第2話 南へ(後)
◆◆◆
各学部ごとに、必ず医務室は設置されている。その元締めである医局は、都の中心部から南西に寄った辺りにあった。
休日や夜間の診療。都内住民の受信履歴や投薬履歴の管理。予防接種や健康診断の実施など。学都での医局の役割は、かなり大きい。
ハングの尋ね人は、そこに勤務していた。
「お1人とは、珍しいですね」
ハングを笑顔で迎えたフルールは、時計を見て「ああ、今は授業中ですか」と呟いた。取りだした時計も、白衣の下から覗く服も、彼女の瞳と同様に、燃えるような赤色をしている。
さすが血縁と言おうか、彼女は若い頃の自治領主によく似ていた。逆に、一応は血縁だというのに、グドアールとは似ている箇所が無い。
「顔色が優れないようにお見受けしますが……こちらにいらした理由は、それではありませんね?」
ハングに椅子を勧めながらそう言ったフルールに、彼は苦笑した。
「さすがに察しが良いですね」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。しかし、いくら察しが良くても内容までは見通せませんので、さっそくですが話していただけますか?」
満更でもなさそうに笑ったフルールも、「ホバーカーを借りたい」という率直な依頼に、目を丸くした。
「ホバーカー、ですか?」
ハングは一つ頷くと、己の足りない言葉に補足をし始める。
「昨日、ブライアン教授から、ある情報を貰いました。今度の連休に、行ってみようかと思いまして」
「ブライアン教授から」
仕事柄、学都での彼女は顔が広い。騒がしい生物学部教授とは、知人どころか、たまに飲みに行く間柄であるらしい。彼女は彼が監視役であることを知っているはずだが、見て見ぬ振りをしているようだ。
ブライアンから貰った紙を渡すと、フルールは中を見た。
「セウス?」
紙には、セウスという名前と住所が書かれている。
「彼の両親を、グドアールが殺したそうです」
「グドアール?」
フルールは、細くつり上がった眉をひそめる。
「それは、目の前のグドアール?」
「さあ」
ハングは、肩を竦めて笑った。
対してフルールは、考えるように目を閉じた。しばらく人差し指をこめかみに当てて唸っていたが、やがて目を開いた。
「ホバーカーは、お貸ししてもよろしいですよ。ただし、私も行きます」
その言葉に、ハングは「いや」と否定の言葉を言いかけたが。
「門外へ出るには、免許の提示が必要ですよね? 学生ハングは、免許を所持していなかったはずですが?」
一言で、押し黙ざるをえなかった。
「それに」
フルールはコンピュータを引き寄せると、ハングと自身の間に置いた。
「これを見てください」
卓上のコンピュータを180度開く。その中央に、2人を遮るような形で、映像が浮かび上がった。大陸全土の地図だ。その地図のそこらじゅうに、赤い光が淡く点在している。
「あの方が、逐一送信してくださっている進行図です。彼女達の働きにより、これだけ計画が進んでいます。が、この用紙にある住所……この場所です」
フルールが操作すると、地図の下の方に青色の点が現れる。そこと赤い点は、重ならなかった。
「ここは、まだ手付かずのようです。あなたがセウスという人物と会っている間に、私は計画を進めようと思います。私は設置に慣れていないので、作業に時間が掛かってしまうかもしれません。ですが、かえってあなたにも好都合かもしれませんね」
「そうですね。連休なのも、幸いしそうです」
ハングとフルールは南門で落ち合う約束を交わすと、解散した。
◆◆◆
「おはようございます」
朝から、しかも街中でカエサルに会うのは珍しい。戸惑いながらも、ハングは軽く頭を下げた。
「おはようございます。今日は、お休みなんですか?」
「ええ、珍しく。ハングさんは、学都外へ出るそうですね」
カエサルは、先日ハイエロファントに出会った時に聞いたのだ、と話した。ハングは内心で、おしゃべりな奴め、と舌打ちをする。
その時だった。彼等の傍らを、赤い何かが勢いよく通り過ぎていったのは。
カエサルは、常にないほど驚いた。ハングはさして驚きもせず、振り返る。真っ赤な車の上で、フルールが苦笑いを浮かべていた。
「約束は、南門ではありませんでしたか?」
「やはり迎えに行った方が早いかと思いまして」
「前が少し凹んでしまったようですが」
ハングは、街灯とホバーカーの間を覗き込んだ。一見すると街灯の間際で停止しているように見えるが、角度を変えると車体が凹んでいるのが分かる。
フルールは運転が荒いらしく、車体のあちこちに傷があり、赤い塗料が剥げているところもあった。これでは、高級車が台無しだ。
「あの。おこがましいようですが、私が運転しましょうか?」
申し出たカエサルは、いつも以上に表情を硬くしていた。
その申し出は、普段であれば嬉しいものだった。彼女の運転を目の当たりにして立候補するくらいだ。運転技術も信頼して良いのだろう。
しかし、今回は外出の目的が問題だった。ハングだけなら友人と会いに行く、と言ってごまかすこともできる。だが、フルールは計画を進めると言っているのだ。計画外の人間を巻き込むのは、避けたい。
それに、免許の提示が必要なのは、門を出入りする時だけだ。学都から離れたところで運転を変われば済む話だった。
ハングは断ろうと口を開きかけたが、それより早く「あら、でしたらお願いしましょう」と、女医が答えてしまう。ハングは、ぎょっとして彼女を見た。彼女は気にせず、話を続ける。
「実は、おじい様に頼まれて、機械を設置しなければいけないんです。ハングさんは友達に会いに行ってしまいますし、私は不慣れです。よろしければ手伝っていただけると、ありがたいのですが」
「何の機械かは、私も知らないんですけどね」と笑顔で付け足されるフルールの言葉に、「喜んで」と、何の疑いも無くカエサルは答えた。ここでハングが反対すれば、かえって不自然に思われてしまう。
こうして、立場が違う奇妙な3人組は、学都を出発したのだった。
◆◆◆
カエサルに託した道中は、平穏に済んだ。
村はずれの森の中で2人と別れたハングは、のどかな道を歩いていた。右手には牧草地が、左手には森が広がっている。建物は無く、大型の動物が草を
「食用の家畜か」
この村の主な産業は畜産で、中でも食肉への加工が大きな収入源らしい。さほど距離が離れていないことから、学都にも供給されているだろう。ハング自身も恩恵を受けているだろうし、それについては感謝以外の感情は無いが。
それでも、とハングは足を止めた。
「セウスさんの能力では辛いでしょうね」
ため息と共に、呟きが零れ落ちた。
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