第三章 春海 其ノ一

 別室に移り、九条は他の者は入れずに音由の手当てをした。部屋の外や廊下で所在なさげにしていた吉備津隊の兵は春海の指示で館の外の警護に当たらせ、春海が扉の外についた。

 部屋からは聞き取れない程の低い話し声と、時折、音由の怒った声が漏れてくる。しばらくして出てきた九条は、ため息をついて呟いた。

「まったく、近衛の質も落ちたものだね。見える傷が一月で消えるかどうか……」

 まだ妃になってもいない胡のせいで、将軍に近い地位にある吉備津が罰せられるのは何か、釈然としなかった。

「部屋の様子からすると自身で暴れた傷もあるのでは」

「打ち身のあざは八箇所だが、同じ場所を重ねて痛めつけてある。あばらが二本折れていたよ。自分で暴れてそこまでの怪我をするのなら、それは痛みを感じない狂人さ。そんな者が相手にはずかしめを与えるために裏拳など使うかい」

 そう言われては黙るしかなかった。

「縄の擦り傷は消えにくい。手間がかかりそうだ」

「音由様は」

「眠ったよ。夜通し暴れて、縛り上げられても尚、うめき叫んでもがいたらしいからね。まあ、そうしなければ『菊の花』は無事ではなかっただろうさ」

 胡領についてからの吉備津と兵たちの様子からすると、男色の気がなくとも面白半分に音由を犯しかねなかった。

 だが、尻の無事を心配するとなると、九条が音由を選んだ理由は、春海が考えたのとは全く別の所にあるのかもしれない。

 春海は探るように尋ねてみる。

「……しかし、碧亥陛下が男色を好まれるとは存じ上げませんでした」

「人の好みは変わるものさ。いつだって、どのようにでも」

 九条の言い回しからは、碧亥の好みが既に変わっているのか、それともこれから変わるのかは、わからなかった。

「さて。春海殿は引き続きここを。万が一の、吉備津殿の隊の報復に備えておくれ。そこまでの馬鹿共ではないと良いのだが。私は荷を取りに行く。全く、妃を選びに来て傷消し薬を作ることになるとはね」

 ――万が一――と九条は言ったが、吉備津は音由をそのままにはしないだろう。音由が無事に都に着けば吉備津も隊の者も身が危ぶまれる。事はおそらく、九条が去った後に起きるであろう。

 だが春海は、考えるのを止めた。十日後に自分は九条と共にここを去り、御前試合の後は奥の宮を去るのだ。考えるだけ無駄だと思った。

 しかし、その晩のこと。

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