第14話 山の怒りとニニスのブチギレ-2

 翌朝、屋敷で朝食を終えてから聖女と兵士たちは出発する予定だった。馬車でケレータ山の麓の村に着き、その後ケレータ山全域にアファトの加護をかける予定だ。


「では行ってらっしゃいませ」


 三つの列を成した馬車の前でオズインがにこやかに言った。


「はい。ではまた」


 先頭の馬車に乗るアファトが言う。その後ろの馬車はニニス用のもので、さらに後ろの三つ目の馬車には兵士たちが搭乗していた。


 オズインやクラリスら聖女の使用人を残して馬車は走り始めた。

 だが、兵士用の馬車の隙間にこっそり忍び込んだナナには誰も気づかなかった。



 ――――――



 麓の村に到着した一行は、村人たちの歓喜と安堵の声を浴びることとなった。特にアファトの姿はそれだけで村人たちに安心を与えている。

 アファトの笑みが目に映るだけで村人の心には希望の炎が灯った。


(私もああならなくちゃいけないなぁ)


 ニニスはアファトにそんな眼差しを向けるのだった。


 アファトは村の一番大きな広場に立って神に祈りを捧げた。村人たちの視線を浴びながら、エウスの教会の壇上で行なったように詠唱する。

 エウスの時のように紅いオーラが広がって村全体を包んだ。今回は街より狭いのもあって短時間で済んだが、それでも祈りの直後にアファトはふらついてしまう。

 だが彼女は踏ん張って背筋を伸ばした後、見守っていた村人たちに「この村にはバーデウテ様の加護が賜りました。皆様、よくこれまでの不安に耐えてくださいました」と告げた。

 村人たちはアファトを讃えて、そしてやってきた救いを喜ぶようにパチパチパチと手を叩く。アファトは彼らに一礼して広場から優雅に立ち去った。


 アファトが祈りをしている最中、誰にも気づかれなかったが、ナナは馬車から抜け出してこっそり山道へと向かっていた。



 ――――――



 村に加護を授けた後、聖女一行は村長に事情を聞いてから村を出発した。しかし村長の話もまた原因も分からずマーフォークが暴れたと、オズインの話と同じ内容だった。

 ナナが山道を登ってからしばらくして、山道の入口に到着したアファトは、困った様子でニニスと兵士たちに言う。


「正直言って原因が分からないから、どんな加護をかければいいのか分からないのよね。とりあえず精神を落ち着かせるような加護を山全体にかけるけど、ひょっとしたら呪術の類いかもしれないから、もしそうならだいぶ時間がかかるわ」

「山全体って、アファト様は大丈夫なのですか? さっき加護をかけたばかりなのに……」とニニス。

「体力的には大丈夫よ。でも私の能力的にはどうかしらね。出来ないことは無いけど、かなり広い山だから苦労することになりそう……。山に巡る魔力の流れが特に良い場所を見つけて、そこで祈りを捧げられれば多分やれるわよ。だけどそれより、これが呪術だった時が問題。解呪してる時に邪魔が入るかもしれないわ」

「邪魔、ですか……」とニニス。

「ええ。だけど問題ないわよ。ニニスちゃんと皆さんもいますもの。頼りにしてますよ」


 アファトが兵士たちに微笑みかけると、兵士たちはそれぞれが「はい!」と力強く返事をした。その士気の上がりぶりにニニスは(すごい! 人力の加護だ!)と関心する。


「私も頑張ります! それで、魔力の流れが良いスポットは見つけられるんですか?」

「それでしたら」と兵士の一人が言う。「山での訓練中にそれらしい場所を見つけてあります。案内しますよ」


 その兵士の先導で山道を歩く一行。山は登るほど木々の密度が濃くなり森と化していく。人が歩きやすく均された道をしばらく進んだ後、今度は森の道なき道を掻き分けて進んだ。



 歩くこと数十分、突然皆の視界が明るくなった。

 そこは今までの木々がひしめき合っていた森とは違い、くり抜かれたように開かれた土地に一本の一際荘厳な木がそびえる天然の広場だった。

 アファトは脚の布に絡みつく葉や小枝などを気にせず、息を呑んでその巨木に近寄った。


「すごい生命力……。魔力の流れもここに集まって来てるのを感じるわ。吸い寄せられているみたい。……うん。ここで祈りを捧げましょう」と彼女は宣言する。「まずは有事に備えてまずは兵士の皆さんに加護を与えます」


 アファトは手を組み祈りの体制に入った。彼女の足元に魔法陣が展開され、そして兵士たちの肉体は強化された。

 彼女は目を開け、一呼吸してから再度目を閉じると、今度は詠唱を諳んじた。アファトの周囲に紅いオーラが広がっていく。

 アファトが加護をかけている最中、ニニスは周囲を警戒するために耳を澄ます。常人には届かない距離まで音を拾うほどに聴力を強化していた。



 しばらく異常らしい異常は無かったが、ふと急に耳を疑う声が耳に入った。


「きゃああああああ!!!」


 少女の声だった。

 声が耳に入ったその瞬間、ニニスの姿はその場所から消えたように居なくなった。

 そ少女の声が聞こえるはずもない兵士たちは、その出来事に驚いてしまった。



 ――――――



 ニニスが兵士たちの前から消える少し前。


 ナナは川沿いにあるマーフォークの集落に到着した。父親に山に連れられた時に来るので場所は頭に入っていたし、そして彼らの優しさもよく知っていた。

 集落で早速外を歩くマーフォークを発見する。人型で皮膚が青い鱗に覆われており、頭や耳や手首にヒレが付いている姿がマーフォークの特徴だ。

 ナナはそのマーフォークの青年を知っていたので、つい嬉しくなって笑顔を浮かべた。


「いた! おーい!」


 ナナが歩み寄るとそのマーフォークは振り返る。

 だがナナは感じてしまう。彼の様子がどこかおかしい。目が虚ろで足元がおぼつかず、身体がフラフラとしている印象を受ける。彼女は思わず立ち止まった。

 ナナの笑顔は次第に戸惑いの表情に変わっていく。

 そしてそこで少女は気付く。目に映る範囲で外に出ている他のマーフォークたちが、どうやら皆がナナの方に向いていた。彼らには普段の彼らからは想像がつかない不気味さがあった。


「ひっ!」


 恐怖のあまりついナナが声を上げた時、少し離れた所にある家の扉が開いた。

 そこから、普段ナナとよく遊ぶマーフォークの少年が出てきた。少年は決死の形相で言う。


「ナナちゃん! 逃げて!」


 ナナは声を聞くとすぐに振り返って本能的に走り出した。

 しかしマーフォークたちはそれを見るやいなや追いかけてくる。青年の手がナナの頭に伸びた。


「きゃああああああ!!!」


 ナナが必死に叫んだ。


 するとその瞬間、ナナは自分の横で風が吹き抜いた感覚がした。それだけでなくすぐ後ろからの足音も聞こえなくなる。


「えっ……?」


 驚いたナナは立ち止まって振り返る。すると、マーフォークの青年の腕を掴んで動きを止めていた女性の姿が目に入った。

 ナナには見覚えがあった。この女性は昨日見た聖女様だ、と。

 ニニスは眉をしかめながら青年に問う。


「あなた、何をしているんですか?」


 青年はそれに答えず、虚ろな瞳でニニスを睨みながら、腕を振りほどこうともがく。

 そうこうしているうちに他のマーフォークたちがニニスに迫ってきた。数は三十三体で、皆が大人の体格をしているようだ。ナナは恐怖に駆られながらすがるように「来るよっ!」とニニスに言った。

 集団を見たニニスは、ひとつため息を吐く。


 次の瞬間、ナナは目を疑う現象を目撃した。

 ニニスが元いた場所から突然消えたかと思えば、マーフォークの集団が全員腹を抱えて痛みに悶え始めた。皆が時間差も無く同時に「ガアァっ!」「グォっ!」と声を出し、そして一斉にバタバタと倒れていくのだ。

 地面に倒れたマーフォークの集団の中心には、背中を向けて凛々しく立つニニスがいた。


 いきなりのことでナナは茫然としていたが、木漏れ日に照らされたニニスの背中とそこに伸びる黒髪に、彼女は思わず見惚れてしまった。


(かっこいい……)


 するとニニスが振り返る。


「大丈夫だった? 怪我は無い?」

「あ……う、うん……」


 その時、周囲の家々から恐る恐るといった風にマーフォークたちが顔を出してきた。ニニスは警戒したが、彼らの瞳がまともそうなのを感じ取ると、ふっと肩の力を抜いた。



 ――――――



 集落で最年長であるらしい長老がニニスと話していた。マーフォークは歳を取ると青色の鱗が段々と緑に変色していくため、長老は水草が根を張った川のような体色をしていた。

 その周囲では、倒れたマーフォークたちを他の住人らが縛ったりと対処をしている。


「凶暴化したのは若い衆が主じゃ。わしみたいな老人や子供は影響が無かったようでのう。しかしわしらだと何もできなかったのよ。皆を代表してお礼を言うぞ」

「ありがとうございます。ところで、どうして凶暴化したのでしょうか? 見当はついてあるのですか?」

「おそらくは水質の悪化じゃ。悪くなっておる。わしらマーフォークは水と共に生きておるが、当然水も悪ければ心身に不調が出る。ケレータの山は特に水が綺麗じゃったんじゃが……悪くなった原因はわしらにも分からん」

「そうでしたか……」

「川全体の水質が悪くなったと考えるとのう、おそらく凶暴化したのはここにいるヤツらだけじゃないぞ。向こうの集落も似たような状況じゃろうて」

「他にも集落はあるんですか!? 大変じゃないですか!」

「山の反対側にひとつある。そこのヤツらもわしらみたいに家に隠れるしかないじゃろうな」

「その集落の場所、良ければ教え―――」


 するとその時、落雷の音が山全体に響いた。

 ドーン!というその激しい音に「きゃあっ!」「なんだ!?」と皆が恐怖心から慌て始める。さらに山を覆うようにどこからともなく黒い雲が発生してしまい、陽の光を遮断してしまった。

 異変に怯えるナナやマーフォークたちの意識が空に向いている間に、ニニスの姿はまたしても忽然と消えた。



 ――――――



 速度の加護を発動しながら山の中を走る。静止した世界の中でニニスの頭では嫌な予感がしていた。落雷の音がした方角は、アファトたちがいる場所に繋がっているからだ。

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