第8話 ロマンチックとは程遠い求婚①
『きゃあぁぁ、お兄様が!』
『早く医者を呼んで!』
『おいノーラ、兄上に何をしたんだ!』
子どもたちの悲鳴と怒号が響く。ああ、昔の夢だ、とノーラは悟った。
ノーラの目の前には、二人の姉と二番目の兄――それから地面に倒れる、一番目の兄の姿。
彼は、ノーラが触れてしまったことでこんな状態になってしまったのだ。
『ご、ごめんなさい。私、わざとじゃ……』
触れたのは事故だった。躓いて転んでしまって、その先に長兄がいただけだったのだ。
だけど兄たちは、ノーラの言い分などちっとも聞いてくれなかった。
『わざとに決まってるだろう⁉︎ 父上が俺たちばかり気にかけてくれるからって、嫉妬したんだ!』
『ち、違……』
『あんたみたいな不気味な子、お父様もお母様も好きになってくれるわけないじゃない。どうして部屋の外に出てきたのよ。早く戻りなさいよ!』
『……っ』
夢の中の幼い自分が、その場から逃げるように走り出す。溢れる涙が頬を伝い、風に乗って流れていく。
わざとじゃない。本当だ。たまたま石に躓いて転んでしまっただけなのだ。
(みんなが魔法の練習をしてるのを、見学したかっただけなのに)
兄たちはミディレイ家の者らしく、十分な魔力とそれを扱う能力を持って生まれてきた。そのため、幼い頃から優秀な魔導士が家庭教師となり、魔法の講義を日々受けさせてもらっている。今もその勉強時間だったため、ノーラは好奇心が抑えられず見学に出てきてしまったのだ。
おかしな体質の自分は、講義を受けることが出来ないから。両親にきつく止められているから。
(私も、魔法の特訓……したいだけなのに)
もしかしたら、ちゃんと特訓をしたら何か変わるかもしれない。そんな期待を捨てきれずにいたのだが、やはり自分は駄目なのだと再認識せざるを得なかったことに絶望する。
(お兄様を倒れさせてしまった。私が触ってしまったから。……やっぱり私は、人の魔力を奪って弱らせることしか出来ないんだ)
特訓以前の問題なのだ。自分には、魔法に関する才能がない。どう足掻いても無駄ということだろう。
七歳になったばかりのその日、ノーラは密かに抱いていた希望を封印する決意をしたのだった。
************
(……久しぶりに、嫌な夢を……)
目を覚ますと、見慣れない天井が視界に映った。そうだ、ここはミディレイの屋敷ではなくアルディオン公爵邸なのだと思い出す。
(到着早々、こんな夢を見るなんてね)
ゆっくりと身体を起こし、ふぅ、と息を吐く。それから辺りを見回すと、上等な調度品が揃えられ、壁や天井に美しい装飾が施された室内が確認出来た。
(……ずいぶんと豪華な部屋)
昨日は体調不良になった後なんだかんだですぐ寝てしまい、部屋の中をじっくり見る機会がなかった。改めて見回してみると、自分のために誂えられたにしては勿体無さすぎる部屋だと感じる。
(こんなにしてもらって、なんだか申し訳ないな)
こんな自分に対して。卑屈な方向に考えてしまうのはいつもの癖だし、あんな夢を見た後となっては尚更そう思ってしまうのだった。
(……まるで〝期待するな〟とでも言うようなタイミングだったわね)
昨日の自分は、もしかしたらここでの暮らしはなんとかやっていけるのではないか、とちょっぴり期待してしまっていた。しかしその矢先にあんな昔の――ノーラが自分の未来を諦めた日の記憶を夢に見たということは、そう簡単に事が運ぶわけはないと、神様が戒めのために見せたのかもしれない。
「わかってるわよ……。期待するだけ、無駄だって」
苦々しい声が口から飛び出てしまった。その声を聞きつけたのか、続きの間からノックがされる。
「ノーラ様、お目覚めになりましたか?」
ハンナの声だった。ノーラが起きるのを待っていたようだ。
「うん、起きたわ」
ノーラが答えるとハンナが部屋へ入ってきた。水の張った盆とタオル、それから水差しを運び、寝台脇の台の上へ置く。
「おはようございます。ご気分はいかがですか?」
「おはよう。……気分は、まあまあね」
苦笑すると、ハンナが水差しからグラスへ水を注いでくれた。それを受け取り、飲み干す。
(夢見が悪かったのもあるけど、やっぱりここの空気は合わないみたい)
昨夜はロイドの魔法のおかげで気持ちよく眠れたのだが、彼の言う通り起きたら魔法は解けていた。目が覚めて最初に息を吸った瞬間から、また魔力の濃さにウッと息が詰まり、クラクラし始めていたところなのだ。
「ロイド様の魔法がいかにすごかったのか、実感させられるわ」
「……本当に驚きました。ノーラ様のお身体に効いたなんて」
「そうよね。私に作用する魔法をかけられるなんて……。いつもだったら受けた魔法を無効化した上で、具合が悪くなって終わりなのに。体調が悪化するどころか回復するとは思ってもなかったわ」
やはり、稀有な力である光属性の魔法だからなのか、それともロイドの魔力がノーラの体質の問題を上回るほどのものだったのか。一晩考えてもその謎は解けなかったが、いずれにしても、彼はノーラの予想を大きく飛び超えた力を見せ、助けてくれたのである。
(でも、頼ってばかりではいられないもんね。今日から少しずつでも、この土地の魔力に慣れていかないと)
時間がかかりそうだが、やるしかない。この地で生きていく限り、否が応でもこの高濃度魔力はついて回るのだから。
ハンナに手伝われて身支度を開始し、ノーラは気になっていたことを尋ねた。
「ところで、ハンナの方は問題ない? ここの使用人たちとはやっていけそう?」
テキパキと手を動かしながら、ハンナが頷く。
「はい。皆さんとても優しくて、私のことも快く受け入れてくださいました」
「本当に?」
心配になってハンナの顔を覗き込むが、嘘をついているようには見えなかった。ノーラが何を気にしているのか正確に読み取ったハンナが、主人を安心させるように微笑む。
「私が魔力保有者ではないことを気にする人はいませんでした。ノーラ様が魔力に敏感であるとマリエッタ様が事前に話してくださっていたので、あえて魔力を持たない私が傍で仕えていることは、自然と受け入れてもらえたようです」
「そうだったの。家政婦長にはきちんとお礼を言っておかないとね」
根回しをちゃんと済ませてくれていたのはありがたい。まだ知り合ったばかりだが、マリエッタは本能的に信頼していい人だと感じる。
「元々アルディオン公爵家は、仕事の各分野において優秀な者であれば、出自や魔法の才能にはこだわらず積極的に採用していく方針なんだそうです。もちろん私のように全く魔力を持たない者は他にいないみたいですが、その能力より使用人としての能力を見ているようですね」
皆の前で勇ましく主人を抱え上げて運んだハンナは、きちんと仕事が出来る侍女だと彼らの目には映ったことだろう。第一印象で合格点を叩き出したはずだ。
「立派な考え方ね。使用人と言えど、ミディレイ家ではまず、ある程度の魔法の才があるかどうかが採用の基準項目だったもの」
体面をとても気にする家だったから。ノーラが隠れて育てられたのも、そういう考え方が根底にあったからだ。
「そういう意味では、ミディレイのお屋敷とは空気感が違う気がしますね。お仕えする一族の方がそういう考えをお持ちだから、使用人たちも偏見を持たずに自分の意思を持って働けるのだ、とマリエッタ様が仰っていました」
昨日少しだけ会話を交わした家政婦長の顔を思い出す。なるほど、家令のアンガスも含め、そういった考えが根付いているから、ハンナはもちろんノーラのことも色眼鏡で見るようなことはしなかったのだろう。素晴らしい習慣だと思うし、それを根付かせたアルディオン公爵家の人々にも素直に尊敬の念を抱く。
「そう……それなら良かった」
ハンナが不遇な扱いを受けていなくて安心した。ミディレイの屋敷では、ノーラの侍女であるというだけでなく、魔力を持たないという理由でハンナがそれなりに嫌な目に遭ってきたのを知っていたからだ。知っていてもあの家で何の権限も持たないノーラには何かをすることも出来ず、申し訳なさに胸を痛める日々だったのだ。
だけどここでなら、自分はともかくハンナはのびのびと生活していけるかもしれない。そう考えると、この結婚は悪いことばかりではない気がしてくる。
これから先、ノーラが問題を起こすことなく生活していけるかはわからない。人を色眼鏡で見ない人たちですら、ノーラを煙たがる日がいつか訪れるかもしれない。それでも――こんなふうに良くしてくれるのは今だけだとしても、与えてもらった親切な心遣いには感謝を伝えたい。
(出来れば、その心遣いを裏切ることなく暮らしていけたらいいんだけどね)
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