第9話 ロマンチックとは程遠い求婚②

 一通り身支度を終えたところで、また扉がノックされた。今度は私室から外の廊下に繋がる扉だ。

 ハンナが確認をしに行き、戻ってくる。少々戸惑いを滲ませた表情に、何かあったのかと自然とノーラの全身に緊張が走る。


「アンガス様とマリエッタ様、それからウォル様がお越しになっています」

「……昨日、やっぱり何かやらかしてたかしら」


 すぐ自分の失態の可能性に繋げるのは良くない癖だとわかっているが、ついそういう方向に考えてしまう。だが、ハンナは否定した。


「何か重要な物をお持ちになられたみたいです」

「重要な物?」


 室内に招くと、一定の距離を保って並んだ三名は、昨日のようにどことなく硬い表情をしていた。ピシリと張り詰めた空気の中、ウォルが意を決したように話し始める。


「朝早くから押しかけて申し訳ありません。ロイド様がこちらを早く持っていくようにと仰いまして……」

「もう起きていましたから、大丈夫ですよ。それより重要な物というのは、ロイド様が持っていくようにと仰ったそれのことですか?」


 自分の失態云々ではなさそうだということに安堵しつつ、ウォルが慎重に抱えている小箱を見る。ウォルは苦い物でも食べたように口を真一文字に結び、「……はい」と声を絞り出した。


(ずいぶんと高価そうな箱だけど、何が入ってるんだろう)


 箱をじっと見つめ、姿勢をピンと正しつつも気まずそうな表情の上級使用人三名。その姿に、昨日公爵邸に着いたばかりの時のことを思い出してしまうのは、ロイドの名が出たからだろうか。


「せめてご自身でお渡しくださいと申し上げたのですが、ロイド様は急遽仕事が増えたとのことで、明け方まで作業をしておられまして……」

「まあ、それは大変でしたね」

「……はい。それで作業を終え次第休まれてしまわれたのですが、眠る前に『こういう物は早く手続きを進めた方がいいのだから、さっさと持っていけ』と言い残していかれて」


 主人に命じられ、ウォルたちは仕方なく主人のいない状態で来たということだ。


(私としてはロイド様が来なくても全く気にしないんだけど、この人たちはそういうのをすごく気にするみたいね)


 昨日もそうだった。ノーラの出迎えに現れなかったロイドについて、申し訳ないと彼らは頻りに謝っていた。ノーラに対して本当に気を遣ってくれているのだなとは感じていた。


「中を拝見しても?」

「……はい。ご覧ください」


 主人から持っていくよう命じられたというのに、出来れば渡したくないといった様子のウォルを不思議に思いつつ、ハンナが箱を受け取ってノーラの前で開けるのを見守る。

 贅を凝らした装飾に彩られている小箱が、ゆっくりと開かれる。内部のベルベット素材の布地の上に置かれていたのは、一枚の紙だった。


「これは……」


 ウォルたちが息を呑む。彼らからの痛いほどの視線を感じながら紙を取り出して広げると、そこにはいくつかの誓いの文言が記され、下部にはロイドによる直筆の署名があった。

 世間知らずのノーラでも、さすがにこれがどういった物なのかはわかった。


「……婚姻申請書ですね?」


 結婚をするために必要な書類だ。これを教会に提出して受理され、許可証が発行されれば結婚が認められるのだと聞いている。


(なるほど。確かに重要な物だわ。だから皆さん緊張している感じだったのね)


 それならば納得がいく。これを届けるだけなのだから当主の従者だけで十分そうなところを、家令と家政婦長まで一緒に来たのは少し大袈裟すぎる気もするが。


(ロイド様の分は記入が終わっているから、後は私が署名をすればいいってことよね)


 ハンナに書くものを持ってくるよう指示を出そうと顔を上げた時、居ても立っても居られなくなったかのようにウォルが一歩進み出た。


「あ、あの、このようなかたちでお渡しすることになり、申し訳ありません!」

「……え?」


 突然三人に頭を下げられ、ノーラは驚く。なぜ謝られているのか。


「えっと……?」

「こんな重要な書類を、教会ではなく私室で……しかも当人からではなく従者の私からお渡しすることになってしまい、本当に申し訳ございません」


(……あ)


 そういうことかと、ノーラはようやく皆の様子がおかしかったことに気付いた。


(普通はこんなにラフな感じで渡されるものじゃないのね……⁉︎)


「教会ではなく」と言っていたから、普通は結婚式を執り行う際、教会で署名するものなのだろう。その〝普通〟にあまりにも逸れたやり方だったから、ウォルたちはこんなにも恐縮しているのだ。

 だが、〝普通〟がわからないノーラにとっては、そんなふうに頭を下げてもらうようなことではないのだった。


「あの、顔を上げてください。私は全然気にしていませんから」


 顔を上げたウォルが、衝撃を受けたような顔をしている。


(えっ、そんなに驚くようなこと言った⁉︎)


「で、ですが……、婚姻申請書ですよ?」


 なぜか怯えながら言われる。この渡され方は、そんなに異常なのだろうか。ちらりとハンナを見遣るが、彼女も非常に気まずそうな顔をし、目が合った途端逸らされた。

 どうやら、だいぶ異常らしい。


(……困ったな。本当に気にしてないんだけど)


 そもそも、〝普通〟に則るならまず結婚式を挙げなくてはならないのだ。だがこの結婚に際して、そういった話は一度も出ていない。ミディレイ家側はノーラの体質が露見する機会を恐れ、式を挙げることを望んではいなかったからだ。

 対するアルディオン家側も、その点について申し出てくることはなかった。当人のロイドが煩わしいと思っていたからだろう。互いの利害が一致して結婚式の話は流れたと思っていたのだが、ロイドを除く家人の考えは違ったのだろうか。


(多分、少なくともこの人たちは、結婚式を挙げることを考えてくれていたんでしょうね)


 だからこんなにも慌てているのだ。しかし、ノーラとしては結婚式のことは流してくれた方がありがたいのである。


「本当に気にしていません。ほら、私はこの通り身体が丈夫ではありませんし、大規模な式に出席するのは向いていないのです。ですから結婚式は必要ありませんし、申請書はここでササッと書いてしまおうと思います」

「ササッと……」


 ササッとは余計だったかもしれない。すぐにでも署名して終わらせてしまいたい気持ちが言葉に乗ってしまった。

 モタモタしていると粘られてしまうかもと思い、ノーラはハンナに呼びかけた。


「ハンナ、書くものを用意してくれる?」

「はい」


 ハンナが動き、ウォルがまた慌てた。


「ノーラ様、ここは怒ってもいいところです!」

「えっ」


 頭痛がするのか、ウォルがこめかみを押さえながら、言葉を選ぶように絞り出していく。


「……ロイド様はたいへん優れた魔導士であり、アルディオン公爵家の立派なご当主ではありますが、このように時々……いえわりと、常識から外れた行動を取ってしまわれることがありまして。恐れ多くも私ですらたまに『ここはこうした方が良いのでは』と進言する機会があるくらいですので、ノーラ様はもっとご自分の意見を申されても良いのですよ」

「……えぇっと……」

「こちらは結婚の申請のために必要な大事な書類です。本来であれば教会で開かれ、新郎新婦が並んで署名をする神聖なもの。それをこんなにも無造作に差し出されたのですから、納得がいかないと不満を口にされても誰も責めやしないところです」


 必死に説得される。ノーラは全く怒ってなどいないのだが、どうしてだかウォルが代わりに怒ってくれていた。


「ご不満があるようでしたら、その旨きちんとロイド様にお伝えします。奥方様に対してもう少しご配慮を、と何度言っても聞いてくださらないのですが、ご本人からも苦言があったと伝えれば少しは考えを改めてくださるかもしれません」

「…………」


 ノーラは段々、この人たちは普段からとても苦労してるんだろうな、と同情し始めた。

 仕える主として、ロイドへの尊敬の気持ちは確かに持っているのだろう。だからこそノーラに毎度フォローの説明をしてくれるのだから。だが人として難が――主に常識的な考え方の相違などが――ありすぎて、そちら方面では苦労が絶えないんだろうなと察した。

 しかし、やはりここはノーラも譲れないところなのだった。善意で言ってくれているのはわかるが、全てが台無しになる危険性のある結婚式なんて、執り行ってほしくない。

 ハンナが戻ってきたのを視界の隅に入れ、ノーラはしっかりとウォルを見据えた。


「お気遣いいただき感謝します。ですが私は、本当にこのままで良いのです。怒っていませんし、不満も全くありませんから」


 目で合図し、ハンナからインクとペンをさっと受け取る。


「では」

「あっ」


 ウォルだけでなくアンガスたちも思わず「あ」と口にしたのを耳にしながら、ササッとペンを走らせた。ノーラ史上最速で署名をし、ウォルに差し出す。


「お手数をおかけしますが、教会へ提出していただけますか?」


 にっこりと微笑むと、ウォルが呆気に取られたように口を開けたまま動きを止めた。


「ノーラ様……」

「ではこちらの箱もお返しし……、あら?」


 返そうと持ち上げた小箱の中で、小さな物体がコロンと転がった。箱の中身は婚姻申請書だけだと思っていたのだが、他にも何か入っていたらしい。

 キラリと光るそれを摘み上げると、ウォルが「あ――っ⁉︎」と大きな声を上げた。


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