第三章 土蔵会議 其ノ三

 ややして、今度は小鉄が唸ることとなった。

「くそう……」

 音由が連れてきたのが、春海だったからだ。

「あにさんはいつでも、どれでもか……くそう」

 歯ぎしりしつつも、わからなくはなかった。

 小鉄に負けず、体格が良い。正しく鍛えられた体は天にすっくりと伸びている。切れ長の目は冷たさを感じさせるが、女共は「それがいい」とでも言いそうだ。

 この若さにして身分は近衛兵中将。「あの音由」の警護長である。お宮入り行列では人々の注目は音由にあったが、流行の「音由行列絵図」では春海の人相でしっかりと一番近くに描かれていた。

 音由と違って奥の宮から出ることもある春海は、いわば出会える有名人である。最近では宮から出ると女に囲まれ、食事所に入るといつの間にか両隣に女が座りしゃくをする。届けられる恋文も多い。

 相変わらず不機嫌そうな春海に、音由がたずねる。

「あにさま、手を出しにくい女って、どんな?」

「御身分の高いお方、でしょうか」

 小鉄が肩をすくめる。

「嫌味だな、あにさん。普通身分の高い女とねんごろになったらしめたもんだと思うぜ」

「……違うぞ小鉄、あにさまの言う御身分の高いは……おそらく……」

 音由がにごした言葉の続きを、小鉄も察した。

「おいおいおい、このお宮の中にいる位の御身分ってことかよ。下手したら反逆罪か。そりゃ手も出ねえ」

 春海は否定しない。面白くなさそうに小鉄をちらりと見やってから、「ご用件は」と音由にたずねた。

「碧亥と床入りせずに済む方法を考えているのだ」

 すると、春海はあっさりと全てを否定した。

「無理でしょう」

「無理でも俺は嫌なんだ」

「そのためにお宮入りされたのですから、無理です」

「こんな所に入りたくて入った訳じゃない。碧亥なんぞに俺の尻をくれてやるつもりはない!」

「陛下がお渡りになったら、音由様のお役目はただ一つです」

「もしあにさまが男姫としてお宮入りすることになったら、はいそうですかと簡単に尻を差し出せるのか?」

「はい。陛下が御所望でしたら」

 春海の家は、代々近衛兵としての勤めを果たしてきた家であり、当然のことだった。

「俺は、嫌だ……」

 しゅんとしてうずくまった音由が、小さく、ぽつりと呟いた。

「この秋に、祝言をあげるはずだったんだ」

 意外な言葉に、小鉄も春海も膝を抱えた音由を見る。

「収穫が終わったら、という娘を嫁にもらうはずで、やることのない冬の夜には毎晩毎晩を抱いて、来年の秋にはきっと俺の赤ん坊が生まれていて、次の年には二番目の赤ん坊が生まれている……はずだった」

 音由はぐずっと鼻を鳴らす。

は昔から俺に惚れていて、夫婦になると決まるずっと前から俺にまとわりついて。あいつを抱いていると実感できたんだ。この先ずっと、夜になるたびにを抱いて、俺は歳を取っていくんだなって」

 盗賊の小鉄と近衛兵の春海が想像したことのない、ぴたりと身の丈にあった、百姓の子の将来絵図だった。

「なのに……九条の奴。あのくそばばあ、いつか絞め殺してやる」

「おいおい……あのばあさんには世話になったんだろう?」

 小鉄は行列のことを言っている。

 九条は都でも有名な大棚おおだなの主であり、王家からの信頼も厚く、王宮に自由に出入りする数少ない商人であると、都に住むようになってすぐに知った。音由がこれまでの男姫とまったく違ったお宮入りで人々を魅了したのは、九条によるところが大きいのは間違いない。

「何を言ってるんだ、九条が俺の世話をするのは当たり前だ。他の誰でもない、あのばばあが俺を男姫に決めやがったんだ。くそう、何でねえやじゃなくて、俺なんだ!」

 こぶしで床をぽかぽか叩きながら、音由は叫ぶ。

「姉やは村で一番美しい娘だぞ、それも十八で生娘だ。俺と親父は姉やが金になるってわかっていたから絶対に男を寄せ付けないようしてたのに。くそう、あの苦労は何だったんだ!」

 小鉄は、九条がこの場にいたら言葉遣いだけでなく音由の存在そのものが訂正されそうだと思いながらも、ころころと転がりながらどうやら鼻をすすり涙ぐんでいるのをごまかしているらしい音由に言った。

「いっそのこと、そうやって嫌だ嫌だと訴えてみたらどうだ」

「……泣き落としか」

 音由はすいっと起き上がって、また考える。

「でも、相手が泣いたりすると気分がたかぶる奴もいるだろう?」

 音由の言葉に、春海が首を振る。

「碧亥陛下は、そのようなお方ではありません」

「どうだかな。偉い奴の性癖ってのは周りの者が隠すじゃねえか。俺が育った西鱒にします領の領主は、妻とめかけ、合わせて三人死ぬまで捕まらなかったぜ」

 春海は小鉄には答えず、音由に向かって話す。

「陛下の剣の稽古に立ち会わせていただいたことがあります。我々は、身分の高い方との稽古の際には必ず手加減をし、むやみに打ち返したりはしません。音由様のおっしゃられるような昂ぶり方をする者は、相手が抵抗しないとわかると、剣筋に残虐ざんぎゃくさが出るものです」

「ふうん、剣とはそういうものか。くわとかすきしか持ったことがないからわからないけど」

「はい。陛下は私たちが手加減しているとわかると、ご自身も思い切り打ち込んではきません。慈悲深いお方です」

「慈悲深い……となるとやっぱり泣き落としか」

 にわかに元気になった音由は不意に立ち上がり、考え込みながらうろうろと土蔵の中を歩き回る。春海が小声で小鉄に言った。

「しばらくここで待て」

 夢中で考え込んでいる様子の音由はそのまま不意に出口へと向かい、土蔵の扉に手をかける。春海が横から手を出して扉を開くと、そのまま女物の羽織をひるがして出て行った。

 やがて春海だけが土蔵に戻ってきた。

「都での住まいを九条殿に知らせておけ。生活費なども九条殿より渡すようにする」

「音由はどうしたよ」

「……口の利き方に気をつけろ。あの御方は第七妃であらせられる。音由妃殿下と」

 音由の前ではなく今になってそのように言う春海を、小鉄は思ったよりも面倒な奴なのかもしれない、と思う。

「んで、あにさん、音由妃殿下さまは?」

「……何か考え込まれている時はいつもああだ。周囲は見えなくなってしまわれる。お部屋にお連れして侍女をつけた」

 春海に案内されて裏門から出た。帰りがけ、「貴様、何故逃げなかったのだ」と春海がたずねたが、小鉄はへらっと笑ったきりだった。


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