第17話 災厄

 そのは突如として起こった。

 コハク国の北にあるルリ国で、今まさに結界が破綻しようとしているのだった。


 それが発覚したのが、つい一昨日のこと。

 この緊急事態に、スーノ聖教会の上層部たちはウヌラ大聖堂にある大会議室に集まっていた。

 もちろん、シンも教会のトップである聖女として会議に加わり、二日前からほぼ会議室に閉じこもって、枢機卿らと議論を重ねている。

 


 なぜ、ルリ国側の結界が危機的状態に陥っているかというと、問題はかの国の『北の神殿』にあった。


 この世界を守る結界には、要となる場所ポイントがあって、その要所に神殿は建立されている。

 これらの神殿において、聖女や四聖と呼ばれる神官が霊脈を操作し、結界にエネルギーを補充することで、結界は機能を維持できるのだ。


 そして現在、北の神殿でトラブルが発生し、結界へのエネルギー供給ができなくなっているという。

 通常、このような問題が生じた場合は、聖女や四聖がその解決に当たる。今一度、霊脈を操作し、その流れを是正するのだ。


 しかし、ここでもう一つの事件が起きた。

 ルリ国の四聖が突然死してしまったのだ。

 原因は不明。病死なのか自殺なのか、はたまた他殺なのか。一切、分かっていない。


 ただ、はっきりしているのは、これによってルリ国の北の神殿がもはや機能していないことだ。

 四聖よりも下位の神官たちが、必死に霊脈を操作して問題解決を試みているが、遅々としてはかどっていないらしい。おそらく、四聖ほど上手く霊脈を操作できる者がいないのだろう。


 このまま結界へのエネルギー供給が途絶えたままになれば、結界は脆弱ぜいじゃくになり、破綻する。見立てでは、明日か遅くとも明後日には、そうなると予想されていた。


 もし結界が崩壊すれば、通常の比ではない数のエニグマがルリ国になだれ込むだろう。侵入したエニグマたちは街や村を襲い、人を喰う。

 大惨事が引き起こされるのは明白だった。



「事態は極めて深刻です。我々のできることとして、すでに守護者の選抜部隊をルリ国に送ってはいますが……」


 そう話す枢機卿たちの表情は暗い。

 一昨日から議論を重ねているが、彼らにできることは極めて限定的で、これから起こりうる災厄に向けてルリ国に支援を送るしかなかった。


「聖女様。あなた様のお力で、ルリ国側の結界を修復することは、本当に不可能なのでしょうか?」


 誰かが、すがるようにシンを見る。それに簡潔明瞭に彼は答えた。


「無理だ」


 この会議の間、幾度となく繰り返された問答だ。

 しかし、何人かの枢機卿は諦めきれないようで、しつこくシンに哀願する。


「このままでは、ルリ国の多数の民が犠牲になります」

「歴代最高峰の力をお持ちと噂される聖女様なら……」


 シンは内心、溜息を吐いた。

 これから起こるだろう災厄を止めたい気持ちは理解できるが、無理なものは無理である。


「前にも申した通り、北の神殿の問題を解決するためには、私自身が現地に赴かなければならない。少なくとも、このメイセイの都にいたままでは対処のしようがない。それとも、今から私が北の神殿に出向こうか?」


 シンがそう言うと、別の枢機卿らから抗議の声が飛んだ。


「お止めくださいっ!万が一中央神殿の結界にも問題が生じた場合、聖女様が我が国から離れていては、誰が対処するというのですか?」

「そうです!ルリ国の二の舞になりかねません!中央神殿の結界が機能不全に陥れば、コハク国どころか、世界規模の大問題になってしまう!」

「それに、今からルリ国に向かっても遅すぎる。結界崩壊のタイムリミットには間に合いません」


 これもまた、何度も聞いた意見だ。議論は堂々巡りしている。

 これ以上の会議は無意味だろう――シンがそう考えていると、議長であるキドゥイン枢機卿が口を開いた。


「残念ですが、災厄として受け入れるしかないでしょう。こういった事件は、ある種の自然災害のように数十年に一度は起こってしまうものです。記録によれば、前回の災厄ときも、教会はエニグマ討伐のための人材や救援物資を送ることしかできませんでした」


 北の神殿の神官たちが霊脈操作に順応し、結界が再び機能するようにまで、教会としては侵入したエニグマの討伐を支援するしかない。

 おそらく、ルリ国の民はもちろん、教会が現地に送った守護者にも多大な被害が出るだろう。前回の災厄では、派遣された守護者の四割近くが死亡したという記録があった。



 結局、新たなに建設的な意見が出る様子もなく、長かった会議は解散となった。



 ルリ国についての緊急会議にかかり切りになっていたため、シンが近衛隊の方に顔を出すのは実に三日ぶりだった。


 周囲の男たちに比べて、一回りも二回りも小さい少女ユイトを探すのは、もはやシンの日課になっている。

 ユイト自身、シンを見つけると、嬉しそうに彼の元へ駆け寄ってくるので、いつもならあっさり見つかるのだが……どういうわけか、この日シンはユイトを見つけることができなかった。


――今日は休暇ではなかったはずだが……。体調でも崩して病欠しているのだろうか。それとも……?


 そう首をかしげながら、シンは近衛隊長のカイルの執務室へ向かった。

 思えば、このときすでに、シンは漠然とした不安を抱えていた。




 執務室にカイルはいた。

 彼は部屋に入ってきたシンを、沈痛な面持ちで迎える。その表情を見て、シンは「何かあった」ことを悟った。


「ユイト隊員から預かっています」


 そう言って、カイルが差し出してきたのは、小さな封筒だった。中には折りたたまれた便箋びんせんが一枚入っている。


 手紙を見て、シンは目を見開く。

 その内容はとても短いものだった。



『イオへ。


 絶対に、無事に帰ってきます。

 大切な話は帰ってから聞くので、待っていてください。


 ユイトより』



「……ユイトはどうした?」


 震える声で、シンはカイルに尋ねた。

 ユイトの手紙の内容から、大体の事情をすでにシンは察していた。けれども、それが信じられなくて、否、信じたくなくて――懇願するようにカイルを見上げた。


 カイルは答える。



「ユイト隊員は三日前、選抜部隊として都を発ち、ルリ国に向かいました」



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