第3話 聖女、大変なのですが!

 ニニスは朝起きてすぐにメイドたちによって立ち上がらされ、寝巻きからドレスに着替えさせられた。彼女は眠気眼のまま腕を引きづられるように寝室から出て廊下を移動していく。


「ちょ、ちょっとこれ、歩きづらい……! 普通の服じゃダメなの?」

「国の要たる聖女はその役目に相応しい品格が無くてはなりません。納得して頂けると」


 淡々とそう言ったのは、昨日付けでニニスに割り当てられたメイドであるクラリス・ハートという女性だった。ニニスと同年代、少し年上のクラリスだが、ニニスからしたら距離を感じてしまう。

(クラリスさん、すごく優秀そうだけど、表情が動かないから考えてることが分からないなぁ……)という印象をニニスは受ける。


 ニニスが連れてこられたのは食堂だった。

 アンティークな机に備えられた椅子七席のうち、既に六席が埋まっている。その六人は落ち着いた様子でニニスに視線を向け、ニニスはなんだか恥ずかしいような感覚に襲われた。

 椅子に座る彼女たちが聖女なことは、漂う雰囲気と佇まいでニニスにはなんとなく伝わった。現在城にいる聖女たちは、町や村などへの遠征が無い聖女だ。


「お、おはようございます」


 六席のうちの一席にはニニスの知る顔があった。その聖女、ミリアンは優しい声色で言う。


「あらニニスちゃん! 待ってたわよ。さ、食べましょ」

「はい!」


 ニニスも周りの聖女たちに倣って、動きづらいドレスを揺らして不慣れに椅子に座った。

 その後、部屋に入ってきた使用人たちが整った所作で皿を聖女たちの前に置いていく。


 ――――――


「……、……!」


 ニニスは迷った末にフォークを握って、四角く切られたハムに上から突き刺した。


「いけません」とクラリスが指摘する。

「えぇっ!?」と小声で言うニニス。

「フォークは左手に、ナイフを右手に持ちましょう。昨日の夜にもお教えしたはずなのですが。それに、突き刺すのも見栄えが悪いです」

「そんなこと言ったって、分かるわけ無いじゃん……。食事くらい好きに食べさせてよぉ」

「聖女たるもの、食事の際にも品格を保つようにして頂きたく思います。食事の姿には当人の品性が色濃く現れますので」

「だからって、こんなこまごましたルールなんているの?」


 ニニスとクラリスのやり取りをミリアンはどこか楽しそうにクスクスと笑う。

 ハッとして恥ずかしくなったニニスは閉口した。そしてふと静かに食べ進める周囲を見る。


(皆さん、しっかり出来てるなぁ。細かいルールをちゃんと覚えれば、あんなに気品のある食事になるんだ……)


 ニニスは関心しながら観察してみて、なんとなく分かった気になってナイフとフォークを握ったが、その時もクラリスに注意されてしまった。


 ――――――


 全く聖女としての知識を持ち合わせていないニニスのことを、クラリスは疑問に思っていた。

 聖女とは加護を授かれる才能だけでなく、民の評判や功績もあって初めて成れるものだ。さらには品格を保つために聖女らしい礼儀作法の教育を受ける必要もある。

 なので民たちからは歓迎されず、食事のマナーも知らないニニスは異質そのものだった。

 占い師の助言で聖女に選ばれたと聞いてはいたのだが、それでもどうしてそう占われたのかという疑問が湧く。クラリスはニニスの髪を整えながら表情に出さず頭の中で考える。


(ニニス様……。どこからどう見ても普通の女だ。悪い人ではないが、聖女に選ばれるような人物だと思えない……。それに確か彼女の加護は……)


 そこまで考えた時、髪の手入れが終わったようだ。使っていた道具を机に置く。


「終わりました」

「ありがとう。じゃ、散歩に行きましょうか」


 聖女にとっての散歩は、民たちの親睦を深めたりする上で重要であり、半ば任務のような意味合いを持っている。特にニニスの場合は顔を覚えられるためにも城下町を巡る必要があった。


 ――――――


 城下町でクラリスが目の当たりにしたのは、およそ聖女の散歩だとは思えない光景だった。

 道行く人々は彼女を無視するか離れたところで陰口を叩き、ニニスの挨拶には反応が乏しい。

 そんな様が痛ましくてクラリスは言った。


「ニニス様。今日はお帰りになりますか?」

「どうして?」

「あ、いえ……」


 曖昧に返事をしたクラリスにニニスは微笑む。


「こういうのはやり続けるのが大事だから。私まで避けてたら一生距離は埋まらないよ。それに、皆さんは私が聖女だって納得できてないみたいだけど、私が一番納得できてないからね。あははは」


 クラリスはそこで、ニニスは自分の立ち位置を充分に理解していることを知る。クラリスがどう声をかけていいか分からないうちに、ニニスは街の一角の広場に着いた。

 するとニニスの元に、ドレスに興味を持った子供二人が駆け寄ってきた。男の子と女の子だ。


「わぁ! お姉ちゃん、綺麗!」と女の子が言う。

「エヘへ、そうでしょ〜」

「お姉ちゃん、聖女さまなんでしょ?」と今度は男の子。

「あ、分かっちゃう?」

「パパもママも話してたんだ。新しい聖女さま、何もできないんだって! 本当なの?」

「うわ! 思いっきり言うなぁ。私にもできることだってあるよ。見せてあげよっか?」


 ニニスの言葉で子供たちの目が輝く。


「え、なになに!?」

「見せて!」

「ふっふ〜ん」


 と得意げにニニスが子供たちの前に両拳を握って突き出した。

 そして上向きに拳を開けば、それぞれの手にはいつの間にか手には少し収まらない程度の長さの花があった。女の子の方には赤いチューリップ、男の子の方には黄色いチューリップだ。

 手品のような芸当に子供たちは笑顔になって感嘆の声をあげる。ニニスはチューリップを子供たちに渡した。


「わぁ、きれい!」

「ふふふ。君たちを笑顔にすることはできるよ」

「すごい! どうやったの!?」


 するとその時、子供たちのお母さんが駆け寄ってきた。名前を呼ばれて子供たちは母親に気づく。


「あっ、お母さん! 見て見て! 貰ったんだよ!」


 と女の子が母親にチューリップを見せつけるように手をあげると、母親はその手首を掴んだ。そして何も言わずニニスを睨みだす。

 ニニスが軽く微笑んでお辞儀をしたところ、母親は踵を返して子供たちの手を引いてどこかに行ってしまう。

 振り返って気まずそうにニニスを見る女の子に、ニニスは見えなくなるまで手を振った。


 ──────


 帰ってきたニニスはまた別のドレスに着替えさせられた。クラリスの着付けを素直に受け入れる。


「ニニス様。次に私がお呼びする時は昼食の時ですので、その時には部屋に居てくれると助かります」

「うん」

「それと、その……」

「どうしたの?」


 クラリスはどうしてニニスが聖女になったのか気になり聞こうと思ったが、失礼になると思い留まった。「なんでもありません」と誤魔化した彼女にニニスは首を傾げる。

 その時、ニニスの部屋のドアがノックされた。


「はい! どうぞ」


 ニニスがそう言うとドアが開かれる。開いたのはミリアンの側近の使用人であり、彼女の傍にはミリアンもいた。

 クラリスは握っているドレスの裾をそのままにしながらミリアンに一礼する。


「あら、邪魔だったわね」とミリアンは少し申し訳なさそうに微笑む。

「いいえ。お気になさらず。どうかされましたか?」

「スカーレットちゃんが、どうしてもあなたと遊びたいみたいなのよ。それもね」

「そうですか。任せてください!」

「悪いわねぇ〜。着替えが終わってからでいいわよ」


 そう頼むとミリアンはドアを閉めて去っていった。ニニスの着付けも再開される。


「では遊んでいる間に私は雑務をしていますので。……疲れているのでしたら少し休んでいかれますか?」

「大丈夫だよ。ありがと」とニニスは優しく言った。

「いえ」とぶっきらぼうに言うクラリス。

「ね、クラリスさん」

「何でしょうか」


 ニニスは着付けをさせてもらいながら話す。


「あのね、私に聖女のことをもっと教えて欲しいな! 私頑張るから!」

「はぁ……。言われなくても、私の任務の一部ですから」

「あははは。そっか。じゃあ改めて、よろしくお願いします」


 コクリと頭を下げたニニスにクラリスは「……あっ、あまり動かないで頂けると」と言い放った。


 ──────


「それで、汚れすぎじゃないですか?」

「あははは……」


 スカーレットと遊び終わったニニスが自室に戻ると、ドレスの大部分に付いた土の汚れがクラリスを驚かせた。


「聖女様たるもの清潔に保ってください。汚れる可能性のある行動は控えるように。品位とは日頃の積み重ねで身につくものですから」

「だってスカーレットちゃん様が外で遊びたいって言うから……」

「全く……。そもそもどう遊べばそんなに汚れるんですか。さ、早く着替えますよ。私も手伝いますから」



 一方その頃、城の広大な庭園の一角では、ミリアンが数人の使用人を呼びつけた。

 用件を知らずにやってきた使用人たちはまず庭園の荒れ具合に驚いてどよっとざわめく。地面は広範囲にえぐれ、草花は散り散りになり、整っていた景観は残骸のように崩れている。

 まるで強大な魔物同士が派手に戦ったかのようだった。


「な、何が起こったのでしょうか? まさか魔物の襲撃ですか?」と使用人の一人が聞いた。

「おほほ。違うのよ。スカーレットちゃんが遊んじゃってね。これを片付けてくれるかしら」


 指示を出すミリアンの足元で、スカーレットはニャ〜ンとあくびをした。

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