第4話:一番大切なこと

 半年の公演が千秋楽を迎えた後、私は理沙子さんと個人的に会う機会が増えた。というか、戦略的に増やした。


 一目惚れよりも、ゆっくりと愛を育んで行った方が、世間体が良いからだ。週刊誌に掲載される事も計算の内だった。



 彼女は、太陽の様な人だった。良く笑い、良く食べ、裏表の無い性格で。私なんかよりも、ずっと良い相手がいたはずだ。



「奏真さん、英語は話せないんですか?」


 理沙子さんは、ホルモン焼きをひっくり返しながら訊ねた。


「私たちって、すごく小さなコミュニティの中にいる様に思えるんです。SNSの登録言語を英語にすると、同性カップルの結婚式の写真が時々流れて来て、幸せそうだなって思うんですよ」


「理沙子さんは話せるの?」


「取り敢えず。芝居が出来るかは別問題ですけれど、通訳は要らないです。こう見えて高校は進学校なんです」


 元々、頭の良い子なんだろうな、とは感じていた。ハムレットの講演中、彼女は自身のカバーキャストにアドバイスをしていた。


 墓掘りが、人目を盗んでオフィーリアを埋葬していたのは、彼らがキリスト教徒だったからだと説明していた。暗闇や、森、人を恐れていたのではない。自殺は罪深い事だと認識されていたため、その疑いがあるオフィーリアを埋葬する事で、何かしらの天罰が下るのではないかと懸念していたのだ、と。


 当然、私もそういったバックボーンを調べてはいたが、二十代の役者はそこまで思考が及んでいない事が多い。


 一見、監督は理沙子さんを放置している様に見えたが、彼女はキチンと理解していたので、アドバイスすべき事がなかったのだろう。


 正直もったいないと思った。そこまで気が利く役者なのに、恋愛経験がないというだけで、端役になってしまうことが。


 だけど、私の方から、彼女にしてあげられる事は何もなかった。理沙子さんが私を好きになった瞬間、私はきっと彼女を嫌悪してしまう。どうか、このまま緩やかな関係が続いて欲しい。


 我儘だ。彼女の幸せを願いながらも、傍にいて欲しいと思ってしまう。


「進学校か⋯⋯。私は適当に通って、その後芸術科のある大学に推薦で入ったからなぁ⋯⋯」


「進学校って、名ばかりですよ! 校門前にバイクで乗り付ける阿呆もいましたし。あ、ベランダで鬼ごっこをして、三階から転落した子もいます。幼馴染だったんですけれど、それっきり縁が切れました」


「絵に描いた様な学級崩壊だね」


「というか、学年崩壊です。最近、コンプラの関係で、過激な虐め物のドラマがなくなって、本当に残念。当事者として伝えたい事は沢山あるのに」


「虐められた事があるの?」


「ありますよー。だって私は普通じゃないですし、生意気ですし。専門学校に行ったら、良い意味で周りが変人だらけで、ホッとしました」


 普通だよ、という言葉を必死に飲み込んだ。決して彼女が異常だったわけではない。私と違って、彼女は生まれ付き恋が出来ない体質ではなかったはずだ。


 具体的にどんな虐めを経験したのか、聞く事は憚られたが、恐らく相当辛い思いをしている。


「聞いてくださいよ!」


 理沙子さんは、あくまでおどけた様子で続けた。


「ある日、私の机の中が、カチコチになっていたんです」


「え、どういう状況?」


「制汗剤スプレーです。同じ場所に吹き付け続けると凍るんです。教科書もノートも貼りついちゃって、あれは殺意が湧きましたね」


「笑い事じゃないでしょう?! 良く堪えられたね」


「堪えられなかったのでやり返しましたよ」


 カルビを皿に取り分けながら、彼女はニヤリと笑った。


「学校に行かない。実際よりも傷付いた演技をして、問題を大きくしました。相手は停学です」


「⋯⋯強かだね」


「どうでしょう?」


 理沙子さんは、急に元気をなくして俯いた。


「演技をしているんだって、自分に言い聞かせていただけかも知れません。その証拠に、地元を離れて、誰も知り合いのいない東京に来た時、本当にホッとしたんです」


「そういえば、家族は? 何か言わなかったの?」


「元々、進学校へ行けと言ったのは、母なんです。母の母校で⋯⋯。あの人は中学時代に虐めを受けていて、高校で救われたから、自分が助けられた高校に、低レベルの虐めがあるなんて、認めたくなかったんですよ。まあ⋯⋯結婚するなら、話しておかないとダメですよね」


 理沙子さんは姿勢を正して、顔を上げた。


「私には、書類上の親族がいません。身元保証人は、事務所の理事長です」


「ご両親と⋯⋯死別したとか⋯⋯」


「いいえ。元凶は祖母です。変な宗教にハマっていて。暴力は振るうし、お金は盗るし、気に入らない事があると部屋を滅茶苦茶にされました。父は入婿だったんですが、祖母にお金を取られ過ぎて、その反動で借金を作って出て行きました。母は、幼少期から祖母に虐待されていて、恐怖心から言いなりになっていました。私を庇ってくれた事はありません。弟は、ある日突然家出をしました。そういうわけで、私に家族はいません!」


 絶句。あまりにも壮絶な人生だ。そういう後ろ暗さを一切感じさせないのは、理沙子さんが並外れた演技力を持っているからなのか、既に心が壊れてしまっているのか⋯⋯。


 幸せになって欲しいと思った。心から。彼女の愛する人になれなくても、一時でも、安心出来る場所を作ってあげたいと思った。


「そんな顔しないでください!」


 理沙子さんはニコニコしながら手を振った。


「私、幸せなんですよ。自分の意思で家を出て、この手で住民票や戸籍の閲覧制限の手続きをしました。そして、今の自分を手に入れたんです。自分の意思。それが一番大切だと思っています。自分で手に入れなければ納得出来ない性格なんです」


 もし、彼女が私だったら、自分の心を包み隠さず公表し、真っ直ぐに生きていただろう。誰に何を言われても、自分の意思だと納得し、進み続けたはずだ。きっと、オープンにしても役者として成功していたはずだ。


「あー! 焦げてます!! 焦げてますよ!!」


 現場にいた時とは打って変わって、コロコロと変わる表情が可愛らしかった。根は真面目なのだろうが、決してそれだけではない。


 彼女の全てを受け止めて、愛し合える人間が現れる事を、願わずにはいられなかった。それまでの繋ぎとして、友人として⋯⋯パートナーとして、彼女を支えようと決意した。


「理沙子さん。改めて、私と結婚してください」


「はい」


 彼女は二つ返事で応えた。


「あ、ところで、奏真さんのご両親はこのことを?」


「両親には、女性と結婚するつもりだ、と伝えたよ。二人は喜んでいた。きっと私が⋯⋯普通になったと思って」


「それは災難ですねー」


 理沙子さんは、コップの水を一気飲みしてから返した。


「普通って、全然褒め言葉じゃないですもん。変わっている人の方が面白いですよ。普通じゃないから、奏真さんにしか出来ない演技があって⋯⋯。役者じゃなくて、普通に生きたいなら、みんなと同じ方が、生きやすい世の中になっていますが」


 彼女は両手でグラスを包んだ。


「以前、バラエティーでゲイの方がどう扱われているか、話されていましたよね。彼らも選ぶ事が出来たはずです。嫌だから、やめてと言う事が。貴方の様に、普通のフリをして見せ物の様にされる事を避ける事も出来たはずです。でも、そうしなかった。自分の特性を、他者の笑いの種として提供する事にしたんです。もしかすると、人を笑顔に出来る事を喜んでいる方もいるかも知れません。公表している分、プライベートでお付き合いもしやすいでしょうしね」


 遠回しに、彼女は全ての選択の責任は、自分自身にあると言っていた。けれど、責める様な口調ではなかった。


「もし、好きな人が出来たら、私の存在は気にしないでくださいね。全て承知の上での、打算的な結婚ですから」


「貴女を幸せにする事だけは、約束します」


 理沙子さんは、幸せになるべき人間だ。どうして、何故、強くて優しい人が、他者を愛せなくなる程、辛い道を歩かなければならなかったのか。


 つくづく、この世は理不尽だ。理不尽でも、死ぬまで生きるより、他にないのだ。



 彼女と関わり、その強さに触れ、自分の意思で物事を決める大切さを学んだはずなのに。


 結果的に、私は責任を負いきれなくなってしまった。言葉が、文字が、毒の様に心を蝕み、顔も知らない人々の、無責任な意見が私の首を絞めた。


 助けて欲しいとは言えなかった。理沙子さんの方が、何百倍も傷を負ったはずなのだから。

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