第9話 決闘ですか!?-4

 対戦者が居なくなって三十秒経った闘技場には困惑が広がっていた。当然、誰も居なくなった決闘が話題に上がる。

 ゾンはひび割れが広がったステージを見つめながら椅子に肘をつく。

 すると近くにいた使用人が声をかけた。


「ゾン様。いかがなされますか?」

「……いや、何かある。俺の勘がそう言ってるんだ。まだ待ってみようぜ」


 するとその瞬間、観客席で声が上がった。声を上げた人物は上に向かって指を差している。


「な、何か落ちてくるぞ!」


 闘技場の中央に落下したは、着地と同時にもう一度ステージに轟音とひび割れを作る。その音から一瞬何が起こったか分からなかった観客席の面々だが、ひび割れの中心にニニスが居ることに気付くと皆一様に目も口も開きっぱなしになってしまった。

 だが特等席に座るゾンだけは愉しそうにニヤついた。


「はぁ!? な、何だよアレは!」


 ハーティはダキアの入場口からニニスを目撃した。彼女はニニスが空から降り立ったなんて想像がつかなかったが、しかしこの状況からはそう考えるしかなく、彼女は混乱とイラつきが顔に滲む。


 そんな中でニニスはただじっと上を見上げていた。


 ──────


「うああああああああっ!!」


 全身に負荷を受けながらさらにさらに上昇していくダキア。彼の脳内にはこのまま落ちていく場合がシュミレーションされていった。


(た……っ! 耐えるとか耐えられないとかじゃないっ!? そのまま肉片になる……!)


 雲が近くなってきた頃に徐々に勢いは弱まってきた。もうすぐで落下が始まることが嫌でも分かる。

 ダキアは恐怖によって(嫌だっ! 落ちたくない! まだまだ上がってくれ!)とあべこべな思考になってしまった。その間に彼は下層の雲に触れられる距離にまで到達する。

 しかし彼の祈りは届かず、そこで一瞬上昇が止まったかと思えば、ダキアの身体は引っ張られるように地上へと一直線に向かい始めた。

 ダキアは喉が枯れることも気にせず叫んでしまい、瞳からは次第に涙が溢れ出す。そして同時に後悔の念も溢れ出した。


(ちくしょうっ! なんで……っ! なんでこんなことに……っ!!)


 ──────


 二日前のこと。その時にはゾン公子が帰還する報せが回り、関係者にパーティへの招待状が配られている。

 今宵、ハーティは城内の自室にダキアを招いた。衛兵勤務中にハーティから哀しげに部屋に来るように言われたダキアは、鼻の下を伸ばしながら勤務交代時間になると真っ直ぐ部屋に向かった。

 部屋の中にはいつも最低五人はいる使用人がおらずハーティ一人きりだ。まだ聖女ではないのに聖女と同等の扱いを受けている彼女の部屋は、ハーティ一人きりだと寂しく思えた。そして二人きりという状況がダキアに気持ちを昂らせる。


「ハーティ様、どうされましたか」

「ごめんなさい。忙しいのに呼びつけてしまって……。でもこんなこと、ダキアさんにしか話せないんです」


 ベッドに腰掛けながら涙に潤んだ顔でそう見つめられ、その可愛らしさからダキアは頬が紅く染まる。彼は普段からよくハーティに話しかけられることも多く、彼の心の中には誘導通りの期待感が生まれていた。

 ハーティは「隣にどうぞ」とダキアを座らせると、目を伏せて言葉を続ける。


「私、いじめられているんです」

「そうなのですか?」

「はい……。私、誰にも言うことができなくて、でもダキアさんなら、話を聞いてくれるかもしれないからお呼び致しました……」

「だ、誰がハーティ様をいじめているというのですか?」

「新しく聖女になられたニニスライト様なのです。私が賜った任務を妨害してきますし、私生活でも嫌がらせが止まらないんです。私、もう、耐えられない……っ! ……その……信じてくださいますか?」


 とハーティは今にも泣き出しそうな瞳でダキアを見つめ、横にある彼の手に自分の手を弱々しく乗せた。完全に気を良くしたダキアは言う。


「もちろんです! あなたの悲痛な想いを疑うなんて、できるはずがないではありませんか!」

「まぁ!」


 ハーティはダキアの腕に絡みついた。そしてついに涙を流し始める。


「嬉しいですぅっ! 本当に、頼れるのはあなたしかいなかったのです! 私にはどうすることもできなくて……! あなたにも頼れなかったら、どうしようかと!」

「任せてください。僕がなんとかしてみせましょう」


 と息巻いたダキアはハーティの肩を抱いた。


 ──────


「ちくしょぉっ! ちくしょぉお!」


 ダキアの流す涙は風圧によって散り散りになっていく。


(やるんじゃなかった! くそぉ!)


 ダキアにとってはニニスを罰として痛めつけるだけのつもりだった。自分が死ぬ事態になるとは一切思っていなかった。


「───ぁあああああああ!!」


 落ちながらダキアは死の恐怖を味わう。

 全く見えもしなかった闘技場がいつの間にか粒のように映り、それは少しづつだんだんと大きくなっていく。ダキアにとっては、さながら膨らんでいく自身の死への実感に思えた。


(親父っ! 母さん! リーカ! 助けてくれぇ!)


 ダキアの高さがいよいよ国城に迫ってきた時、思い浮かべたのは家族の姿だった。下がり始めてからそこまで下降するのはおよそ四十秒の出来事だったが、しかしダキアには数十分の時間が流れたかのように感じられた。


 彼がその高さになるのを見届けたニニスは、ダキアの身体から少し横にズレる場所を踏み込んで跳び上がった。

 そしてダキアの後ろ側に到達すると、彼女は彼の鎧の首部分と背中部分の隙間を素早く掴んで、これまた素早い動作で上に持ち上げた。

 そのままダキアが落ちてくる勢いを一身に受けて、ニニスは再度闘技場の中心に着地した。


 ニニスが着地した時の轟音は一層強く、そこにいた貴族たちの肉体を震わせるほどの衝撃があった。そして今しがた強大な勢いで踏み抜かれ、三度目となるひび割れを入れられた闘技場は、ひびから土煙を盛大に噴き上げた。

 そして土煙が晴れると、観客は徐々に状況を理解し始める。

 ニニスは鎧を掴んでダキアを持ち上げ、ステージの中央、ひび割れの中心で膝をやや曲げて立っていた。そしてニニスは曲げた膝を真っ直ぐに直すと、ダキアをゆっくり座らせた。

 ダキアには一切のダメージが無かった。まるで上に投げた卵を傷つけさせず掴んだように、ニニスはダキアの落下エネルギーを受け止めながら、彼に一切の衝撃を与えない着地をした。落下の衝撃は自身と地面のみに伝わったのだ。


 だが、舞台に座らされたダキアの戦意はとっくに消失していた。


 貴族たちは目の前で繰り広げられた光景に歓声を上げることも忘れていたが、しばらくすると動かなくなったダキアを見たゾンの判断で決着の合図がなされ、次第にダキアの元に使用人が集まってきた。



 ──────



 聖女を奇襲した責に問われたダキアは城に併設された牢獄の一室に捕らえられた。その牢獄はダキアも勤めていたトードル兵隊基地の横にあり、ダキアも見慣れた施設だったが、しかし内側から鉄格子越しに三人の兵士たちを見る景色は初めてだった。


「どうしてこんなことをしたんだ、ダキア」


 呆れるような、悲しむような声色で、兵士たちの中心にいるグノットは言った。だがダキアは顔を伏せて何も答えない。そのまま十分が過ぎた。


「ダキア。このままだとお前は敵国のスパイだと疑われてしまうぞ。もし本当にそうなら何も語らなくていいが、違うのなら正直に語るのを勧めるぞ。また来る」


 グノットは兵士たちを連れて鉄格子の前から去っていった。

 ダキアが悔しさとやるせなさから思いっきり鉄格子を叩いた。ガァーン!という音がするが、強度を増す魔法を何層にも重ねがけされた牢獄の鉄格子には全く影響が無い。痛みだけが拳に残った。


 小窓から月が覗いた頃、牢屋の前でダキアを呼ぶ声がした。ダキアがそこを見ると思わず目を見開く。


「おい、おい」

「あっ! ───」

「静かに」


 とハーティはダキアを落ち着かせる。彼女の出現はダキアを安心させたが、彼女の雰囲気に違和感を覚えた。なのでぎこちない口調になってしまう。


「ハ、ハーティ様、見苦しい所をお見せして申し訳ありません。どうやってここに?」

「別になんでもいいだろ? 来る方法なんて。そんな話をしに来たんじゃない」

「はい? ハーティ様……?」とダキアから笑顔が消えていく。

「いいか? お前は何を聞かれても絶対に私の名前は出すなよ。そのをしに来た」

「えっ……? な、ど、どうされましたか……?」


 頭が激しく混乱するダキア。ハーティは構いもせず続ける。


「鈍いやつだな。だが私の名前を出さないのならなんでもいい」

「まさか……! だ、騙してたのか……!?」

「騙す? 私がいつ斬ってこいと言った?」


 淡々と言うハーティにダキアは身震いさせられる。


「言っておくが、騙されてたって証言しても、私に罪をなすってるようにしか映らないからな。だけど私の名前が出ることすらも避けておきたいんだよ。分かってくれるか?」

「くっ! お前、ふざけやがって!」

「静かにしておけよ。そういえばお前、リーカって妹がいるって話してたよな。よほど大事にしてたっけ。もし黙ってくれるんなら家族には何もしないでおく」


 その瞬間、ダキアの顔が強ばる。ハーティに向かっていき鉄格子を掴んだ。


「人質のつもりか! 喋ったら俺の家族を殺すって言うのかよ!」

「そんな酷いことを私がするわけがないだろう? 足がつくし。落ち着け。ただもし喋ったのが分かったら、お前の悪い評判をお前の故郷と家族に吹き込んでやるよ」

「おい! なんでそんなこと……!」

「そうしたらお前が処刑される間際、お前の家族はお前を完全な悪人だと思うだろうな。最低最悪の男だと家族に思われながら命を絶つんだ。別にそれでも構わないのなら、意味の無い証言でもすればいい」

「……っ!」


 ダキアは言葉を失ってしまった。怒りや戸惑いなどの感情や何を言えばいいのかの思考が脳内でせめぎ合って、彼の顔は強ばったまま言葉も出ず動かなくなってしまった。

 言いたいことを言い終えたハーティは「じゃあな」と言い残して立ち去った。

 ダキアは鉄格子を離して膝から崩れ落ちる。ハーティの足音が次第に小さくなり、そして聞こえなくなってきた頃、ポロポロと涙を流し始める。


「そんな……っ。そんな……。俺は…………」

「あははは。ハーティ様も悪い人ですね」

「───えっ!?」


 驚きながら顔を上げたダキアは、いつの間にか牢屋の前に歩いてきたニニスを目撃した。

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