませんでした。

 被告人は、奥野さんが二〇二三年七月一二日から不倫相手と外出をしたと供述していますが、その供述内容と甲第一から甲第九号証で示した事実とは明らかに齟齬があるということがいえます」

 戸倉は三淵の後を受けて、資料に目を落とすと声を発した。

「では、ここで証人から話を聞きたいと思います」

 係の人間に連れられて、ふくよかな中年女性と華奢な若い女性が姿を現す。彼女たちは緊張の面持ちで所定の場所に立つと、戸倉の方に顔を向けた。戸倉は落ち着いた声でいう。

「証言をされる際に証人カードを書かれたと思いますが、氏名、住所、職業、年齢はカードに書かれた通りで間違いありませんか?」

「間違いありません」

 二人とも芝居がかったように大きくうなずいた。すぐに起立の号令がかかると、全員が衣擦れと靴音と共に立ち上がる。

「では、証人は宣誓書を朗読して下さい」

 二人はやや息を合わせながら宣誓書を読み上げた。

「『良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います』」

「証人は今の宣誓の通り、ご自分の記憶に従って質問に答えて下さい。嘘の証言をすることによって偽証罪の対象となりますのでお気をつけ下さい。それでは、まずは武富さんから証言となりますので、氏川さんは一度退室して下さい」

 華奢な若い女性の方が係の人間と共に退室していく。着席の号令があり、全員が席に座った。

「では、検察官、尋問をどうぞ」

 返事と共に三淵がすっくと立ち上がる。


 武富がつく台のそばにゆったりと歩み出て、三淵は問いを投げかけた。

「武富さんにお聞きしますが、あなたが住んでいるのはどこですか?」

 武富は三淵をチラリと見てから、壇上の戸倉たちに顔を向けたままおずおずと答える。

「神奈川県の葉山です」

「奥野さんの別宅がどこにあるか知っていますか?」

「はい。自宅の隣なので」

「武富さんの自宅の隣が奥野さんの別宅なんですね?」

「そうです」

「七月一二日に、あなたの家から見た奥野さんの別宅の様子を教えて下さい」

 武富は唇を舐めて湿らすと、記憶を手繰り寄せるようにゆっくりと言葉を口にし始めた。

「夜になって、奥野さんの家の電気が点いているのを見ました」

「夜に家の電気が点いているのはごく普通のことだと思いますが、なぜそのことを覚えているのか教えて下さい」

「奥野さんのお宅は週末や祝日に使われているようで、平日に誰かがいるのを見たことはないので」

「七月一二日は平日だったので、奥野さんの別宅に明かりが点いていたことに違和感があったということですか?」

「はい」

「七月一三日以降の奥野さんの別宅の様子について教えて下さい」

「毎晩、電気が点いているのが見えました」

「奥野さんの別宅の様子を見て、どう感じましたか?」

「生活が変わったのかなと思いました。夫とも『何かあったのかね』と話したのを覚えています」

「奥野さんの別宅の様子が変化したことについて、近所の人と話したことはありましたか?」

「話しました」

「どういった内容のことを話しましたか?」

「ええと……」武富は躊躇するように苦笑いを漏らす。「『住む人が変わったのかな』、と」

「あなたがそういったんですか?」

「いえ、近所に住んでいる人たちです」

 紗怜南が即座に声を上げる。

「異議あり。検察官は証人に伝聞供述を求めています」

 戸倉がうなずく。

「意義を認めます。検察官は証人が他人から聞いたことについて質問しないで下さい」

 三淵は表情を変えずに武富に顔を向ける。

「被告人は奥野さんになりすましていましたが、その事実を聞いてどう思いましたか?」

「やっぱりそうか、と思いました」

「なりすましをしたわりには、被告人の行動は整理されていないように感じませんか?」

 紗怜南は再び声を上げる。

「異議あり。検察官は証人に意見を求めています」

「意義を認めます」戸倉は三淵へ視線を送る。「検察官は証人の体験した事実について質問するようにして下さい」

 三淵は戸倉の言葉を聞いても悪びれる様子もなく、サッと身を引いた。

「以上です」

「弁護人から反対質問はありますか?」

 紗怜南はすっと立ち上がって武富を見つめた。

「奥野さんの別宅での様子がおかしいと感じたのは、いつもと違うようなタイミングで家の照明がついていたからですか?」

 武富は眉間に皺を寄せてゆっくりとうなずく。

「まあ、そうですね」

「被告人と奥野さんが話しているところを直接見ましたか?」

「いえ」

「被告人と奥野さんが話している内容を聞きましたか?」

「聞いてません」

「異議あり。弁護人は重複する質問をしています」

 三淵が差し挟んだ意義に対して、紗怜南は冷静に言葉を返す。

「見たことと聞いたことについて明確にしたいのでそのように質問しました」

 戸倉が静かに口を開く。

「異議を却下します」

 紗怜南は武富に近づいていく。

「つまり、あなたは被告人が奥野さんに拒絶されているような様子を見てはいないということですね?」

「はい……見ていません」

 紗怜南は戸倉に顔を向けた。

「以上です」


 武富と入れ替わるように、華奢な女性が姿を現す。

「続いては、氏川茜さんへの証人尋問となります。では、検察官から尋問をどうぞ」

 氏川に近づいて、三淵は問いかける。

「奥野さんとはどういったご関係ですか?」

「私は奥野さんが経営している『ヌーヴェル・オリゾン』で働いていますので、同僚ということになると思います」

「氏川さんはいつから『ヌーヴェル・オリゾン』で働いていますか?」

「会社ができてからなので、八年前になります」

「あなたは会社ではどのようなポジションですか?」

「企画戦略部の部長をしています」

「奥野さんとは会社ができてからの関係ですか?」

「そうです」

「ということは、奥野さんと長年やりとりを続けてこられたわけですね?」

「そうだと思います」

「その長年の経験で奥野さんからの連絡に違和感を持ったということですか?」

「はい」

「奥野さんからの連絡が誰かのなりすましによるものだと気づいたんですか?」

「初めは気づきませんでした。ただ、様子がおかしかったので、他の同僚と共に確かめたんです」

「では、奥野さんの連絡に違和感を持った時から被告人が奥野さんになりすましていたことが判明するところまでのお話を聞かせて頂けますか?」

「分かりました。あれは私が──」

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