第16話 世界は美しい

 三人がウヌラ大聖堂へ戻ったとき、陽は沈み、すっかり辺りは暗くなっていた。


 ここからシンの自室までは、ユイト一人の護衛だ。カイルはやるべき仕事が残っているため、これから自身の執務室に戻るらしい。

 現在、ユイトはシンの警護が終われば直帰できるよう、近衛隊の控室へ自分の荷物を取りに行っていた。


 シンはカイルと二人きりになって、改めて彼に今日の礼を言った。


「今日はありがとう。忙しいのに、付き合わせてすまなかった」

「いいえ。これくらい何てことはありません。それでメイセイの街の散策はどうでしたか?」

「どうって……」


 そう聞かれて、シンは戸惑った。

 まさか、逃亡経路の確認が十分できたと白状するわけにもいかない。


「活気がある街…だな……」


 シンが無難な言葉を口にすると、カイルは微笑んだ。


「あなた様が守っている街ですよ」

「ん?」

「聖女様がいるから、この街の……いいえ、この国の民は安心して生活できています。けれども、聖女様自身がその様子を直にご覧になれる機会は少ない」


 それはカイルの言う通りだった。

 今日のような式典がなければ、シンが街中に出かけることはない。基本的に、俗世とは隔離された生活を送っている。


「ユイト隊員に言われたんです。聖女様が守っている人々の暮らしを、その目で見てもらうような機会が必要だと。私もそれに同意しました」


 どうやら、そういった理由で、カイルは今回のお忍び行動を許してくれたらしかった。

 同時に、シンはどうしてユイトが街や人々の情報を、己に伝えてきたのかも理解した。


 以前、シンはユイトに「自分が守っているモノやその価値がよく分からない」と話したことがあった。ユイトはそれを気に掛けてくれたのだろう。

 ユイトは、シンが何を守っているのか、実際に見て聞いて、彼に知って欲しかったのだ。


――そこまで私のことを考えていてくれたのか……。


 シンは言葉を失った。

 今日、何気なく通り過ぎてしまった光景が、途端に意味のあるものに思えてくる。


 このとき、シンははっきりと自分の気持ちに気付いた。

 ユイトと離れたくない、と。



 カイルと別れ、シンとユイトはウヌラ大聖堂の北にある宮殿に向かうはずだった。その途中で「寄り道をしよう」と言い出したのは、シンだ。


「良いよ」


 二つ返事でユイトが頷く。

 そうして二人は、大聖堂の東側にある庭園へやって来た。彼らは庭園のベンチに並んで腰を下ろす。


 いつだったか、ユイトはこのベンチに一人座っていて、そこにシンが声をかけたことがあった。あの時と同じように、今宵も雲一つなく夜空は澄んでいて、星や月が輝いている。



 おもむろに、シンは切り出した。


「もし、私がこの国を出ていくとしたら、君は一緒に来てくれるか?」


 突然、そんなことを言われて、ユイトは目を大きく見開いていた。

 ただ、シンの声音や表情から、その言葉に含まれた真剣さに彼女は気付いたようだ。


 ただの旅行で国を出るという意味合いではない。そもそも、聖女は結界維持の役割から、都付近を離れられないのだ。

 もちろん、ユイトはそのことを知っている。これはただ事ではないと、彼女の顔にも緊張が走った。


「本気だね?」

「ああ」

「何か事情があるの?」

「ある」


 言いながら、本当はユイトにこんな事を持ち掛けるべきではないと、シンは考えていた。

 シンと一緒にこの国を出ても、ユイトにはメリットがない。それどころか、リスクばかり背負わせてしまうことになる。


――これは私のエゴだ。


 そう理解しているのにも関わらず、それでもシンはユイトに一緒に来て欲しかった。



 ユイトは、彼女にしては珍しく難しい顔でしばらく考え込んでいた。

 彼女は決して馬鹿ではない。シンのは分からないものの、その重大さに薄々勘づいているのだろう。


 断られるかもしれない。いや、その可能性の方が高い。

 シンは自分に言い聞かせた。

 ユイトに断られたときは、いさぎよく身を引くべきだとも。


 ユイトが口を開いた。


「イオには私が必要なの?」

「ああ」

「なら、一緒に行くよ」

「えっ」


 にこりと微笑んで了承するユイト。さすがにシンは驚く。


「待て!そんな風に簡単に決めていいのか?どんな事情があるか、君はまだ知らないだろう?」

「ただ事ではないっていうのは分かるよ?でも、イオはその事情とやらを考えて考えて、それでも私に一緒に来てほしいって、そう思ったんでしょう?」

「それは……」

「だったら、私はそんな親友イオの力になりたい。大変なことでも、二人なら乗り越えられることも多いと思う。大丈夫。守護者を辞めても、私はたぶんどこでも生きていけるから」


 事もなげにユイトは言う。

 まるで何も考えていないような口ぶりだが、そんなことはない。少なくとも彼女は、シンの背後に何かのっぴきならない事情があることを察していた。



――真実を話さなければ……。


 ここまで、ユイトが言ってくれたんだ。そんな彼女に、自分も誠意を示さなければならない、とシンは思った。

 彼は己が抱える問題について話そうと試みる。


 自分は男で、『ニセモノの聖女』であること。『イオ』ではなく、『シン』だということ。カンナギ家との確執。そして、近いうちにカンナギ家に命を狙われるだろうこと。


 今まで言っていなかったこと、言うべきことが多すぎた。

 焦ってしまって、何から話せばいいか分からない。珍しく、シンは動揺していた。


 そんな彼の手を、ユイトの手が優しく包み込む。


「そのとやらを、話そうとしてくれているんだよね?」

「ああ。わ、私は――」

「イオの気持ちの整理がついてからで良いよ。でも、何を聞いても私の意思は変わらないと思う」

「……」


 シンが抱えている秘密は、おそらくユイトの想像の範疇を超えるものだろう。

だから、真実を知った後に、ユイトが同じことを言ってくれるかは分からない。

 もしかしたら、シンに失望して、一緒に国の外へ逃げてくれなくなるかもしれない。


 それでも、今この場でユイトが自分の手をとってくれた。

 その事実が、シンにはかけがえのないものに思え、彼は感動というよりも感謝する。



 ふと、シンは空を見上げた。

 そこにあるのは、いつもと同じ空。そして、シンには景色を楽しむ感覚はない。

 そのはずだったのに…。


 星が煌めき、月が優しく世界を照らす。

 ユイトと眺める夜空を、シンは「美しい」とそう思った。



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