第5話 矛盾

 姉が自殺するはずが無い。

 精神が落ち着いた後、俺は姉の死について考えていた。


 姉は常に俺の事を気に掛けてくれていた。自分で言うのもなんだが、そんな弟を残して姉が無責任に自殺するはずが無い。

 もしするとしても、俺に負担がない様に施してから死ぬはずだ。

 姉はそういう人だったのだから。


 もしかすると死亡保険で俺に良い暮らしをさせようとして…?

 とか思ったのだが、自殺の時点で死亡保険は降りない。

 そもそも俺達は叔父さん夫妻のお陰でちゃんとした人間らしい生活ができている。

 お金は正直困る様な要素でも無かっただろう。

 しかも彼女は死亡保険に入ってすらいなかったのだ。この説はまずあり得ない。

 あくまで俺の仮説だが、姉の自殺の可能性はほぼ無しと言って良いと思う。

 身内の意見というものは勘でも一番信憑性が高いはずだ。


 次に考えたのは、事故だった。

 姉がなんらかの事故に巻き込まれ、その事故が気付かれない、または隠蔽されたまま、姉が自殺したと判断されてしまった。

 可能性は十分にありそうだ。


 しかし、彼女の死亡した状況を考えるとそれもまた真実では無いと思われる。

 姉の死亡した場所は、学校の校庭。

 それも、校舎のすぐ横だ。

 この状況を見た時点で上から飛び降りた、若しくは落ちてしまったのは確実だ。

 身体の損傷から、警察は5階の3−C教室から姉が落ちたと判断したらしい。


 身内な為、知りたく無い情報も沢山聞かされたが今となってはそれも重要な参考情報だ。

 何故そんな事が分かるのか正直知りたくも無いが、恐らく解剖か何かでだろう。

 姉を解剖されるというのはそれまた何とも心苦しかったが、真相が判るなら、と警察に解剖を許可した記憶がある。

 闇堕ちしていた俺だが、その時も俺は姉が自殺するはずが無いと思っていたんだろうな。

 完全に「自分」という意思が消えていたわけでは無いと知り、少しホッとした。


 ……さて、本題に戻ろう。

 俺は現場を見て、真っ先にこれは事故では無いと確信した。

 3−Cの教室には、まず窓にある程度の高さの手すり? みたいなものがある。

 それが窓の丁度真ん中に位置しており、人間はその間をすり抜けることは出来なくなっている。

 生徒が誤って落ちないようにそもそも対策されていたのだ。

 じゃあ姉はどうやって死んだのか……というのは置いておこう。

 今重要なのは、姉は事故で死んだのではないという事だ。


 自殺でも、事故でもない。

 では、姉の死は何だったのか?

 ……これら以外に考えられるものは、一つだけ。


 他殺。


 本当は信じたくないし、考えたくもない。

 学校で殺されたのなら、犯人は姉の知り合いである可能性が極めて高いからだ。

 性格の良さからか、姉には友達が山の様にいた。

 ……友達の一人や二人位は完璧人間の姉に嫉妬や憎悪を抱いてもおかしくない。


 でも俺はその時、すんなりと理解してしまった。


 出来てしまったんだ。


 そうか。あの学校に関係する誰かが犯人か。


 じゃあ、とことん追求して追い詰めて、苦しみながら殺してやれば良い。


 俺の心の支えで、生きる希望だった姉を殺した奴は、十分殺される意味がある。


 そいつは姉からも、俺からも全てを奪っていったのだから。


 殺してやりたい。

 人に本当の殺意を初めて覚えたのはこの時だった。


 姉と同じ苦しみを与え、同じ言葉の呪いをかけてやれば、そいつはどんな風に許しを乞うて来るだろうか。その苦しんだ顔を見るまでは、満足など出来ない。

 まあ元々許してやる気など、さらさら無いのだが。


 そして犯人を庇ったであろう、七森校長も制裁を加える必要がある。

 あいつなら、警察や裁判の操作など容易いものだろう。

 きっと姉の死を権力行使で判決を自殺に終わらせて、何事もなかった様な阿呆顔を世間に晒しているはずだ。


 死ねない。

 死にたく無い。


 その顔を、ブン殴るまでは……!


 だから俺は姉が通っていた学校「八雲高校」に、入学した。

 姉の死の真実を知るために。

 そして犯人と七森に、鉄槌を下す為に。


 ……姉はそんなことはして欲しくないと言うだろう。

 「誰も悪くない。人間が争う様に出来た、この世界が悪いの!」と。

 そう、今ここで生きていれば。


 そんな、誰にでも優しい姉を殺したのだ。

 そいつに殺される価値は十分に有るし、姉の甘さに漬け込む様な人間など生きている意味すら無いとさえ思う。

 姉が許しても、俺は許さない。


 それに、姉が望まない事であってもこれは俺のための行動だ。

 決して姉の死の復讐のためでは無い。

 ただ俺の欲求不満を抑えるためだけの、傲慢故の行動だ。

 そこに慈悲など無いし、そもそも感情すら無いかもしれない。


 殺したい。

 ただそれだけが、無意識に頭の中を巡る。

 無感情のまま、殺戮する。

 自らへの恐怖も、後悔も無い。


 ああ、「殺す」って、案外こういう事なのかもしれない。

 

 今だけは殺人を嗜む犯罪者の気持ちも、分かってしまう気がした。

 それとは真逆に、姉を殺した奴と同じ気持ちなど全く味わいたくないとも思う自分もいる。

 人間の感情など、自分の事でもよく分からない。

 

 ……どうやら、俺の心を満たすまでの道のりは随分と長くなりそうだ。

 その事に気付いた俺は、無機質な溜息をゆっくり吐く。


 殺人犯の気持ちも、分かっている気になっていただけかもしれない。

 せっかく犯人が絞り出せるかと思ったのに、残念だ。


 だがどうしようも無いだろう。

 殺人動機など、すぐ分かってたまるものか。

 人の心は厄介な程に矛盾しまくっているのだから。

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