第2話 南へ(前)
学ぶ都の教授といっても、講義も会議も無い時には、くつろぎたいこともある。仕事場である校舎も、私用に用意された家も、都の中にあるのだ。生徒達がいつでも質問に来ることができる環境に身を置く彼等は、よりその傾向が強いかもしれない。
講義が無い時間でも教授室に身を置いていることが多いハイエロファントも、あまりの気候の良さに誘われた。散歩がてら、文学部棟にほど近いところにある喫茶室に足を運ぶ。
他では講義中のためか、人はまばらにしかいなかった。声を掛けてくる生徒に軽くあいさつを返しながら、店員に温かいお茶を頼む。待つ間、何の気なしに入り口に目をやったところで、戸が開いた。
「あれ?」
意外な人物に首を傾げたが、北西門からさほど遠くないことに思い至る。戸を開いた人物は、北西門の門衛を務めていた。彼等は携帯食を常備しているが、休憩時間に近場の喫茶室に足を運ぶことくらいあるだろう。
それでも、珍しいことに変わりはないが。
「カエサル君」
ハイエロファントに気付いたカエサルは、会釈をして彼の方へ近づいてくる。
「休憩かい?」
「はい」
見る者の心を解すような教授の柔らかい笑顔と、答えた門衛の表情は、実に対照的だ。カエサルは、人と接する時に生真面目な面が真っ先に出てしまう。協調性を欠いているわけではない。不器用なのだ。
ハイエロファントは彼の性格を理解しているし、誠実さを好意的に見ているから、不愛想にも気を悪くすることはない。
「本日は訓練日となっておりますので、早めに勤務を交代したのです。少し時間があったので、こちらに寄りました」
カエサルは教授の横に立つと、飲み物を注文する。その姿さえも、どこか直線的だった。ハイエロファントも姿勢は良い方だが、さすがに彼のようにはいかない。訓練の差かと、教授はちらりと思った。
「ハイエロファント教授も休憩ですか?」
「うん。ちょっと羽を伸ばしにね」
彼は肩を竦めて言うと、出てきたお茶に口を付けた。再び答えられる状態になるのを待って、カエサルは質問を重ねる。
「今日は、ハングさんとご一緒じゃないんですね」
「うん。フルールのところに行っていてね」
その名前に、カエサルの真顔に少しの驚きが混ざった。フルールとは、自治領主の孫であり、女医として学都に身を置く人物だ。
「どこか身体の具合でも?」
彼の心配は、社交辞令から来るものではない。たしかに、昨日のハングは熱を出していたが、既に今朝は回復傾向にあった。いたずらに心配をさせるのも良くない。
そう判断して、教授は慌てて否定した。
「ああ、いや、違うんだよ。ハングが今度の連休に、外へ行くことになってね。ホバーカーを借りに行ってるんだ」
学都は、高い壁に囲まれ、各門には数人ずつ門衛が配置されている。外から見れば、閉鎖された空間にも思えるだろう。
確かに、侵入者には厳しい。しかし、内部に住む人間や、その縁者に関しての出入りは、思いのほか寛容だった。門衛であるカエサルも、「そうですか」と頷くだけで、詮索するようなことはしない。
「カエサル君は、連休も仕事かい?」
「いえ、珍しく休みを頂くことができましたので、久々にエアバイクで遠乗りに行こうかと」
そう答えるカエサルは、心なしか嬉しそうだった。
「そう言えば、カエサル君はバイクを持っていたね。ホバーカーの免許は、持っているのかな?」
「ええ、取得していますよ。ただ、車自体は持っていませんが」
学都では、地下鉄が主な交通手段だ。たいていの住人が寮に入っていて、駐車場が無いこと。免許を取得するのに年齢制限があることなどから、ホバーカーの所持率は低い。小型のエアバイクでさえ、都内で乗り回されることは稀だ。
「ハングさんは、免許を持っていらっしゃるんですか?」
先のハイエロファントの言葉を汲んだようにカエサルに尋ねられ、教授は苦悶の表情を浮かべた。
「たぶん、フルールが運転することになるだろうね」
返答としては、的を外れている。しかし、所持していないのだと、推察はできるだろう。そして、フルールは運転があまり得意な方ではなく、ハイエロファントがとても心配しているということも。
現にカエサルは、目線を落とした教授の顔を、ずっと見ていた。
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