(中)
島に建設された空港へ行くためには、唯一陸と繋がる鉄橋を渡る必要がある。今、その橋はコルレオファミリーによって封鎖されていた。橋の周囲には見える範囲に車が十台、挟撃のため道路脇の建物の影に隠れた車がさらに十台、ワイラーの到着を待ち構えていた。車外に立つ、オールバックの髪にサングラスのリーダー格──フレドの携帯が鳴った。
「……おう、あいつの車で間違いないな? ……わかった」
数キロ先で監視していた仲間からの連絡を受けてフレドが周囲に指示を出すと、ギャングたちが一斉に拳銃を取り出した。間もなく、長い直線道路の先からワイラーの車が走ってくるのが見えた。橋に近付いたところで、待ち伏せしていたギャングの車が発進して背後からも取り囲むと、行き場を失ったワイラーの車は停止した。
「バカが。オヤジに盾突きやがって」
フレドは拳銃をスライドさせて弾を装填し、ワイラーの運転席へと向かった。彼は長年ワイラーと共に危険な現場を生き抜いてきた男だった。お互いに信頼できるパートナーだと思っていた。だがこの街においてコルレオの命令は絶対だ。銃を構える。腕前はコルレオ直伝。ドアロックを銃弾一発で破壊すると、元相棒の名前を叫びながら思い切りドアを引き開けた。
「ひいっ!」
手足を縮こまらせて中で震えていたのは知らない若い男だった。
「……なんだテメェ。おい、ワイラーはどこだ」
「しっ、知りません……! な、なんなんですかこれ……!?」
「質問してんのはこっちだろ」
銃口を向けると、男は頭を抱えてさらに縮こまった。
「おい、この車どうした」
「こっ、これは……さっき男の人から頼まれてっ! 空港に届けてくれたら謝礼金が出るからって……! それがなんで……」
そこまで聞くと、フレドは銃のグリップで男の頭を殴りつけて黙らせ、大きく舌打ちをした。
「野郎、出し抜きやがったな」
※ ※ ※
「あっ、あのっ! どこに向かってるんですかぁ!?」
激しく揺れる車内で後部座席のアンが子犬を抱きしめながら叫んだ。
「地獄行きはやめだ!」
今、ワイラーたちは手近の駐車場に停めてあった車を盗み、空港へ向かう国道から大きく外れた場所を走っていた。ろくに整備されていない凸凹道に加え、セキュリティの緩いボロ車を選んだせいで乗り心地は最悪だった。
「この先に港がある! そこから船に乗って家に帰れ! オレも別の船でどこか違う街に逃げる! そこでお別れだ!」
コルレオにダイヤを本物だと証明するには、アンが宝石に触れるところを見せる必要がある。それはつまりアンの正体を奴に明かすということだ。そうなればダイヤどころでは済まない。コルレオは間違いなくアンを捕らえて王室に身代金を要求するだろう。そして、もし要求が通らなければ彼女がどんな目に遭わされるかわからない。場合によっては命さえも……。
なぜ自身の安全を捨ててアンを助けようとしているのかワイラー自身にもよくわからなかった。ただ、彼女の父がコルレオだと知ったことで、自分とアンとを重ね合わせたのかもしれなかった。
「お別れって、そんな急に!」
「悪いが、お前をオヤジに会わせるわけにはいかない!」
猛スピードのまま盛り上がった土の段差に乗り上げ、車が跳ねた。
「キャッ!」
「もう少しだ! しっかり捕まってろ!」
住宅の塀に車体を擦りながら狭い路地を突っ切ると景色が開けた。海だ。船も停泊している。着いたと思った瞬間、破裂音と共に車が猛スピンを始めた。遠心力に振り回され、あちこち体をぶつけて、車は白煙を吐いてようやく回転を止めた。何事かとくらくらする頭を押さえながら外に出たワイラーに聞き覚えのある声が届いた。
「男親ってのは、息子がこっそりやってるこたぁ大体お見通しなんだよな」
煙の向こうにシルエットが見えた。海風が視界を晴らすと、黒いロングコートに身を包んだ男がワイラーへ銃口を向けていた。深く被った帽子と蓄えられた顎髭が歴戦の傷跡を隠していたが、獲物を狙う鋭い殺意の眼光だけは隠せない。正確無比なその射撃は前線から退いた今でもいささかも衰えることなく、計算通りの角度で車の前輪を撃ち抜いていた。
「コルレオ……」
「なあ、家族に裏切られるってのは悲しいもんだなァ」
ワイラーも銃を構えたがコルレオに動じる様子はなかった。早撃ちには絶対の自信があり、それはワイラーも認めるところだった。
「……テメエを家族だと思ったことなんて一度もねえよ」
ワイラーが引き金に手をかける。と同時に彼の右太ももが撃ち抜かれた。一瞬遅れて激痛が走り、苦悶の表情で片膝を折った。
「動脈の1センチ横だ」
冷徹に言い放ち、コルレオは続けて眉間に狙いを定めた。
「やめなさい!」
ワイラーが驚いて振り返ると、アンが車から飛び出していた。羽織ったコートが風に揺れた。その隙間から覗く彼女の足は震えていた。
「……なんだ? 随分若い女を連れてるじゃねえか」
冷やかすような笑みを浮かべるコルレオだったが、彼女がコートの胸元からネックレスを引き上げると、その先に輝く宝石に細い目を大きく見開いた。
「……おい、何してんだ。やめろ……!」
ワイラーの静止を無視してアンは宝石を素手で掴んだ。接触した指の先から波紋が広がり、ダイヤは透き通った美しい青に染まった。
「おいおい、こいつぁ……はははっ、本物じゃねえか! なあワイラー!」
ワイラーは歯を食いしばり、コルレオを睨んだ。
「ダイヤが欲しいならあげます。こんなもののために人を殺さないで……!」
「ああ、構わんよ。俺は教育者じゃないんでね。金の価値をわかってない小娘に説教するつもりはない。それにワガママの一つくらい聞いてやるさ。なにしろ初めての親子の会話だものなァ」
「えっ……」
「俺が騙した王女様が孕んでたって話は後から知ったが、まさか直に会って話す日が来るとはな。ほうほう、俺の娘にしちゃあ可愛らしいじゃねえか」
「あなたが……?」
戸惑うアンにコルレオは微笑み、ゆっくりと頷いた。だが、その優しい顔は己の欲を満たすための手段に過ぎない。
「さあ、ダイヤを持ってこっちへ来るんだ。なにしろお前がいなきゃ、そいつが本物の冷血のブルーダイヤだと証明できんのだからな」
「やめ……ろ……」
ワイラーが手を伸ばしたが、アンはちらりと彼を見ると、コルレオの下へ向かって歩いた。
「ふふ、母親に似て素直な子だ。扱いやすくて助かる」
そう言うと、傍に来たアンを──いや、彼女のダイヤをまじまじと見つめ、左手で持ち上げ、舐め回すように観察した。欲深い男だとアンは思った。
「私も同じです」
アンはコルレオを強く睨んで言った。
「……ん? 何がだ?」
「私も──あなたを父親だとは思わない!」
瞬間、彼女のコートの胸元から飛び出した子犬がダイヤを持ったコルレオの左手首に噛みついた。
「ぐっ……!」
怯んだ僅かなチャンスに賭けた。
「アン!」
ワイラーの声に合わせてアンが飛び退く。コルレオとワイラーの間に遮るものはなく、放たれた銃弾は正確にコルレオの眉間を貫いた。
「………………」
コルレオは焦点の定まらない目で数歩後ずさると、そのまま岸壁の縁を踏み外し──海の中へと消えた。港には肌寒い風と波の音だけが残った。
ワイラーは大きく息をつくとその場に座り込み、動かなくなったボロ車に背を預けた。
「ワイラーさん!」
駆け寄ってくるアンを見て彼女の無事を確認すると、タバコを一本取り出して火をつけた。
「……悪いな。ああするしかなかった」
アンは涙を溜めて首を横に振った。
「早く船に乗んな。追手が来る前にここでお別れだ」
もう一度首を振った。
「一緒に……」
言いかけて気付いた。ワイラーの腹部を染める赤黒い染み……それが徐々に広がっていることに。
「……ま、相打ちなら上等だろ」
「そんな……そんなのダメ……!」
「ダメと言われてもなぁ。……まー、今までやってきたことを考えりゃ地獄行きだろうな。お前にゃ悪いが」
くだらないジョーク。笑ってくれないアンを見て、苦笑いでタバコをふかす。その人生最後の一本をアンが横から取り上げた。
「おい、返せよ」
彼女は無視して、慣れない手付きで火の点いたタバコを唇で挟むと、おもいきり吸い込んだ。
「けほっ! ごほっ!」
ワイラーは咳き込むアンの手からタバコを取り返すと、呆れた顔で吸い直して空に煙を吐いた。
「だから言ったろ、お前が行くとこじゃ……ねえんだよ……」
……寒い。血液の循環が止まるのがわかる。ぼうっと意識が薄らいでいく。かろうじて動く左手でアンのダイヤに触れた。指先から波紋が広がり、青く染まっていく。
(綺麗なもんだな……)
「私っ! 行きますから! 絶対に……!」
アンの声が聞こえた気がした。
地に落ちたタバコは、まだ半分燃え残っていた。
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