第2話:異常者

 子供の頃から、女の子に惹かれたことは、一度たりともなかった。裏を返せば、私は女性の輪の中でも、肩肘張らずに振る舞う事が出来た。それが私の人生の勝因でもあり、悲劇の原因でもあった。


 理沙子さんには、悪い事をしたと思っている。彼女は、私から見て、至って普通の女性だった。馬鹿が付くほど生真面目で、頑固で⋯⋯。ただ、それだけの普通の女性だったのに。


 世間から見れば、私の行動は到底許される物ではなかったのだろう。だけど、私たちの間では、充分話し合い、解決していた事だった。理沙子さんは、私に理解を示してくれた。無理な要求は何一つせず、欲しい物だけを与えてくれた。彼女は常に、一番の理解者だった。



 だけど、私は堪えられなくなった。今度生まれて来る時は、普通に彼女を愛せたら良いと思う。心から、そう思うよ。



 初めて理沙子さんに会ったのは、ハムレットの舞台。ハムレットは、実の父親を殺した、叔父であるクローディアスに復讐を誓う。私は主演で、理沙子さんは、男性の役を演じていた。墓掘りだ。


 ハムレットに近付き、探りを入れ、狂気に呑まれて自殺を図ったオフィーリアを埋葬する、ほんの短いシーンに登場する人物。


 彼女は売れっ子の声優で、舞台の経験も豊富と聞いていたから、意外に思った。


 彼女は台本を何度も読み、カバーキャストの動きも良く観察していた。繰り返し、繰り返し確認していたのは、スコップを使った動作。勿論、安全を考慮して本物は使わない。


 何か行き詰っている様子だったので、話し掛けた。


「どうしたの?」


「私と同じくらいの体躯の男性が、スコップを持ったら、どういう動きになるのか予測出来ないんです」


「うーん、難しいな」


「墓掘りって、どのくらいの頻度で仕事が入ったんでしょうね? 今の工事業者の様に、毎日でしょうか? それならもう少しウエイトを増やさないといけないと思いまして」


「それをやっちゃうと、声優稼業に支障が出るよね?」


 女性声優は、アイドルと紙一重だ。理沙子さんも、まだ二十代半ば。体型は維持したいはずだ。


「外套の布の量を増やして貰おうか? 体型はそれでカバー出来るでしょう? 勿論、その分体力は必要になるけれど⋯⋯」


「私のために、衣装の予算を割くのは⋯⋯」


「でも、貴女は必死だ。端役だと、不貞腐れて真面目にやらない子も多いんだよ」


 つい、癖で彼女の頭をポンポンと撫でてしまった。理沙子さんは、心底驚いた様子で顔を上げ、ニコリと笑った。


「お気遣い、ありがとうございます。まだまだ、頑張ります」


 ほんの短いやり取りだった。だけど、私は理沙子さんが好きになっていた。彼女からは、異性に対する好意が一切感じられなかったからだ。


 そう。私は、女性からの愛情を、気持ち悪いとさえ感じてしまう。どうしようもないことだ。生まれ付き、そういう性分で、此処では⋯⋯日本では隠さなければならない事だった。


 優しく、親切にした結果、自分に返って来る好意を気持ち悪いと思うなんて、人として最低だと思う。私は自分を、最悪の人間だと思っていた。


 私の秘密を知っている人間は、両親だけ。本当は、もっと多くの理解者を得たかった。誰かに認めて貰いたかった。


 芸歴が長くなり、女性ファンも増え、みんなが好意的な表情で自分を見ている場に立つ度に、心が削られて行った。誰も、本当の私を好いてはいないのだ、と。


「オフィーリアは、ハムレットを愛していたんでしょうか?」


 不意に、理沙子さんはそんな事を口にした。


「私は、そう思えないんです。彼女は、愛してもいない男に近付く様命じられ、挙句冷たくあしらわれ、父親も殺されて狂ってしまった。別に、彼女の人生に恋愛がなくても、ストーリーは成立すると思うんです」


「愛とか、友情とか、死は、簡単に人の心を揺さぶる事が出来るからね。共感しやすいんじゃないかな?」


「共感出来なかったので、私はオフィーリアのカバーになりました。監督は、恋愛感情を求めていたんです」


 理沙子さんは、台本を閉じて表紙を撫でた。


「きっと、そういう感情があった方が、人生は充実するんでしょうね」


「⋯⋯そうでもないよ。わりと、ロクな目に遭っていない」


「ええ?! 奏真さんがそんな悩みを?!」


「でもね、真っ当に恋愛をしている人は、世の中にいっぱいいる。つまりお手本が沢山あるんだ。特殊な経験をしている私は、人とは違う物を持っていると、誇れるんじゃないかな?」


 それは、自分に言い聞かせる様に口にした言葉だった。自分が、変で、異常な人間ではなく、特別で選ばれた存在なのだと、信じたかった。


「確かにそうかも知れません。⋯⋯そうですね」


 理沙子さんは、まるで誕生日プレゼントを貰った子供の様に、嬉しそうに口元を覆った。


「そうです。私は普通ではなかったから、声優になれました。他の子とは、雰囲気が違ったから。ありがとうございます。普通のお手本は、沢山ありますものね。私は自分の勉強不足の言い訳を探していただけです」


「驚かないで聞いて欲しいんだけれど」


 何故急に話す気になったのか分からない。だけど、彼女は口が堅い様に見えたし、何より受け入れてくれる様に思えた。


 普通じゃない感覚の人間も、忌避されず、当たり前の様に生きていて良いのだと。



 女の人を愛した事がないんだ。

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