ガムヘア

「てめえ、ふざけてんのか?」

 ガムの男は腰を少し前傾させて、ジェイクの胸の高さから、微笑んでいるジェイクの顔を睨み上げて言った。

「ふざけてる?オレが?なんで?」

 自然体でガムの男に正対しているジェイクは、ガムの男の反応が不思議で仕方がないといった顔をしている。

「捨てたに決まってるだろ!吐き出したガムを『落としましたよ』って拾ってくるたぁ、テメエ、ケンカ売ってんのかよ」

 着崩したスーツの首元に弛み切ったネクタイをだらりと下げて、前かがみになりながらジェイクを睨みつけ、ガムの男はジェイクに詰め寄る。

「あ、そうだったんだー。ゴメンねー。そういうタイプの人だったんだー」

 ジェイクはそう言いながら、指先でつまんだガムを男の前髪にペトリとつけ、その周りの髪をそのガムに纏わりつかせるように持ち上げ、ガムを中心にした髪の束を握りしめた。男はされるがままに動かない。男の想像を超えたジェイクの行動は、男に理解する時間を必要とさせた。

「これでよし」

 ジェイクは満足げに言い放つと汚れた手を男のジャケットで拭いた。

「あ、スミマセン、坂崎さん。お待たせしました。行きましょうか」

「お、おぅ……。ってか、アレ、いいのか?」

 坂崎の指さす先には、ガムで固まり珍妙な造形となった前髪を商店のショウウィンドウのガラスに映して震えている男がいる。

「いいんじゃないですか。見ようによっちゃオシャレですし」

 飄々と言い放つジェイクの言葉に、プッと吹き出す声が辺りから聞こえた。ガムの男とジェイクの行動を遠巻きに見ていた数人の通行人が抑えきれない笑い声を漏らしている。

「待てコラァ!」

 ガムヘアの男はジェイクに向き直り大股で詰め寄った。そして、大きく振りかぶった右の拳をジェイクの顔めがけて打った。それはさながら小兵力士が横綱に奇襲をしかける光景を彷彿とさせたが、相撲と違ったのは構えもせずに直立していたジェイクの頬に男の拳が下から入ったと見えたその瞬間、その打撃の力は霧散するように立ち消え、ぽむっとジェイクの白く美しい肌の上に男の拳を軟着陸させたのだ。

「あれ?」

 ガムヘアの男は首を傾げる。

「暴力はやめましょうよ。後始末が大変だし」

 ジェイクは苦笑しながら言う。ガムヘアの男は益々顔を赤く染めて、怒りの表情を隠す事なく拳を何発もジェイクに打ち付ける。しかし、その全ての勢いはジェイクの体表で消え去り、幼稚園児のパンチ程のダメージすらジェイクに与えない。

「なんだあのチンピラ、ポカポカって癇癪起こした子供かよ」

 遠巻きに眺めてる観衆の一人が言ったその言葉は、ジェイクとガムヘアの男の耳に届いたかどうか。

「あー。あんまり溜まると酷い事になっちゃうから、そろそろ返すね」

 ジェイクはそう言うと、ゆっくりと手の平をガムヘアの男の胸に当てた。するとその瞬間、ガムヘアの男の体は後方に吹き飛び、さっきまで男が自身の姿を映していた店のガラスを大きな音を立てて割った。

 坂崎は再度手を目に当てて空を仰ぐ。そして、すぐにガラスの破片の中に倒れている男の下に歩み寄る。店の中からは店主であろう中年の男が出てきて絶望的な顔を見せた。

「すみませんね。このチンピラ……、んん。この人が急によろけてお宅のガラスを割っちゃった」

 坂崎は言いながら、ガムヘアの男のジャケットに手を差し入れ財布を取り出して、その中から全ての紙幣を抜き取ると、それを「足りるかどうか分かんないけど、修理代と迷惑料、取っといて」と、店主に渡した。

「この人、病院に連れて行きますね。おい、ジェイク」

 坂崎がジェイクに言いながら目で合図をすると、ジェイクはガムヘアの男を肩に担いだ。男は気を失っている。

「それじや、そういう事で」

 そう言って、坂崎とジェイクは歩き始める。



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