第12話 ニニス様人気獲得計画-2

 中年の裕福そうなマダムから白のカバンを強奪した男はそのまま走り出した。脚力なら負けない自信のあった彼は、あっけに取られたマダムを残してすぐそこの細い通りに走っていく。


「きゃーーーっ! 助けて! ひったくりよ!」


 後ろでマダムにそう叫ばれたが、男は(へっ! 今更叫んだって俺には追いつけねーよ!)と心の中で罵倒した。

 その瞬間―――


「お待ちください」


 男はそう言われながらニニスに腕を掴まれた。男は走れなくされる。


「んなっ!?」


 まるで何も無いところから現れたようなニニスに男は驚き、さらに腕を掴んでいるのが華奢な女性だったからさらに目を疑った。


「な、なんだよお前! 離せ!」


 と男が腕を振り払おうとするもののニニスはビクともしない。


「離すのはそのバッグなのではないですか?」

「くっ! いい服着てすかしやがって! こいつ!」


 男は掴まれていない腕でニニスの顔にパンチを繰り出した。

 しかしその拳はいとも簡単に防がれ、ニニスのもう片方の手で彼の手首が掴まれた。男の顔が一層引きつる。


「いけませんよ」


 眉をしかめて戒めるニニス。男はようやくここで目の前の相手がニニスだと悟った。噂通りであれば自分は無事で済まないかもしれないという不安がよぎる。


「す、すみません! ぼく、取り乱してしまって!」

「どうしてこんなことをしたのですか?」

「えっと……そのぉ……、ぼ、ぼくには病気の妹がおりまして、食べていくためにはこうするしかなかったんですよぉ!」

「……本当なのですか?」

「は、はいぃ! 家族がいるんですよぉ! 許してください!」


 男は必死で泣き顔を演出し、泣いているように「ウッ、ウッ!」と声を漏らす。ニニスはとりあえず拳を掴んでいた手を離した。

 すると後ろからマダムが歩いてきた。


「ちょっと! 謝って済む問題なの!?」

「まぁまぁ。お母さん。落ち着いてください」とニニス。

「何よ! あんた、こいつの肩を持つっていうの!?」

「肩を持つ……というわけではないのですが、私に免じて許してくださいませんか?」

「何言ってるのよ!」


 すると男の顔は途端に明るくなる。


「えっ! いいんですか!?」

「あんたねぇ! この男が言ってることが嘘かもしれないじゃないの!」

「本当かもしれませんよ。それに私は嘘か本当かを気にしていません。理由はどうあれ、彼がこんな罪を重ねるに至った彼の運命に、私は寄り添いたいのです」

「そう言って優しい人ぶるのはいいけど、ここで捕まえないで、後でまた私みたいに盗まれる人が出てきたらあんたは責任取れるの!?」

「うーん……難しいですね。あははは……」と苦笑いした後にニニスは言った。「それでも信じるしかありません。信じるしかないのです。……ですがしかし罪は罪であるのも確かですね。罰を与えて欲しいなら、こういったのはいかがでしょうか」

「えっ?」


 と男が首を傾げた次の瞬間、ニニスの手元には召喚したように木製のバケツが現れた。ニニスがバケツを動かして男にバケツの口を向けると彼の全身は水浸しになる。

 男は呆気にとられたが、かけられた水の冷たさに我に返って「うおああぁっ!」と声をあげた。ニニスが超高速で汲んできた氷水は男によく効いたようだ。

「ひぃ! ひぃ!」と寒さに悶える男を横目に、ニニスはいつの間にか男から取り上げて腕に通していたカバンをマダムに返した。


「これで許してくださいませんか?」

「……仕方ないわね。それで手を打とうじゃないの」

「ありがとうございます!」


 ニニスがにこやかにお礼を言うとマダムは不機嫌そうに立ち去った。彼女は「邪魔! どきなさいよ!」と言いながら野次馬を掻き分けていく。

 水浸しになって地面に四つん這いになり息が乱れた男に、ニニスは城から拝借したタオルを手渡した。わざわざ一度城まで戻ったニニスだが、しかし不満そうな様子も見せず男に「こちらをどうぞ」と告げる。

 男は奪取するようにそのタオルを受け取ると一心不乱に自分の顔や身体を拭いていった。


 ――――――


 男が拭いている間、ニニスは彼の横にいた。拭き終わるまで三分程度だったがその間に野次馬はどこかに行ったようだ。


「大丈夫ですか?」とニニスは声をかける。

「は、はい……」

「タオルは預かります」


 ニニスは男から返されたタオルを受け取ると、「それからこちらを」と言い、もう一つ城から持ってきていた畳まれた布を手渡した。四回半分に折られたそのフワフワした白い布は、元々やや大きい正方形だったが、今は男の手くらいの正方形になっている。


「これは私のです。あなたがもう盗みを働かないようにと祈りを込めました。どうか、私のこの気持ちを大切にしてください。そうしてくれないと寂しいですよ。お願いしますね」


 そう言いながらニニスは気さくかつ慈愛に満ちた笑顔を男に向けた。

 憔悴したような男は「わ、分かりました」とだけ言って布を受け取ると、立ち上がってフラフラと路地へと消えていく。ニニスはその背中を見つめながら静かに手を振るのだった。


「ニニス様。こちらにいましたか。探しましたよ」


 クラリスにしては焦ったような冷静な声色で、ニニスに後ろから声をかけた。「あっ、クラリスさん!」と振り返ったニニスの姿は、ドレスの胸元の宝石や額の飾りが無くなっていて、さらに整えた髪やドレスのリボンまでもが乱れていた。


「クラリスさん、これ、取れちゃった宝石なんだけど……」


 ニニスはドレスの中に上手くしまい込んでいた白い布を取り出した。その布は袋のように使われ、中に硬いものが入っていることが伺える。


「でも一個無くなっちゃったんだよね。ごめんね、せっかく用意してもらったのに」

「……お尋ねしたいのですが」

「なに?」

「迷惑でしたでしょうか」


 そう聞いたクラリスの様子は、真顔であり声色もいつもと同じように聞こえるが、ニニスはクラリスの眉が少し下がっていることに気付き、彼女のどこか後悔している感情を察した。そして同時にニニスに申し訳なく思っていることも伝わった。

 ニニスは励ますように言う。


「そんなことないよ! 私のことを考えてくれてるのは嬉しかったから。でも、散歩の度に一時間半準備するのは疲れちゃうかな」

「はい。了解しました」

「ゆっくり行こうよ。地道にやれば、きっと皆さんに想いが届くはずだから」


 クラリスは頷くと、風圧で乱れたニニスの髪をパッパと整えると、城まで案内していった。

 二人はまだ知らないことだったが、貴族たちの間でニニスの評価は上がっていた。新聞に誘導された大衆の評価とは関係なく、あの時の決戦を見た貴族の中には、有事の際にはニニスに頼ろうと考える者も現れ始めたからだ。


 帰路でニニスは商店街に差し掛かった。道の脇で露店が開かれ商品が並び、人が行き交って活気に溢れた。そこでも優しく手を振って住人に挨拶をするニニスだが、すると果物屋の前で立ち止まる。


「こんにちは。美味しそうなりんごですね」とニニスは店主の女性に声をかけた。

「あら。あなた、ニニスライト様ですよね」

「えぇ。はい」


 ニニスはにこやかに答えたが、クラリスは内心焦った。またニニスが否定されるのではないか、と。

 しかしその不安とは対照的に女性は笑顔を向けた。


「やっぱり! 私の実家、グランテスって街にあるんですけど、私の母がゴブリンに誘拐されたことがあるんですよ。そこであなたに助けられたとよく話をするんです! どうぞどうぞ、りんご貰っていってください!」

「あっ! ありがとうございます! お母様によろしくお伝えください」


 と、ニニスは彼女からりんごを一つ受け取った。彼女はもっと持っていって欲しそうだったが、ニニスは食べ切れないからと言って一つで済ませた。

女性と別れて、歩きながらニニスは話しかける。


「クラリスさん、一緒に食べない?」

「はい? まぁ構いませんが」

「あはは。ね? こんな風に、どこかで想いは繋がってるかもしれないよ。だから今こうして私が嫌われてても、焦ることは無いと思うよ」

「そうですね……。分かりました。目に見えないだけで、意外なところで繋がっているかもしれませんね」

「うん!」



 ――――――



 ひったくりに失敗して路地裏に消えた男は、街外れにあるスラム街とも評されるべき貧民街に辿り着いた。そこで出会った男の友人に、彼は武勇伝のように告げた。


「―――それで、俺の名演技で許してもらえたってわけよ」

「なんだよそれ! ははっ! 妹なんていなかっただろ! ふはははっ!」と友人は笑う。

「そうそう。この変な布も貰ったっけな」と男は手に握った布を見せつけた。「私の気持ちだなんだ言ってたが恩着せがましいっての。調子に乗りやがって」

「どうすんだ? それ」

「へっ。いるかよ、こんなもん」


 と男は、ニニスの気持ちまで無下にするように路上に布をポイと捨てた。


 男が布を捨てる瞬間を見ていた男の子がいた。少年はその布をまじまじと見つめると、すれ違いざまに布を捨てていった男の背中に話しかけた。


「捨てちゃうの?」

「あん? なんだガキ」

「いらないなら貰っていい?」

「勝手にしとけよ」


 男は友人と歩き去っていく。

 少年は布を拾い上げた。手触りが良い布だと思ったが、どこか少しだけ重いように感じた。

 布を渡された男は気づかなかったことだが、畳まれた布の中には青い宝石が一つ潜まれていた。男がもし布を大事にしていたら、ニニスの気持ちを大切にして布を捨てずにいたら、いずれ気づけたであろう宝石だ。


「手ぬぐいかな? ママ、喜んでくれるかな」


 少年の家族はこの貧民街で暮らしていた。

 生活の中で母は病気がちになり、父の稼ぎだけでは治療費も出せず、薬代で生活も苦しくなり、少年は十四歳ながら働きに出るしかなかった。


 少しでもお母さんの気持ちをを楽にさせたい一心で、彼はその布を持ち帰った。

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