第4話 ゴブリンの誘拐事件-1

 聖女になって数日。ニニスは招集をかけられてグランテスという街に赴いた。動きやすくするために彼女はいつもより比較的軽やかなドレスを着ている。

 用意された馬車の中で揺られながら、小窓から街の様子を見ている時、ニニスはどことなく異質な雰囲気を感じ取った。隣に座るクラリスに言う。


「街の皆さん、なんだか暗くないかなぁ?」

「そのようですね」

「どうしたんだろ……」

「さて。ニニス様が招集された理由と関係があるのかも知れません」


 ニニスが連れてこられたのは街の領主であるグランテス家という貴族の屋敷だった。屋敷の使用人たちによって案内されたニニスは、グランテス家の家長ハルトン・グランテスと話をする。

 顎髭を蓄えたハルトンは、そのふくよかな脂肪を支えられるほど大きな椅子に座っている。ニニスもまた用意された椅子に座ってハルトンの話に相槌を打つ。


「―――……ゴブリンの誘拐事件ですか」とニニス。

「そう! 住民もみ〜んな怖がってしまって、おちおち街の外にも出られない状態なんだよ。だけど最近、ついにゴブリン共が住んでる洞窟を見つけたんだ。ニニス様にはぜひゴブリン討伐隊について行ってほしい」

「なるほど。事情は分かりました」

「まぁ、本当は君じゃなくてハーティ様に来て欲しかったんだが……。君で大丈夫なのか?」

「あははは」とニニスは誤魔化す。「任せてください。事態の解決に尽力させていただきます」

「うむ。じゃあ私の息子共々よろしく頼むよ!」

「息子ですか……?」


 話によれば討伐隊の隊長は、ハルトンの息子にして騎士であるウィル・グランテスであった。


 ――――――


 屋敷から出て、街の外で待機している討伐隊に合流したニニス。十五人の隊員たちはニニスに気づくと頭を下げた。

 その中の隊長格である長身で細身の男は、ハルトンの実子であると思えないほどの美男子だった。やや短めに切った濃い金色の髪を揺らし、切れ目の蒼眼をニニスに向けて言う。


「ウィル・グランテスです。ニニス様、本日はよろしくお願いいたします」

「はい。頑張りましょう!」


 ニニスはクラリスを屋敷に残して討伐隊と共に出発した。

 ゴブリンの巣である洞窟まで三時間かかった。地形がでこぼことした道を、緊張感から誰も私語を発さずに進み、そして崖に面した洞窟の入口の穴に辿り着く。


「よし。……皆。戦闘の準備にかかれ」


 ウィルの合図で討伐隊全員の気が一層引き締まった。各々が武器を手に持って具合を確認する。

 すると、ニニスが遠慮がちに手を上げながらウィルに声をかけた。


「あの、すみません。少しよろしいでしょうか」

「はっ。どうされましたか?」とウィル。

「提案なんですけど、まずはゴブリンたちと話し合いをしてみませんか?」


 言葉を聞いた討伐隊の面々は思わず押し黙ってしまった。呆れたようにため息混じりでウィルが言う。


「ニニス様。あなたがどんな華やかな世界から来たのかは知りませんが、ここはお遊戯の世界ではありませんよ」


 フフッと隊員の一人が失笑してしまい、隣の隊員に戒められるように頭を叩かれる。討伐隊は全員ニニスに対して世間知らずの聖女だと責めるような目線を向けた。

 しかしニニスは折れることなく反論する。


「向こうに何かしらの事情があるなら聞かなくては。何か困ってるのかもしれないし、私たちに関係があることかもしれません!」

「あのですね……。ゴブリンというのは本能のまま私利私欲で動く魔物です。事情なんてあるはずがない。ニニス様は最近聖女様になられたばかりでしたね。とりあえず、隊長である私に任せれば良いですから」

「ですが、中にはまだ誘拐された方が残ってるかもしれないじゃないですか! 下手に刺激したら危険な状態になりえません」

「心配ご無用です。我々なら迅速にゴブリンを討伐できますよ。それにこう話している間にも何をされてるか分からないんです。今すぐにでも突入しなければなりません。では、よろしいですね」


 ウィルは話を終わらせようとして目線を洞窟の入口に移したが、ニニスは入口の前に立って視界に割り込む。


「力づくの解決に頼ってばかりではいけません。確かに時には必要ですが、しかし最初からそれしかないと決めてかかるのは間違いだと思います」

「はぁ……。ニニス様はどうやら何かを勘違いされているようだ」


 ウィルは腰に携えた剣をゆっくりと引き抜いた。木漏れ日にあてられて剣先が光沢を放つ。

 そして彼は剣先をニニスに向けた。本来であれば聖女に対してこのような無礼なことは許されないが、しかし隊員はウィルの味方のようで咎めはしない。


「ニニス様は自分が戦わないからそう言えるのでしょう? あなた様の言う話し合いもどうせするのは我々だ。どう転んでもあなた様に被害は無く我々が戦死するのですから、話し合いなどという理想論を平然と言える……。もしニニス様が我々の側で、魔族の危険性を熟知しておられるのなら、話し合いなど口が裂けても言えないはずだ」

「……だったら―――」


 ニニスはウィルの鋭く穿った瞳を見つめ返す。


「私が先陣を切りましょう。私がゴブリンたちと話し合ってみせます」

「……本気ですか?」

「はい。それで納得を頂けるのなら」


 ウィルは目を丸くした。武器も持たず鎧も着ていない人間、それも聖女様が先に入ると言い切ったことが信じられなかったからだ。

 さらに言えば、聖女が死なれたり重傷を負うことが万に一つもあってはならない。


「なりません! 聖女様は重要かつ貴重な存在です。危険な目には遭わせられない!」

「それは、あなたに降りかかる非難や責任を恐れて言っているのですか?」

「いや、それは……」とウィルは言葉に詰まる。

「ご安心ください。私に何が起こっても私が勝手にやったことになりますから」

「そういう問題ではありませんよ!」

「いいから、私が先頭で行きますよ。こうして話してる間にも中で何がおこっているか分かりませんし」


 と言うとニニスは振り返って一人で洞窟内に入っていく。慌ててウィルも中に入っていき、続くようにゾロゾロと戸惑う討伐隊が着いてきた。

 薄暗くて狭く足場も悪く、討伐隊の一人が灯した松明の明かりだけが頼りな洞窟内を、ニニスはなんの迷いもなく進んで行く。ウィルは着いていくのに精一杯でニニスより前に出られない。


「待ってください! 危険ですよニニス様! 恐ろしくないのですか!?」

「暗いところにはある程度慣れているんですよ」


 ニニスが自身の視力に加護をかけて夜目の効きを強くしているため、彼女だけ我が物顔で洞窟内をズカズカと歩けたのだ。

 隊がしばらく進むと壁に括り付けられた松明が現れて、そして道幅も広くなってきた。さらに耳を澄ますとゴブリンの鳴き声も聞こえてくる。

 ようやくまともに歩けるようになったウィルが警戒した面持ちでニニスに、ゴブリンたちに聞こえない声量で声をかける。


「ニニス様、いい加減にしてください。これ以上はさすがに―――」

「すみませーーん! ニニスライトという者ですけどーー! お話できる人いますかーーー!」

「ニニス様ぁ!?」


 開いた口が塞がらないウィルたちを気に留めないでニニスは進んで行く。少し進んで洞窟内の広場とも言える場所に出た彼女は、ざっと三十匹を超える小柄な緑色のゴブリンたち、壁際にいる攫われた十五人の人間、ひときわ大きくて肥えているゴブリン一匹が鎮座して一同に介している現場を目撃した。

 ゴブリンのうち殺気立った一匹が「キシャァァア!」と吠えてニニスに向かって走ってくる。

 だがそのゴブリンは巨大な手で行く手を阻まれてしまった。ひときわ大きなゴブリンが止めたのだ。ニニスの身長の倍はあるゴブリンは、おちょくるようにニニスに言う。


「ドウシタァ? ヒッヒッヒ! 服屋ダト思ッタカ? 嬢チャン」

「良かった。お話ができる方ですね。折り入って話が―――」


 するとニニスの後ろから討伐隊がやってきた。武器を持って広場に押しかける隊員を前に、ゴブリンたちも木の棒などを握りしめて「ガァア!」と威嚇する。臨戦態勢の激しい睨み合いが繰り広げられた。

 だが大きいゴブリンとニニスは冷静だった。


「ヒッヒッヒ! イイノカ? オレタチヲ殺ソウッテンナラコイツラノ命モ無イゼ?」

「人質……ということですか?」

「ソウダ! モットモコイツラノ命ガドウデモイイナラ気ニシナクテモイイガナ。コイツラカラ奪エルモノハ奪ッタ後ダカラヨ! スグニデモ殺セルゼ!」


 ゴブリンの言葉で攫われた人たちはガタガタと震え出した。討伐隊も迂闊に手が出せない。

 そんな状況でニニスはあることを平然と喋った。隊の全員が一斉に驚愕の表情でゴブリンからニニスに視線を移す。


「でしたら、私を人質にしてくださいませんか?」

「ンア?」

「彼らを解放する代わりに私が人質になります。いかがでしょうか」

「ナニ言ッテンダオ前。ソウシテオレタチニ何カイイコトデモアルノカ?」

「あ、申し遅れました。私はニニスライト・レガーナって言いまして、一応トードル公国の聖女をやらせて貰っています。この国では重要で貴重らしいので人質の価値は高いと思いますよ」

「ニニス様、何を仰るんですか!!?」


 ウィルの反応でニニスの言うことが真実だと悟ったゴブリンはニタリと醜悪な笑顔を浮かべた。


「ホホウ! コレハコレハ大層ナ上客ダ! ミンナ、モテナセヨ!」


 大きなゴブリンが手下のゴブリンをそう言って昂らせ、ゴブリンたちは「ギュオオォ!」など叫んだりした。


「なんてことを言うのですか! 人助けのつもりですか!? 聖女様が魔族の手に堕ちることがどれほど一大事か!」とウィルがニニスの肩を掴んだ。

「ウィルさん。捕らわれた方々を連れて表に出てください。なるべく早くお願いします。私にとっては皆さんを救うことができるなら、私が人質になるくらい安いものですから」

「……さっきから綺麗事しか仰りませんね。あなた様を取り返すために血を流す兵士が現れるのですよ!」

「あぁ、その、安いものっていうのは本当に安いから言っているのですが……」


 その時、大きなゴブリンはブハブハと笑い出した。


「ソコノ兵隊サンヨォ! ソウヤッテシツコイトモテナイゼ! サッサト消エナ! ヒッヒッハハハ!」


 もはやどうすることも出来ないと判断したウィルは人間を回収して、不承不承ながらもニニスを置いて洞窟の出口へと向かっていった。

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