第14話 甘さより好奇心が勝つ新婚生活の始まり①

 翌朝の目覚めも、スッキリしないものだった。昨日と違って過去の嫌な夢は見なかったのだが、昨夜就寝する前にあれこれ考えていたせいだろう。決して快眠出来たとは言えず、ノーラは目をしぱしぱさせながら身体を起こした。


(ああ……。どうしてハッキリと断りきれなかったの、私……)


 ロイドの魔法講義に参加するという件だ。好奇心が邪魔をして、「結構です」と辞退することが出来なかった己を恨む。一夜明けてその後悔はますます強くなっていた。


「ノーラ様、おはようございます」


 ハンナが部屋へ入ってくる。朝の身支度をするため、ノーラものそのそと寝台から出た。


「おはよう、ハンナ。……ねえ、今日からの予定の件だけど」

「魔法講義の参加についてでしたら、アンガス様もマリエッタ様もたいへん喜んでおられましたよ」


 ノーラがそのことを切り出してくると予想していたのだろう。少し困ったような顔をしながらもすぐさま返答してきたハンナに、やっぱりそうよねと諦めの息を吐く。


(もうしょうがない。体質がバレないよう、私が気を付けていればいいんだもんね。幸い、ロイド様は私に全く興味を持っていないわけだし)


 そこが唯一の救いなのだ。改めて、この結婚の相手が妻に無関心な人で良かったと思う。


(さて、それじゃあアレ、、をやってみないと)


 着替えを用意するハンナにおとなしく身を委ね、夜着を脱いだところで、ノーラはハンナにあることを願い出た。


「あのね、ハンナ。ちょっと試してみたいことがあるんだけど、手伝ってもらえる?」

「はい、何なりと」


 窓から射し込む朝日に指輪をかざす。ロイドの魔法はしっかり持続しているようで、あの不快感や息苦しさはやはり今も感じられない。


「この指輪の効果を確かめてみたいの」

「指輪の効果、ですか?」

「そう。これには、装着者の周辺にある魔力の流れを操作する魔法がかけられている、って話だったでしょ? そのおかげで私は、この土地の濃い魔力に酔わずに済んでいる。……その魔力を操作する魔法というのが、どこにまで作用するのか知りたくて」

「……?」


 ハンナには難しかったらしく、首を傾げる。魔力を持たない彼女には、魔法や魔力の流れに関する話がいまいちピンと来なくても当然だ。


「えっとつまり、私以外に対してもこの指輪の効果があるか知りたいの。この指輪をしたまま魔法のかかった物や人に触れた時、もしかしたらいつものおかしな現象が起こらない……なんてことになったりしないかなって。魔力の流れをいじる力があるのなら、そういうことも出来たりしないのかしらと思ったのよ」


 説明を付け加えたことで、何となくイメージが湧いたようだ。「なるほど……」とハンナが頷く。

 そうは言っても、そんなに都合良く事が運ぶとは思っていない。だが、今日からロイドたちと過ごす時間が増えるということは、それだけ人と接する機会が増えるということなのだ。極力気を付けるけれど、万が一誰かに触れてしまうような事態に陥ったとしても、この指輪が何らかの効果を見せて、ノーラの秘密が露見することを回避してくれたりしないだろうか……なんて期待してしまったのである。


(あくまでも、そうだったらいいなの仮定なんだけど)


 ただ、試してみるに越したことはないと思うのだ。


「それで、魔法のかかった魔道具を一つ、実験に使いたいの。確か、昨日の朝ハンナが持ってきてくれた水差しがそうだったなと思って。ほら、中身を注いだ後すぐに、自然と水が湧き出して水差しがいっぱいになっていたでしょ?」


 その時はまだ指輪をしていなかったため、水差しが持つ魔力に一瞬気持ち悪くなったのだ。それでちらりと見た時に、注がれた分の水がきちんと元に戻っているのが視認出来て、魔法によって水量が復活していたのだとわかったのだ。


「この指輪をした状態であの水差しに触れてみて、魔法が無効化されるかどうか試してみたいのよ」


 溢れ出る水を消し去らずに済んだなら、指輪の効果がノーラ以外にもあるということ。水が消えてしまったなら、これまで通りノーラが触れると魔法が無効化されてしまうという事実は変わらない、ということだ。


「というわけであれは今、どこにあるのかしら」

「それでしたら先程ちょうどお持ちしたところで、隣の部屋に置いてあります。少々お待ちください」


 そう言って、ハンナはキビキビとした動きで隣の部屋へ行き、すぐに水差しとグラスをいくつか持って戻ってきた。


「こちらでよろしいですか?」

「うん。ありがとう」


 たっぷりと水が入ったガラス製の水差しが、寝台脇の台に置かれる。念のためハンナが中身をグラスに注いで減らすと、水差しは一瞬青く光った後、すぐに湧き出た水でいっぱいになった。


(よし。ちゃんと魔法が発動しているわね)


 今日は指輪のおかげで、近づいても気持ち悪くならない。じゃあやるか、と姿勢を正す。


(指先で一瞬触れるだけなら、失敗しても大丈夫だもんね)


 魔法の無効化や魔力を奪ってしまう現象は、触れていた時間に比例する。一瞬触れるだけなら対象の回復はそれなりに早くなるし、自分の具合が悪くなるのも短時間で済むのである。

 だから、一瞬だけ。素早く行えば問題にもならないはず。


「それじゃあハンナ、もう一度水を注いでくれる?」

「はい」


 トプトプと、水差しの中身が並べられた複数のグラスに注がれていく。

 全て注ぎ終わり水差しが空になると、また青く光って魔法が発動し、底から水が湧き始めた。

 ノーラはすかさず、その水が溢れ切る前に指先をそっと近づけた。


「……」


 そおっと、周りのガラス部分に触れる。


 ――その瞬間、胸に不快感が込み上げ、同時に青い光がフッと消えた。次いで、溢れ出していた水もみるみる引いていく。

 瞬きをする間に、水差しは空になった。魔法が消えたのだ。無効化されて、補充されるはずだった水も消えてしまったのである。


「駄目かぁ……」

「消えちゃいましたね……」


 ノーラが指先を離すと、それと共に不快感は消え去った。同じタイミングで水差しがまた青く輝き、底に水が湧き出していくのを諦念して見つめる。


「この指輪に施された魔法は、あくまでも私の周囲の魔力にしか効果がないということなのね」


 ノーラ自身が触れた対象に関しては効果範囲外なのだ。いつものように魔法は無効化したし、気分も悪くなったのだから。


「それじゃあ今まで通り、迂闊に魔力のある物や人に触れないよう細心の注意を払わなくちゃならないわね。……まあ、それがわかっただけでも良かったわ」


 やはり、この身体が抱える問題はそう簡単に改善されるものではなかった。残念ではあるが、呼吸がしやすくなっただけでもありがたいと思っておくべきだろう。


「協力ありがとうね、ハンナ。……それにしても、水差しにまでこんな魔法を施しているなんて、アルディオン家はすごいわね」

「この水差しの魔法は、ロイド様が施されたそうですよ」

「そうなの?」


 残りの身支度をしようと動かし始めた手を止める。


「はい。使用人たちの負担を少しでも減らすように、ロイド様が屋敷中の水差しにその魔法をかけてくださったそうです。昨日最初にこれを渡された時、メイドが教えてくれました」

「へぇ……」


 使用人の一日の仕事は多い。細かなことから大きなことまで、やることは多岐に渡っている。

 水差しの水の補充くらい、大した仕事ではないと捨て置くのは簡単だろう。だがこの広い屋敷で中身の補充に動くのは、地味だが時間のかかる仕事だったりするはずだ。


(些細な手間でも、減らしてあげる――そう気にかけるだけでも、使用人たちの心証は変わる)


 そしてそういった積み重ねは結果として、主人を敬う気持ちにも現れてくる。どんなに変わり者だろうと、下の者を想える主人は尊敬される。


(ロイド様は、それを心得た上でしているのかしら)


 なんとなく、そうではないだろうなと思った。ノーラに魔法をかけてくれたのと同じで、「自分に出来ることだからした」程度にしか思っていないような、そんな気がするのだ。


(この短期間だけで人柄を決めつけるのは、早計かもしれないけど)


 甘く見ているかもしれない。でも、初めて自分に親切にしてくれた貴族というだけで、ノーラの中ではかなり高い評価をしてしまっているのだった。――もちろん、性格面には目を瞑っているけれど。


「想像していたよりも、色々な気配りが出来る人みたいね」


 ちょっと失礼な言い方だったかもしれないと思っていると、ハンナが真面目な顔で頷いた。


「この屋敷には、そのようにロイド様が携わったおかげで便利になったことが、たくさんあるのだそうです。ですから使用人たちは皆、ご当主様を心から尊敬しているのだと思います」


 ノーラの甘い評価を肯定するように、ハンナはそう言った。


(尊敬……か)


 不思議な人。ノーラはぽつりとそう呟いた。

 これまでに聞いてきた評判と、実際に目にした彼の姿、それから周りの人々の声。

 全くもって掴みどころのない人だと、ノーラは改めて思ったのだった。


 



 

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