第11話 懺悔

 

 「……さて、君にもう一度質問するよ。君は本当に『眞秀葉』なんだね?」


 「はい。勿論です」


 「まあ、『眞秀葉』なんてこの辺には『あの家』しかないだろうからね、まあ大丈夫だろう。じゃあもう一つ。……本当にこの話を、君は聞きたい?」


 「はい。それはもう」


 「……そうかい」


 鶴野先生は目を閉じ、微笑んで言った。


 「これはさっき言ったように、僕の逃げでもあるし、君のための逃げ道でもあったんだけど……ま、引き返してくれねぇよな」


 彼はそう言うと突然、目を真剣な色に染め上げ、顔を真顔に引き攣らせた。


 「……これは俺が君のお母さんに雇われた頃の話。……そう、ちょうど三年ほど前の事だったな」


 「!?」


 母……親……?


 「君のお母さんはね、君のお姉さんがこの八雲高校に入学した時に僕に依頼したんだ。『どうかあの子を守ってほしい』ってね」


 鶴野先生は淡々と話を続けていくが、俺はすでに母親の名前が上がってきた時から頭が追いつかなくなっていた。

 それでも疑問は、自然と口から吐き出されていく。


 「ど、どうして母は姉に護衛なんかつけようとしたんです? ここは学校ですよ?」


 「まあそう思うのも無理はないと思うが、君も知っているだろう? 一歩踏み間違えれば地獄行きのこの学校の内部の、惨状を。要は君のお姉さんは高校から途中入学したから、『お友達』に虐められやしないか心配だったんだと思うよ」


 彼は俺をじっと見つめ、真剣に話している。


 でも彼の眼が「俺」という焦点から少し揺れているのを、俺は見逃さなかった。


 よく見ると額にうっすら汗ばんでいるのが見える。膝に乗せている手も、プルプル震えている。


彼は俺に、何かを隠している。


明らかにそう思わせるような行為を、鶴野先生は行っていた。


……まるで、気づいて欲しいとでも訴えているかのように。


(ごめんなさい、鶴野先生。あなたの気持ちは痛いほどわかる。でも、俺はここで引くわけにはいかないんだ)


俺は、鶴野先生にも僕自身にも腹を括らせるために、目の前に居る彼を上目遣いで睨みつけた。


「……鶴野先生、本当の事を話して下さい。そうでなければ、俺もあなたも救われません。それに、本来はこんな所で立ち止まっている場合では無いでしょう!?」


バンッ!


睨みつけるだけのつもりが勢い余って机に身を乗り出した俺に、鶴野先生は見たことがないほどの驚愕した顔を表した。


「……」


「ッ……」


数分間続いた沈黙を切り裂いたのは、鶴野先生の蚊の泣く様な声だった。


「……俺はッ、この期に及んでまだ逃げようとしていた……。本ッ当に、情けない大人だよ。俺は……」


鼻を啜り、俯いた彼はしばらくすると俺を見た。


「……すまない。まだ子供の君に大人を叱るなんていう難儀な事を押し付けるなんて、最低だ。……今度こそ俺は、本当の事を話す。

こんな前科持ちの俺の決意なんぞ信じてもらえないかもしれないが、聞いてくれるか?」


「ええ、聞きますよ。さっきまで揺らいでいた眼が、真っ直ぐですから。俺はあなたの話を耳ではなく、目で信じます」


「……そうか。ありがとう。

……君は優しいな」


鶴野先生は、下がった眉を見せながら俺に小さく微笑んだ。


「優しい……か」


ちょうど一年前、謎の少女に言われた言葉が、今になって鮮明に思い出される。

結局俺は、あの時から俺自身に「優しい」という印象を見出せたことはなかった。


「俺が優しいなんて、その場の嘘であって欲しかったなぁ……」


思わずそう呟いてしまったが、幸い鶴野先生には聞こえなかったようだ。


 

鶴野先生が話してくれた本当の話は、想像を絶するものだった。


俺の母は、すっかり七森会長に骨抜きにされた政府を裏から壊し、もっと正当な政治が為されるように仕向ける日本の秘密結社のスパイだった。


その目標を達成するには、七森会長の弱点を掴まなければならない。そのためには情報収集が何よりの近道であり、正確な道であった。


そして七森会長のことを調べるために一番情報を得やすい場所は、何と言っても彼が学長をしている八雲高校である。


だからこそどうしても、高校生の肩書きを持つ者の助けが必要になった。


その適当な人材としてその秘密結社が目に留めたのは、母の娘、つまりは俺の姉「眞秀葉 風葉」だった。母親が組織の中で優秀なスパイだったということもあっての指名だったという。


母は「スパイ」としての立場と「母親」の立場の間のジレンマに悩んだが、母からの苦し紛れな提案に姉はあっさりと承諾した。


最初母は狼狽えたが、姉自身の説得により心を「スパイ」としての姿に変え、決心を固めた。そこでもし万が一母がスパイだとバレた場合に姉が七森会長に消されないように、「八雲高校化学教師」という名目でボディガード「鶴野 織唯」が配属されたのだった。


「そう。俺はボディガードとして雇われていた。それなのに、俺は二年間誰も君の姉を襲ってこなかった事を理由に、『教師』の立場を優先してしまった。……それがこのザマだ。俺は結局、何もできなかった……」


姉の死因は、俺が予想していた通り七森会長からの刺客による他殺だった。

姉が急な委員会の仕事を任され、教室で一人きりになった所を襲われたという。


いや、意図的に一人にされた、と言う方が正しいだろう。


あまりにも対処ができかねる状況だったためボディガードとしての機能を果たせなかった鶴野織唯は解雇という処分だけで済み、眞秀葉家との縁も無くなったが彼は

「君の姉が『嫌な予感がする』と言っていたのにそれを聞かずに彼女の元についていなかった俺の責任だ。君には合わせる顔もなかったが、それでも君にはもうどう返せばいいか分からないくらい謝罪をしなければならない。……本当に、心からお詫びする……」

と今でも自らの行動を悔やみ続けていた。


「いいんですよ。例え誰であろうと恐らく防げなかった現実だと思いますし。むしろ姉を二年間も守ってくれていたことに感謝します」


彼には自責の念の負担が少しでも軽くなるよう、そう言葉をかけて深々と頭を下げる彼を背にして化学室を去った。


 俺の母親は、俺が10歳の頃に居なくなった。


 つまり母親が失踪したのは4年前。


 そして鶴野先生に姉を任せたのは3年前。


 ましてや母が鶴野先生を雇うには、姉が必ず「八雲高校」に入学したという事実を知っておかなければならないはずだ。


 ……とすると母親は俺達をずっと見ていた、知っていたという事になる。

 もう近くにはいないと思っていたのに、案外近くにいたのかもしれない。


 勿論叔父さんが家庭状況を母へ伝えていたという推定も考えられるのだが、あの叔父が隠し事をする性分にも思えない。


 何より、これでかなり有力な情報が掴めたことには間違いない。

 これから、少し忙しくなりそうだ。


 (待ってろよ、お姉。もうすぐであんたの死は、正当化される)


 そして俺の歩みは、確実に地面を固めていく。


 自らのエゴであったはずの犯人探しは、黒い闇を纏う「復讐」へと姿を変えて心に住み着いていることに、気づかないまま。

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