第13話 山の怒りとニニスのブチギレ-1

 本日、ニニスは昼食を済ませ次第エウスという街に向かう予定となっていた。城の門の外に配置された馬車へと導かれて歩く。

 用意された馬車は二つあった。今回の任務はもう一人、ニニスと共に招集された聖女様がいる。

 その聖女の名はアファトゥーン・ゼル・キーノイ。国民からはアファト様と呼ばれている。四十歳目前とは思えない美貌の持ち主でありながら、聖女らしい佇まいと優しさを併せ持ち、聖女に就任してから人気が衰える気配が無い女性だ。

 淡く紅い髪色が特徴的で、その色は一時期ファッションなどのブームになったこともある。


 先に馬車に乗り込んでいたアファトは、ニニスを見かけると小窓から優しく手を振った。アファトとニニスは同じ食卓を囲んでいる仲でもあるので全く知らない仲ではない。

 アファトに近づいたニニスは話しかけた。


「アファト様。お待たせして申し訳ありません」

「いいのよ。期待してるからね。決闘の時みたいに暴れるところ、また見てみたいわ」

「あはは。そうならないで終わるのが一番ですけど」

「でもそうなった時は頼むわよ。よろしくね」

「はい! こちらこそよろしくお願いします」


 と頭を下げると、ニニスも自分用の馬車に乗り込んだ。



 ――――――



 エウスに到着する頃には日が暮れかかっていた。予定通りの到着だ。

 エウスは比較的大きな街であったが、その中でも一際目立つ屋敷の前に馬車が止まった。馬車が止まった門の前には身なりの良い男性とその横に従者が二人いる。

 ニニスは(屋敷というか、まるで城だなぁ)などと考えながらクラリスに導かれ馬車を降りる。同じようにアファトも使用人と共に降りた。


「ようこそいらっしゃいました! アファト様。ニニス様。私はエウス家当主のオズイン・エウスです。いや〜それにしても、アファト様はいつ見てもお美しい限りで」

「いえいえ。とんでもないです」

「ニニス様も、先日の決闘での出来事は印象に残っておりますよ。あなた様のお力を是非ともお借りしたい」

「ええ。任せてください」


 するとその時、ニニスは屋敷の塀の曲がり角部分に身を隠しながらこちらを伺う少女に気がついた。少女はニニスたち来客を睨んでいる様子だ。


「ささ。立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」


 とオズインは振り返って、ニニスたちを先導するように歩き出す。

 ニニスは彼に着いていく前に少女に笑いかけて静かに手を振った。すると少女は一瞬驚くような表情を浮かべると、ダッと走って街中に紛れ込んでいった。


 ――――――


 ニニスとアファトは屋敷内の応接室の席に案内された。使用人に指示をして彼女たちの前に紅茶を振舞ったオズインはさっそく本題に入る。


「実は最近、エウスに近い山で魔物が活性化しているようなんですよ」

「活性化ですか」とアファト。

「えぇ。ケレータ山という広大な山なのですが、近くの村から報告が上がりましてね。元々そこに住んでいる魔族は温和だったはずなのですが、急に人を襲うようになったのですよ」

「あら、珍しい。その言い方ですと人間に友好的な魔族のようですが」とアファト。

「そうなんですよ。広義的には魔族ですが彼らは知能が高くてコミュニケーションを取れるんです。彼らはマーフォーク族と言います。ケレータ山には山頂付近から続く川がありまして、彼らはその周りに集落を作っているんです」


 マーフォーク、という名前はニニスの記憶にもあった。自然の中に溶け込み水と共に生きる半魚人であり、海に住むマーフォークと川に住むマーフォークはやや違うらしい。


「どうしてこうなったのかは知りませんが、危険ですので現在山は立ち入り禁止にしています。しかしマーフォークがいつ村や街を襲うのかも分かりません。実際、ケレータ山に建てた山小屋は破壊されましたから」

「山小屋が……。それは危険ですね」とニニス。

「山小屋、というか私が雇う兵士の訓練所なのですが、少し前に何らかの魔術で崩壊されられたとのことです。頑丈な造りだったはずですが……。兵士たちは奇跡的に全員無事でしたが、訓練所は跡形もなく崩れてしまいました。マーフォークの活性化の報告はその後に上がりましたよ」

「なるほど……」とニニス。

「なのでお二人にはぜひ、マーフォークの活性化をなんとかしていただきたい! ケレータ山に行って、魔族の被害から私どもを救って欲しいのです」

「……事情は分かりました」


 アファトはそう言うと紅茶を一口すすった。そして言葉を続ける。


「では早速この街に加護を与えましょう」

「えっ!? ……それはいいんですか? 移動で疲れているでしょうし明日でも構いませんが」

「何を言っているのですか。疲れてなどいませんよ」


 とアファトは椅子から立ち上がった。


「早い方がよろしいかと思います。民の不安を今から少しでも払拭するために」


 アファトの強かな発言にオズインは頷くしかなかった。


 ――――――


 街中を案内されてアファトたちが教会に到着したのは、陽が名残惜しそうに空の向こうに行ってしまった時だった。

 まだ準備中らしい明るさの月明かりを差し置いて、アファトは教会を管理する聖職者に話を済ませてさっさと祈りの加護の準備を済ませてしまう。その手際にニニスは聖女様としての確かな経験を感じた。


 聖壇に立ったアファトは呟いた。


「では……」


 アファトは両の手を組んで、目を閉じて祈り始める。

 そしてアファトの足元に紅い魔法陣が浮かぶ。


「『粛炎しゅくえんの神バーデウテ様。我らがか弱き祈りに応え、汝の不滅たる炎の加護をお与えください』……」


 アファトの口からその言葉が発されると、彼女の足元から徐々に包まれるように光が溢れ出した。そして何やら彼女から紅いオーラが微かに見えてくる。

 そのオーラは次第に次第に広がっていき、やがて教会を呑み込むほど大きくなったが、それでも拡大は止まらない。

 ニニスは教会の椅子からその様子を見ていたが、アファトの姿はまるで芸術品のようで思わず息を飲んだ。ニニスだけではなく他に座る者たちも同じような感想を抱いた。


 ――――――


 アファトの加護が街全体に広がったのは一時間を少し過ぎてからだった。紅いオーラは街を覆うと、今度は次第に次第に色が薄くなっていく。

 エウスの住民のほとんどはアファトの加護を知っていたため、街を包む紅いオーラが見え始めるとそれだけで歓喜に湧いた。これでエウスは魔物に襲われない、という希望を得たからだ。


 教会内で祈りを終えたアファトは、魔法陣が消えたと同時に力無く膝から崩れ落ちた。その時近くにいたアファト専属の使用人がささっと肉体を支えたおかげで、床に倒れこまずには済んだ。

 急にアファトが倒れたことで、その場に居る者はどよっとする。ニニスもまた心配してアファトに近づいた。


「大丈夫なんですか?」

「えぇ」と答えたのはアファトではなく使用人の女性だ。その女性は緊張感の無いような声で告げる。「アファト様、頑張りすぎるところがありますからね〜。多分加護には魔物をける効果以外にも色々加えられたのでは? と思います。例えば、みんなの足腰が軽くなれるような効果、とかですか」

「当たり」とアファトが喋り出す。どこか笑っているようだった。

「そうでしたか。……はぁ、心配しましたよ」そう言ったのはオズインだ。「明日、無理そうなら山に向かうのを明後日に延期しても良いのですが……」

「とんでもない。私は明日からでも動けますよ」


 アファトは倒れながらもほとんど疲れを感じさせない笑顔を浮かべた。

 しかし実際にはあまりに負荷が重くのしかかる加護の量と質である。そのことを察したニニスはアファトに尊敬の眼差しを向けるのだった。



 ――――――



 その日の夜。街中のとある家の中に猟師の三人家族がいた。

 彼らはケレータ山の近くの村に住んでいたのだが、今は猟師の男の兄の家に住んでいる。一家が住まう村は危険だからと兄が気を利かせて一家を住まわせたのだ。


 猟師一家のために用意された部屋は元々は兄の部屋で、兄は彼の妻の部屋で妻と共に寝ることにした。やや狭いベッドには、猟師の夫婦とその一人娘のナナが身を寄せ合う。

 夫婦はすっかりナナが寝たものだと思って会話をした。


「良かったわね。ようやく山に戻れそうになるんでしょ?」

「ああ。多分。聖女様が来て下さったんだ。解決してくれるといいな。ずっと魔族に暴れられたら仕事にならないよ。ここにずっと居る訳にもいかないし」

「でも……なんでいきなり暴れ出したのかしら? 悪い魔物じゃないんでしょ?」

「それが俺にも分からないんだ。マーフォーク族は本当に優しい民族なんだよ。ナナもよく遊んでもらってたし」

「そうよね。ナナってば、マーフォークの子と遊んだって話をよくするのよ。そのナナの友達だって心配だわ……」


 両親の話を聞きながら、ナナはなかなか寝付けないでいた。

 ナナにはマーフォークのみんなが聖女たちと兵士たちによって襲われてしまうという予感が止まらなかった。その考えはナナの眠気を覚ますのに充分だった。


(み、みんなに教えないと! にげて、って言わないと! マーフォークのみんなに!)


 ナナの手は彼女の意図しないままに硬く閉じた。そのうち時間が経つとナナは深い眠りについた。

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