第2話 大聖女様への謁見

 お披露目会の後、応接室の中でオレンジを食べ終えたグノットはニニスに問いかけた。


「さて、次は大聖女様への謁見です。ニニス様の休憩が終わり次第向かいます。その籠は預かりますよ」

「分かりました。私は今からでも構いませんが」

「本気ですか?」

「ええ。大聖女様を待たせる訳にはいきませんので」

「……承知しました」


 ――――――


 お披露目会のすぐ前には、城内の大広間で聖女任命の儀式が行われていた。

 国内で最も豪勢だと謳われるだだっ広い室内で、トードル国の元首であるヴァルフォール公爵とその家族が玉座に座っており、公爵から直々に聖女の任を授けられる儀式だ。

 儀式では貴族や国の重要人物がその儀式のために一堂に会しており、大聖女ミリアン・クロムハイバーも大広間でニニスが公爵に跪く姿を見届けた。


 ――――――


 儀式が終わるとミリアンは自身の部屋に戻ってお気に入りの椅子に座り、メイドの淹れた紅茶を優雅にすすりながら、膝の上に乗る愛猫のスカーレットを撫でていた。

 今年で八十歳になるミリアンにとっての私服のひとときだ。


 ミリアンがしばらくくつろいでいるとその部屋にノック音が響く。お付きのメイドがドアを開くと、顔を覗かせたのはニニスだった。後ろにはグノット率いる兵士たちが付いている。

 ニニスは屈託のない笑顔で言った。


「ミリアン様。ご挨拶に伺いました」

「おほほ。いらっしゃい。入って」

「失礼します」


 促されるまま部屋に入ったニニス。続くように兵士たちが入ろうとしたところでミリアンは言った。


「あ、二人きりにしてくださる? ジョッシュも出てちょうだい」


 その一言で部屋にはミリアンとニニス、そして猫のスカーレットのみが残されることになった。少し緊張した表情でミリアンの対面の椅子に座ったニニスはミリアンからの話を聞く。


「驚いたでしょう? いきなり聖女になれ、なんて言われて」

「はい。名誉なことはこの上ないのですが……正直に申しますと恐れ多くて。グノットさんが家に来るまで私はただの町民でしたから」

「私の友達の占い師がね、あなただったらいいんじゃないかって。トードル公国の力の象徴となれる聖女よ」

「あはは……。あの日グノットさんにもそう言われましたけど、現実感がどうにも湧きません」

「おほほ。私もよ。あなたが聖女なのにはまだイマイチ納得できないわ」

「はい?」


 ミリアンは紅茶カップを窓辺の小さなテーブルにカチャンと置いた。


「ナッコウンを……あぁ、占い師のことね。彼を疑うわけじゃないわ。彼の占いはよく当たるから。だけどだからといって、納得も無しに『はい聖女です』と認めるわけにもいきません」

「……」

「それにあなた。聞くところによると、自分にしか聖なる加護をかけられないらしいわねぇ。それでどうやって国を守るのかしら?」

「つまり、証明をすればよろしいのですか?」

「おほほほ!」


 笑いながらミリアンが向けた黒い瞳の奥深さに、ニニスは思わず身震いしてしまった。

 ミリアンは膝の上で丸くなっているスカーレットの尻をぽんぽんと叩く。スカーレットは気だるく顔を上げてミリアンを見ると、意図を察してめんどくさそうに膝から降りて部屋の中心にちょこんと座した。

 じっと自分を見てくる猫にニニスが戸惑っているうちに、ミリアンは胸の前で手を組んで天を仰いだ。


 するとスカーレットの足元に発光する魔法陣が現れたかと思えば、なんとスカーレットはグングンと巨大化していった。

 胴体と四肢は筋骨隆々に膨れ上がり、顔もさっきまでのふてぶてしい猫のものとは一変している。今まさに喰ってかからんとする猛獣のそれだった。

 スカーレットはただでさえ高い天井にまで届きそうな視点から、「グルルル……」と牙をむき出しにしてニニスを見下ろしてくる。


「いい? 聖女というのは時として死地に赴かなければいけないの。現地で戦う兵隊に加護をかけるために。だからこの猫のような魔物と対峙するのだって珍しくない。そういう状況で、あなたは何ができるのかしら?」


 体高だけでもニニスの倍はあるスカーレットを前に、ニニスは臆することなく椅子から立った。


「あなたの猫をなんとかしてみせれば納得してくれる、ということでしょうか?」

「そこまでは期待していませんよ、おほほ。私の加護をかけたスカーレットちゃんは、それこそ一匹で大型の魔族の群れも屠ることができるのよ。もしもスカーレットちゃんのような魔物を相手にした時、あなたに出来ることが見てみたいの」

「……分かりました。はい。実のところ、聖女になったことに現実感は無いのですが、納得感はあるんですよ」


 ニニスは自信ありげに口角を上げてみせた。

 その瞬間、ニニスの足元に魔法陣が現れ、そしてまるで時間が止まったかのように全ての物体の動きが止まった。


 全てが静止している世界をニニスは悠々と歩く。そしてスカーレットの前に立った。


「これがミリアン様の加護かぁ。それにまだ全力では無さそうだし、同時に何人にでもこんな加護をかけられるんだよね。さすが大聖女様、すごいなぁ」


 彼女はスカーレットの毛に覆われた前脚の筋肉を触って独り言を呟く。


「でも、加護の強さなら負けてないと思うな。だってスカーレットちゃん様も私の動きに着いてこれてないんだから……」


 ニニスの聖なる加護は自分にしかかけられないが、強化倍率が底なしだった。有り得ないほどぶっ飛んだ倍率で自身を強化することが出来る。

 全てが静止したこの世界は本当に時間が止まったわけではなく、だけである。


「だけどここで戦うのはダメだよね。色々壊れたら私、絶対弁償できないし!」


 ニニスは広い中庭に繋がる大きな窓を開ける。その後にスカーレットの前脚を掴んで引きづった。

 この時点でのスカーレットはゆうに重さ一トンほどになっていたのだがニニスは楽々にスカーレットを運んでいく。

 そして窓の近くに来るとニニスから先に中庭に出て、外からスカーレットを引っ張っていく。窓と比べて大きいはずのスカーレットは意外にもスルスルと通っていった。


「おお! 最悪ぶち抜くしかなかったけど、猫だけあって意外と通れるんだ。良かった〜」


 そしてそのまま安全なところまでスカーレットを引っ張ると、ニニスは少し間合いを取った。


「よし、ちょっと緩めるか」


 ――――――


 ミリアンはその長い人生でも見た事が無い現象を目の当たりにした。

 目に前にいたはずのニニスとスカーレットが、瞬きする間もなく忽然と姿を消したのだ。


「えぇっ!?」


 と驚いているうちに、いつの間にか開いていた窓の外から「グオオオォォッ!」というスカーレットの唸り声が聞こえてきた。慌ててミリアンが中庭を見ると、そこではスカーレットが爪を立てた両前脚でニニスに襲いかかるところだった。


 振り下ろされた腕は後ろに下がったニニスに当たらなかった。その瞬間移動のような動きにスカーレットは思わずニニスを見失ってしまい、驚いたように「グオっ!?」と唸る。

 ニニスは地面についたスカーレットの右前脚の大きな指を素早く掴むと、細い腕をひょいと上に振って軽々とスカーレットの巨体を持ち上げた。

 スカーレットは自分の頭が下で尻尾が下になっていると直感的に理解して目が丸くなってしまう。そしてその次の瞬間、ニニスによって背中から地面に叩きつけられた。

 土煙があがって轟音が鳴り響き、スカーレットの背中が当たる地面は大きな窪みとなってしまう。そして土煙が晴れると、ニニスは窪みの中心でゴロンと倒れる小さな猫を見つけるのだった。


 ――――――


 その一部始終を見てしまって開いた口が塞がらないミリアン。

 すると勢いよく部屋の扉が開かれた。そこからは側近メイドのジョッシュやグノットら兵隊たちが入ってくる。ジョッシュが鋭い剣幕で聞いた。


「ミリアン様! 今の音は一体どうされましたか!?」

「……、……ふふっ」


 とミリアンは笑う。


「ど、どうしたのですか?」

「おほほほ! だって、おかしくて! すごいのを見ちゃったわ! ジョッシュ、ニニスちゃんのために紅茶を淹れてくださる?」

「……? ……はい、かしこまりました」


 ――――――


「説明も無しに勝手なことをしてすみませんでした」


 再度椅子に座ったニニスはミリアンに謝った。今回も部屋の中にはニニスとミリアン、そしてスカーレット意外はいない。


「いいのよ。楽しませて貰ったわ! それにスカーレットちゃんもあなたを気に入ったみたいだし」


 スカーレットはというと、ニニスの膝の上で丸くなっていた。窓からの光で日向ぼっこをしているようだ。

(スカーレットちゃん様、結構太ってるな……?)とニニスは思う。


「それでその、納得はしてくれました?」

「もちろんよ! ……あぁそうそう、もうひとつ聞きたいことがあるの。いいかしら」

「なんでしょうか?」

「確かにあなたは強いわ。だけど聖女の任務に耐えられるのかが疑問なのよ。そこでニニスちゃん、あなたはなんのために聖女で居続けるのかしら? それを聞きたいわ」

「なんのために、ですか……」

「そう。要するに激務に耐えるモチベーションよ。ここだけの話、ハーティちゃんにはそれが見えなくてね……。良い子だけど、どうして聖女になるのかが分からないの」

「あはは、良い子ですか……」


 そこには特に言及せず、ニニスは素直に思いの丈を言った。


「シャーザ様は仰いました。力は自分のために使えば世界は狭まるばかりですが、人のために使えば世界は広がります、と。きっとこれはシャーザ様のお導きなのです」

「女神シャーザ……。随分と珍しい信仰してるのねぇ。心の優しい女神様だと聞いているわ」

「はい! 確かに珍しい……かもですが、シャーザ様の教えは世界一だと私は思っています!」

「おほほほ。随分と好きなのねぇ。いい心がけよ。頑張りなさいね」

「もちろんです!」


 その後も二人は日が暮れるまで談笑し合った。

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