淵瀬に変わるとも

六月。

密かに楽しみにしていた、霊域れいいき探索の実習日。

なのに。


「なんでアンタと一緒なの?」

「そんなこと言われても」


初の実習だからとうきうきしていたのもつかの間。実習の班が神原と一緒になったことでやる気はだだ下がった。

しかも、余りで組んだから二人だけだし。

この前の席替えでやっと離れられたと思ったのに・・・。なんでまたコイツと一緒にいなきゃなんないの。

私がイライラして足元の土をガツガツと爪先で掘り起こしていると、申し訳なさそうに神原は口を開いた。


「ごめんね。でもね、久山さんと組めるのが僕しかいなかったんだから、しょうがないよ。」

「それはそうだけど・・・」


確かにスコアだけ見ればそうだし、なんなら神原と組めるのも私しかいない。悲しいことに。

戦闘訓練で私とコイツでぶっちぎり首位争いをしてる状態がずーっと続いていたから、他の人じゃ話にならないんだろう。

どうして、こんなに嫌いなやつと。


「・・・かと言って手を抜くのも・・・」

「久山さん?そろそろ実習始まるから急ごう?」

「わかってる!」


私は吐き捨てるように返事をすると、集合場所へと足早に向かった。なぜだか少し胸の奥がぎゅっと苦しくなった気がした。


集合場所である雑木林の入口に着くと、もうほとんどの学生が集まっていた。雑木林って聞いてたけど、ほとんど森みたいなものなんじゃないか。ぐるりと辺りを見回すと、皆の表情は心なしか暗いように見えた。不思議に思って首を傾げていると、不意に後ろから声を掛けられた。


「お前らが陰陽科の神原と久山か?」


くるりと身体ごと振り向くと、そこには日光を集めたような、キラキラと輝く白金色の髪を束ねた色白の美人が立っていた。声の感じからして多分、男子なのだろうか。


「あの、私たちに何か・・・?」

「?事前に説明されただろ?上級生が一人ずつ監督役に付くって。」

「ああ・・・」


そういえば、と思い出して頷くと、彼はスっと手を差し出した。


「俺は魔導科二年の平里。お前らの今回の実習の監督役を務めさせてもらう。よろしくな。」

「はい。こちらこそよろしくお願いします。」


私の悪評が広まっているだろうに、こんなに丁寧に対応してくれるなんて、優しい人で良かったなぁ。そう思いながら握手をすると、平里さんは


「ところで、」


と静かに呟いた。


「お前もソイツに勝ちたいんだって?」

「はい!・・・え?お前『も』?」


そう訊かれて私が思わず問い返すと、平里さんはスカイブルーの瞳を細めて、ニィーっとちょっと悪そうな笑顔になった。


「俺もコイツのことあんま好きじゃねぇんだよ。」

「え!?なんで!?」


平里さんがそう言うと、さっきまでニコニコとこちらを見ていた神原はとてもショックを受けていた。


「なんで・・・僕は・・・平里さんのこと、前から結構好きなのに・・・?」

「お前に好きって言われても嬉しくねーよ。・・・強いて言うなら怒んねーとこが嫌い。」

「怒らないって・・・。そんなことは」

「あるだろ。」


二人の会話を聞いて「たしかに」と納得した。たまにちょっと困ったような顔はしてたけど、怒ったり拒否したりは絶対にしてなかったな。


「確かに見てるとちょっとイラッとする時が何度かあったような」

「久山さんまで?」


神原はこれまたショックを受けたように悲しげな目で私を見た。最初から敵意向けてたのになんでショック受けてるんだろうコイツ。


「うーん・・・でも、そう言われても怒る程のこともなかったし・・・」

「は?どー考えてもたくさんあったろ?」

「そうかなぁ・・・例えばいつ?」

「花壇の手入れを押し付けられたうえにお前と桐生《きりゅう》だけだった時とか。」

「そんなこともあったっけ。でも皆、用事があるって言ってたし、しょうがないんじゃないかなって」

「お前・・・本気で言ってんの?」


呆れ顔で肩を竦める平里さんを横目に眺めながら、私は「マジで言ってるの?」と思った。それ絶対に押し付けられてるだけじゃん。なんで気づかないんだろう。それとも気づかないフリをしてるんだろうか。

なんで私たちが呆れてるのかちっとも分からない様子でアイツはオロオロと狼狽うろたえていた。私も何か言ってやろうと口を開いたその時、


「ダンジョンなんて行きたくない!」


と、誰かが突然叫んだ。そういえば、霊域のことをみんなRPGよろしく『ダンジョン』って呼んでたっけ。

でも・・・なんで行きたくないんだろう?

一次覚醒を済ませたなら権能、もとい『スキル』が使えるようになるし、丁等級の、しかも監督役のいる状態の霊域なんてそう手強いものでもないのに。


「あー・・・またか。」


平里さんがそう辟易へきえきした顔で呟いた。


『また』ってどういうことだろう?


そう思ってその子を眺めていると、他の子達も共鳴したかのように口々に同じ言葉を零した。「怖い」、とか「行きたくない」、とかそんな風な言葉を言っていた。何がそんなに怖いんだろう?なんでこんな万全の状態で怖がる必要があるの?


しばらくして、その子達は監督役の先輩達にどこかへ連れていかれた。「大丈夫だよー」とか慰められている声が聞こえたから、多分あの子達は今回の実習は見送ることになるんだろうか。


うーんと考え込んでいると神原が意外そうに「久山さんもこっち側の人間だったんだね」と平里さんに言っていた。平里さんはそれを聞いて「そうかもなー」とどうでもいいような返事をしていた。


「こっち側ってどういうことなの?」


私はつい気になって神原へ尋ねた。神原は少し驚いた表情をしてからにっこり笑ってこう答えた。


「簡単に言うとイカれてるってことだよ」

「ちょっと!」


あまりにもな言い方に私は神原をキッと睨みつけた。絶対違う。もしかしてわざと?


その様子を見ていた平里さんが呆れたように


「恐怖とか危険に対しての反応が鈍いってことだろ。説明すんならちゃんとやれ」


と神原を小突きながら補足してくれた。やっぱりこの人優しいな。


「うーん、でも残ったのは僕達だけみたいだし、ニュアンスが伝わりやすい方が良いかなあって。」

「だからって言い方ってものがあるでしょ!」


私はイラッときてそう怒鳴った。さすがに『イカれてる』は言い過ぎだもの。そんな風に怒りを露わにしていたが、平里さんが手をパンっと叩き合わせる音で我に返った。


「はい注目。今回残ったのは俺らだけみたいだけど、どうする?行くか?」


『俺らだけ』?その言葉にハッとして周りを見ると、あれだけいた生徒達はみんないなくなっていた。え?もしかして全員リタイアしたってこと?


「嘘でしょ?」

「びっくりだよねー。」

「まあ毎年こんなもんだけどな。」


平里さんはそう言って霊域の入口へ歩いていった。私たちが付いていくと、平里さんは入口のしめ縄に触れながら私たちに向き直った。


「この縄の先は丁等級とはいえ霊域だ。授業で習っただろうが、怪異側の領域だ。場合によっては命の危険だってある。それでも行くか?」


そう告げる平里さんの声は真剣そのもので、決して油断してはいけないと諭されているようだった。死ぬかもしれないし、何かを失うかもしれない。でも。だからってここで止まるわけにはいかない。


「久山さん?震えてるけど大丈夫?怖くなったなら戻ってても」

「はぁ?これは武者震いに決まってんでしょ」


そう言って私はニンマリとした笑みを貼り付けた。そんな些細なことで立ち止まるわけが無いのだと。私が一番怖いのは、アンタの代替品として終わることなんだから。


「話はまとまったみたいだな。じゃあ最終確認するぞ」


平里さんはそう言って上着のポケットからスライド式の端末を取り出した。平里さんがカタカタと何やら打ち込むと、端末はピピッと無機質な電子音を発した。


「じゃあ、まずは権能の確認。間違ってたらすぐに言ってくれ。」


「久山。権能:雷、攻撃適性」

「大丈夫です」


「神原。権能:雨、支援適正」

「問題ないよ」


「了解。じゃあ次に装備確認。メーター」

「付いてます」


「応急処置セット」

「あるよ」


「よし。・・・ああ、念の為これ持っとけ」

「これは?」

「簡易結界装置。お守り程度だけどな。ピンを抜けば発動するから、出しやすいところにしまっておいてくれ。」


平里さんは私たちに小指ほどの大きさの、銀製のペンダントを手渡すと、そう付け足した。薬莢の先に消化器のピンが付いたような見た目だが、刻まれた魔導回路が流麗な為か、さほど違和感がなかった。


「・・・平里さんはすごいですね。結界装置をこんなに小さくできるなんて」

「あまり強度は出ないけどな。せいぜい丙等級の攻撃を数回耐えられるか程度の代物だし」

「それでもすごいですよ」


私が感心して、素直に賞賛すると、平里さんは一瞬目を丸くした。そのままチラッと神原を見ると、何事も無かったかのように微笑んだ。


「それじゃ、行くか。お前ら、準備はいいな?」

「もちろん!」

「いつでもどうぞ。」


神原と私の返答を聞いた平里さんはしめ縄をくぐった。私たちもそれに続いて霊域内へと足を踏み入れた。


あの後、あんなことになるなんて。この時はまだ思いもしなかった。


---- -・- ・-


___霊域突入から数時間後。

私たちは西洋風の、茨に覆われた古い墓地にいた。墓石の裏に身を隠してなんとか息を整える。


「クソ!こんなの聞いてねぇぞ・・・!」


平里さんが焦りと混乱を抑え込んだような、怒気を含んだ声色こわいろでそう吐き捨てたのが聞こえた。それもそうか。てい等級だと報告されてた霊域におつ等級相当の怪異が住み着いていたんだから。

当初の予定では入口付近の、比較的怪異の少ない庭園エリアで実習を済ませる筈だった。なのに、アレが突然出現したせいで、こんな奥まで入り込んでしまった。


「どうしよう。もう霊力が基準値ギリギリしか残ってないや。久山さんは?」

「私も。平里さんは?」

「俺ももうない。」


腕に着けたメーターを見ながら、各々そう返した。なんとか撒けたとはいえ、出口まではかなり距離があるし、なんなら他の怪異だっている。

霊力も魔力も、どちらかが空っぽになると命に関わるから、これ以上の権能や魔導具を用いた戦闘は危険だ。


「救助が来る可能性は?」

「一応、突入から十五分経ったら教師陣が様子見に来てくれることにはなってはいるが・・・。この感じだと霊域内と外部の時間の流れが違いそうだからいつ来るかはわからない。」

「そっか。じゃあアテにはできそうにないか・・・。」


平里さんと神原は顔を見合わせてため息をついた。もしこの霊域の時間が数十倍に引き伸ばされているのなら救助を待つのは現実的では無いし、よしんば来たとしても乙等級を相手にできるだけの実力者がいるかどうか。ああでもない、こうでもないと三人で相談していると、突如ズシンっと地面が揺れた。


「何!?」

「久山落ち着け!・・・嘘だろ。アレは。」

「平里さん?・・・あ。」


平里さんの凝視している方向を見た神原はサッと顔を青ざめさせた。私も気になってそっちを向いてみると、そこにはさっきの乙級怪異よりもおぞましい何かがいた。視界に入った瞬間に、キンッと全身に悪寒が走り、喉が詰まった。

頭が重いのか、ぐらりぐらりと揺れる長い首。だらりと、首の中程から垂れた長い腕。腕に見合わない短くて大きな鳥のような脚。そして、全身を覆う黒い魚のような鱗。

実習前に参照した怪異のデータベースにこんなヤツのデータは無かった。これって、もしかして。


「新種・・・?ここにはそんなのいない筈だろ!?」

「そんな・・・!」


平里さんと神原は焦った様子だ。私は対峙経験がないから、未確認個体の危険度が理解出来ない。しかも、恐怖で四肢に力が上手く入らないこの状況では、私はただのお荷物にしかならない。せめて余計なことをしないように気を付けないと。神原はともかく平里さんを危険に晒したくは無い。なんとかこの状況を打破する術を考えないと。

何か、ないかな・・・何か・・・


「・・・あ。」

「久山?どうした?」

「あの。私たち陰陽師にも一応魔力ってあるんですよね?」

「ああ、異能者には程度の差はあれ、両方備わっているからな。・・・急にどうしたんだ?」

「いえ、ちょっと。魔力メーター貸して貰えませんか?」


平里さんは、訝しげな表情で腕からメーターを外すと私に差し出した。私は受け取って腕に巻くと、メーターの数値を見て確信した。


「これなら・・・!」

「久山さん、もしかして何か思いついたの?」

「そう。だからアンタも測って。」

「?わかった。」


ぶっきらぼうな口調でメーターを差し出すと、神原はちょっと困惑気味に受け取った。


「数値いくつ?私二七五〇。」

「ええと、二二五〇。・・・あれ、結構高い?ってことは。」

「やっぱり。平里さん!」


私が呼びかけると平里さんは渋い顔をしていた。勝手に神原にもメーター渡したのが嫌だったのかな。


「久山、もしかしてお前らが魔導具使おうとしてないか?」

「そうですけど。」


メーターを返しながらさらっとそう言うと、平里さんは額を押さえて俯いてしまった。なにかマズいこと言っちゃった?


平里さんはそのまましばらく唸っていたが、やがて腹を決めたように「よし」と言って私たちに向き直った。


「どんな魔導具なら使えそうなんだ?」

「え、良いの?監督責任とかで問題にならない?」

「他に方法も思いつかないしな。それに生きて帰れなきゃそもそも責任もないだろ。」

「平里さん・・・。やっぱり昔からなんだかんだ優しいよね。僕は拳銃っぽいのがいいな。」

「余計なこと言うな。」


平里さんは神原の言葉にぶっきらぼうに返すと、上着の内ポケットをゴソゴソと漁り出した。


「これとかどうだ?」


平里さんは白いステンレスのような質感の、拳銃のような形の、箱と板をいくつか組み合わせたようなものを取り出して神原に見せた。どう見てもポケットの大きさに入らなそうなんだけど、どうやって入っていたんだろうか。

平里さんが陰陽師なら、結界術の応用で納得できるんだけど。魔力では基礎はできても応用はできないから、不思議だな。陰陽師に師事していた経験でもあるのだろうか?


「ありがとう!これ使わせてもらうね!」

「ん、じゃあ次。久山は?」

「あ、じゃあ和弓みたいなのってありますか?矢は魔力で出す型の。」

「ちょっと待ってろよ。それなら・・・。」


平里さんはそう言うとポケットからズルっと弓を取り出した。『不思議なポッケ』みたい。本当にどうなってるんだろう。このポケットも魔導具なのかな。


「弓本体と弦に陣が組み込まれてるから魔力通すだけで矢が出てくるようになってる。ただ、属性切り替えの機能は付いてないからその辺は自分で調整するしかないが・・・。」

「そのぐらいなら大丈夫です。」


私は平里さんから弓を受け取ると、まじまじと弓本体に彫り込まれているの魔導回路を観察してみた。私の背の丈程もある白木の和弓に、レースのような精緻な模様。そしてその中に無駄なく織り込まれている回路。私はその完成度の高さに感嘆しながらも、魔力操作の基本を思い返した。


ゆっくりと体の熱を手元へ集める。じんわりと手が温かくなってきたらそのまま魔導具へ熱を受け渡す。たったこれだけ。あとは各々で努力するしかないらしい。霊力操作も似たようなものだから、異能力ってそんなものなのかも。ただ、霊力はあくまで体内で回してるから速度は気にしたことなかった。なら、と思って、ゆっくりを意識して魔力を手元へ集めてみた。・・・霊力違ってちょっとあったかい。心地いいな。


私がその新発見にちょっとワクワクしてると、ふと隣で練習してる神原の様子が目に入った。


「神原!危ないから俺の手掴んで練習しろ。ゆっくり込めないと爆発するから。」

「え、爆発?・・・なるほど!わかった、いざという時は一気に魔力込めれば良いってことだね?」

「違うっての!」


どうやらいつもの霊力操作と同じ速度で魔力操作をしようとしたらしく、平里さんに小突かれていた。

いざってときって・・・自爆でもするつもりなの?

うわぁ、と若干引いた顔で様子を眺めていると神原と目が合った。


「あ、久山さんはもうできるようになったんだね。すごいなぁ。」

「別に。たまたま基礎覚えてただけだし。」

「それでもすごいよ。魔力なんて普段使わないのに。」


にっこりと屈託のない笑顔で賞賛されると、相手がコイツでもちょっと嬉しいと思ってしまった。駄目、絆されないで。私。


「神原ー?時間ないからこっちに集中しろ。この流れを覚えとけ。」

「あ、うん。・・・随分ゆっくりなんだね。」

「体内循環と同じ速度じゃ魔導具の強度が足りないからな。久山は・・・驚いた。魔力操作が上手いんだな。ロスも少ないし。」

「あ、ありがとうございます。」


平里さんは神原の手を掴んだまま、感心したように私の手元を眺めた。本職の人に褒められると嬉しいな。上手くできててよかった。


なんとしてでも、ここから生きて帰らなきゃ。このまま死ぬ訳にはいかない。まだ、やるべきことは山積みなんだから。

私はそう自分に言い聞かせて、そして覚悟を決めた。


・- ・-- -・ ・・ 


___それから十五分後。


なんとか魔力操作のコツを掴んで及第点をもらった神原と私は、例の新種に見つからないように墓石を利用しながら墓地を進んでいた。このまま見つからずに抜けられたら良いんだけど。


「久山さん大丈夫?・・・平里さんも一緒に来られたら良かったんだけど・・・」

「ほんとにね。でも本人があそこまで頑なに動かないんじゃ仕方ないもの。」


平里さんは、私と神原が魔力操作を問題なくできるようになったことを確認すると、その場に残ることにしたようだった。神原が説得しようとしてたけど、結局は平里さんの気迫に押されて言い負かされていた。

護身用のナイフがあるとは言ってたけど、ただのナイフ一本であの場に留まるだなんて危険すぎる。急いで脱出して助けを呼ばないと。

それにしても、平里さんはどれほどの修羅場を潜ってきたんだろう。確実に死線を越えてきた人間の目をしてた。無事に帰れたら教えてくれるだろうか。


・・・とにかく、今は早くこの霊域から抜け出すことが第一だ。いくら平里さんが実戦慣れしてるとしても、魔力切れの状態で長時間持ちこたえられる訳ないもの。


「・・・あ、久山さん止まって。枯木霊トレントだ。」

「距離は?」

「二十メートルくらい。・・・大丈夫、気付かれてないみたい。」

「そう。じゃあなんとかやり過ごして・・・」


先に進もう、と言いかけたところで、後ろから大きな雄叫びのような、あるいは悲鳴のような声がした。ハッとして振り向くと、あの新種がこちらに向かって来ているのが小さく見えた。


「やば!来てる!」

「こっちも気づかれた!」


このままだと挟み撃ちにされる。でもまだ距離は開いてる。なら___!


「神原、交代!」


前にいた神原を押しのけて弓を構える。新種はともかく、こちらの枯木霊の弱点はわかってる。普通の怪異より足が速いとはいえ、基本系統が樹木系なら燃やせばいいだけだ。

魔力を込めて矢をつがえる。切り替え機能がない以上、属性付与は自力でやるしかないけど私はその方法を知らない。だから。


「・・・久山さん!?嘘でしょ!?」


焦る神原をよそに、私は魔力の上からさらに霊力を乗せる。薄く、無駄にリソースを割かないように、慎重に。


「・・・ッ!」


残り十メートルほどのところまで引き付けたところで矢を放つ。私の雷を載せた魔力の矢は、バチバチと火花を散らせながら、トレントの空っぽの洞に吸い込まれていった。

バンッ、と大きな音を立てて、枯木霊は思ったよりもよく燃えた。そのまま倒れ込むと、しばらく枝や根をジタジタとしていたが、やがて動かなくなった。倒せて気が緩みそうになるのを押さえて、ぐるりと後方へ向き直った。

問題はまだ解決していない。

そのまま弓を構え直すと、同じく新種の来る方向へ銃を構えている神原が見えた。神原は何か言いたげにこちらをちらりと見ると、そのまま何も言わずに照準を合わせることに集中しだした。


残り三十、二十五、二十メートル・・・のところまで新種が近づいたところで急に


ドンッ


と新種の足元で何かが爆発した。何が起こったのか分からなくて、新手の怪異が現れたのかと焦っていると、墓石の隙間から白金色の髪が見えた。


「平里さん!?」

「あっ!バカ!声出すな!」


思わず私が叫ぶと平里さんは焦ったようにそう返した。しまった、と思った時にはもう遅かった。新種は平里さんに気付くとそのまま目標を平里さんに変えた。とても見た目からは想像できないスピードで平里さんに襲いかかる。今から矢を放っても、神原が銃を撃っても間に合わない。このままじゃ平里さんは・・・!

私のせいだ・・・!


「・・・仕方ねぇな。これでも喰らえ!!!」

「え?」


平里さんが何かを投げつけるとまた新種の足元が爆発した。でももう魔力なかったはずじゃ?まさか手榴弾でも持ってたのだろうか。


でもあの怪異相手にそれだけじゃ、平里さんが危険だ。


そう思って、援護をするべく脆そうな首目掛けて矢を放つ。しかし新種はグルンっとこちらを向いて、そのまま首をしならせ矢を叩き落とした。しまった、と思った。しかも、今のを外したせいで私に狙いが向いてしまった。


怪物は唸り声をあげて私を見据えると一瞬動きを止めてニタリ、と口角を上げて笑った。まるでずうっと捜し求めていた獲物を見つけた捕食者のようだった。新種はそのまま首をもたげると、こちらに一直線に向かってきた。


「・・・このッ!」

「ギャァァァァァァァ!!!」


神原が新種の足元を撃ち抜いた。新種は痛みに叫び声をあげながらも、足を止めずに一直線に駆けてきた。どんどん私と怪物の距離は縮まっていく。避けなきゃいけないのに足が固まって動けない。もらったペンダントを使わなきゃ、とも思うのに手は弓にくっついてしまったように離れてくれない。

まばらに生えている黒い毛の隙間から、黒く淀んだ金の瞳が覗いているのが見えた。遠くで二人が何か叫んでるのが聞こえる。

ゆっくりと揺れていく視界の中で私は、ただただその眼を眺めることしかできなかった。



ごめんなさい、やっぱり私は駄目な子だった。

どうせ何も変わらないんだ。


-・ ---・- -・-- ・-・-- 


「まだ諦めるには早いと思うよ。」


その声が聞こえた直後、突然瞼の裏が白くなって怪物の叫び声が聞こえなくなった。

恐る恐る目を開けると、そこにはあの怪異ではなく、見覚えのない銀縁眼鏡の男性がこちらを見ていた。首筋まで伸びる黒い髪と優しげな黒い瞳。そしてこの人のためだけに誂られたであろう着物には風車のような紋があしらわれていた。


「風早様!?なんでここに!?」

「ああ、平里。気になってつい。来ちゃった。」

「来ちゃった!?」


風早?

風早家といえばたしか、陰陽師の三大家門のひとつだったはず。そして現状で『風早』を名乗ってるのは当主だけだ。

ってことはこの人が___!?なんでそんな大物がここに!?

しかも、平里さんと親しそうだし。平里さんって何者?


私があまりの情報量にぽかんとしていると、涙目の神原が駆け寄ってきた。


「怪我してない!?大丈夫!?」

「あ、神原・・・。」


なんでか分からないけど、神原の顔を見たらほっとして膝から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。神原は突然のことにおろおろと狼狽えながらも手を差し出した。


「怪我したの?立てなさそう?大丈夫?」

「いや・・・」


そんなに心配しなくても、と思った。なんで神原はこんなに私のことを心配してるんだろう。少なくとも神原にとって私は、嫌な人間なのに。悔しい。どうして私は神原みたいになれないんだろう。どうして?


そもそもどうして私は神原に成り代わらなければならないなんて思い込んでいたの?


少し考えた後、私が神原の手を握って立ち上がると、神原は少し嬉しそうな表情ではにかんだ。なんでそんな顔をするの?やっぱりおかしいよ。

少し離れたところで平里さんと風早様が話してるのが見えた。・・・平里さんって、もしかして名家の出だったりするのかな。


「久山さん?・・・あ、風早様が気になるの?挨拶しに行こっか。」

「私が行っても迷惑じゃないかな。だって、」

「大丈夫だよ。行こう!」


神原はそう言って私の手を引っ張ると、二人の方へゆっくりと歩き出した。


「風早様!」

「あ、神原くん。・・・大きくなったね。『様』じゃなくて『さん』で良いよ。あ、飴食べる?」

「あはは、いらないです。先程はありがとうございました。」

「良いよ、気にしないで。こういうのは大人の役目だから。・・・ところでそっちの子。大丈夫そう?」

「え、あ、はい!おかげさまで・・・」

「それは良かった。お名前は?君も飴いる?」

「久山、です。飴、は・・・大丈夫、です。」


急に話を振られてびっくりした私はかなり挙動不審に見えたに違いない。ああ、普段ならもう少しマシな反応ができたのに!あーもーどれもこれも神原のせいだー!

むぅ、と少しむくれていると平里さんに突然担ぎあげられた。ひょいって感じで軽々と持たれた。どこに筋肉しまってるんだろうか。


「風早様。まだこの二人は一年生なので今から目を付けるのは止めてやってくれませんか。」

「うーん。でもなー。有望株は早めに確保しておいた方が良いと思うんだけど。」

「時期を考えて下さいって言ってるんですよ。今からプレッシャーをかけられたら出る芽も出ないでしょう。」

「・・・それもそうだね。ああ、そうだ平里」


ちょっと、と離れようとする平里さんを呼び止めて、風早様は袖口をごそごそと漁ると紙片を二枚取り出した。


「霊符、使ったんでしょ?予備に持っておきなさい」

「げ。まさか見てたんですか?」


担がれたままちらっと顔を覗くと、平里さんはめちゃくちゃ嫌そうな表情を浮かべていた。っていうかあの爆発は霊符だったんだ。・・・え?霊符?


「見てないよ。ただ平里の霊力の残滓がすごいから・・・。」


風早様が笑いながらそう言うと平里さんはさらに嫌そうな顔をした。


「平里さん、霊力操作できたんですね。風早様に師事してたんですか?」

「あ〜・・・ちょっと昔な。」


歯切れが悪そうにそう言うと、平里さんは渋々霊符を受け取っていた。昔は陰陽師志望だったとか、陰陽師の血筋とかなのかなぁ。


「そういえば入口付近に乙等級の怪異いましたよね?どうしたんですか?」


神原が思い出したようにそう尋ねると、風早様はすっかり忘れていたようにそういや居たね、と返した。

もしかして乙等級くらいじゃ記憶に残らないってこと?どれだけ強いんだろう。


「久山さん、風早様はこの間甲等級から此岸級になったんだよ。」


そう思っていると、顔に出ていたのか神原がコソッと教えてくれた。そういえば異能者や怪異は基本的に甲乙丙丁で等級分けされている。けれど、そこの枠組みに収まらないほどの力を持つ者を異能者側は『此岸級』、怪異側を『彼岸級』と呼ぶと習ったっけ。


「・・・実在したんだ、此岸級って。」

「ね。歴代でもまだ三人目らしいし。」

「他の二人はいつの人なの?」

「平安だよ。ほら、あの二人。」

「あー、あの有名な。」


神原と二人でそんなことを話していると、風早様が「やっぱりあの二人欲しいな・・・」と呟いて平里さんに「ダメですよ」とたしなめられてるのが聞こえた。


「あの、風早様」

「さんで良いよ。どうしたのかな?」


風早様はなんだか嬉しそうに、満面の笑みで私に目線を合わせてそう言った。私は話しかけても大丈夫そうで、ほっとして、


「えっと、なんでさっきから神原はまだしも私のことも欲しがってるんですか?」


と聞いてみた。さっきから気になってたんだよね。


「えぇーっと、それは」


風早様は言葉に詰ったようで、なぜか視線をぐるぐると泳がせた。目線だけとはいえ、目が回らないのかな?そう思って風早様を眺めていると、平里さんは私をそっとおろした。


「・・・それh痛ァ!?」


風早様が口を開いて何か言おうとした途端、バチンッと音がするほどすごい勢いで平里さんが風早様に平手打ちした。


「まだ何も言ってないよ!?」

「はいはい」


平里さんは適当そうに返事をすると


「さっさと帰るぞ。この状態で霊域に留まりたくねぇ」


と言って私と神原の肩をポンと叩くとスタスタと入口の方へ歩き出した。


「いたた・・・平里?ねぇ、なんでぶったの?」

「久山も神原も戻ったら報告の前に医務室行っておけよ。帰還報告は俺と風早様でやっておくから、心配すんな。」

「無視しないでよ、平里?ちょっと。」


平里さんは風早様を無視してスタスタと先頭を歩いていく。なんか風早様って想像してたより子供っぽい人なんだなぁ。そんな二人の様子を後ろから眺めながら歩いていると、なんだか先刻までの緊張感が嘘だったように思えてくる。生きてて良かった。


・・・そういえば、あの新種って結局なんの怪異だったんだろう?そんな疑問を残して私達の初実習は幕を閉じたのだった。

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