第16話 世界は美しい
三人がウヌラ大聖堂へ戻ったとき、陽は沈み、すっかり辺りは暗くなっていた。
ここからシンの自室までは、ユイト一人の護衛だ。カイルはやるべき仕事が残っているため、これから自身の執務室に戻るらしい。
現在、ユイトはシンの警護が終われば直帰できるよう、近衛隊の控室へ自分の荷物を取りに行っていた。
シンはカイルと二人きりになって、改めて彼に今日の礼を言った。
「今日はありがとう。忙しいのに、付き合わせてすまなかった」
「いいえ。これくらい何てことはありません。それでメイセイの街の散策はどうでしたか?」
「どうって……」
そう聞かれて、シンは戸惑った。
まさか、逃亡経路の確認が十分できたと白状するわけにもいかない。
「活気がある街…だな……」
シンが無難な言葉を口にすると、カイルは微笑んだ。
「あなた様が守っている街ですよ」
「ん?」
「聖女様がいるから、この街の……いいえ、この国の民は安心して生活できています。けれども、聖女様自身がその様子を直にご覧になれる機会は少ない」
それはカイルの言う通りだった。
今日のような式典がなければ、シンが街中に出かけることはない。基本的に、俗世とは隔離された生活を送っている。
「ユイト隊員に言われたんです。聖女様が守っている人々の暮らしを、その目で見てもらうような機会が必要だと。私もそれに同意しました」
どうやら、そういった理由で、カイルは今回のお忍び行動を許してくれたらしかった。
同時に、シンはどうしてユイトが街や人々の情報を、己に伝えてきたのかも理解した。
以前、シンはユイトに「自分が守っているモノやその価値がよく分からない」と話したことがあった。ユイトはそれを気に掛けてくれたのだろう。
ユイトは、シンが何を守っているのか、実際に見て聞いて、彼に知って欲しかったのだ。
――そこまで私のことを考えていてくれたのか……。
シンは言葉を失った。
今日、何気なく通り過ぎてしまった光景が、途端に意味のあるものに思えてくる。
このとき、シンははっきりと自分の気持ちに気付いた。
ユイトと離れたくない、と。
*
カイルと別れ、シンとユイトはウヌラ大聖堂の北にある宮殿に向かうはずだった。その途中で「寄り道をしよう」と言い出したのは、シンだ。
「良いよ」
二つ返事でユイトが頷く。
そうして二人は、大聖堂の東側にある庭園へやって来た。彼らは庭園のベンチに並んで腰を下ろす。
いつだったか、ユイトはこのベンチに一人座っていて、そこにシンが声をかけたことがあった。あの時と同じように、今宵も雲一つなく夜空は澄んでいて、星や月が輝いている。
おもむろに、シンは切り出した。
「もし、私がこの国を出ていくとしたら、君は一緒に来てくれるか?」
突然、そんなことを言われて、ユイトは目を大きく見開いていた。
ただ、シンの声音や表情から、その言葉に含まれた真剣さに彼女は気付いたようだ。
ただの旅行で国を出るという意味合いではない。そもそも、聖女は結界維持の役割から、都付近を離れられないのだ。
もちろん、ユイトはそのことを知っている。これはただ事ではないと、彼女の顔にも緊張が走った。
「本気だね?」
「ああ」
「何か事情があるの?」
「ある」
言いながら、本当はユイトにこんな事を持ち掛けるべきではないと、シンは考えていた。
シンと一緒にこの国を出ても、ユイトにはメリットがない。それどころか、リスクばかり背負わせてしまうことになる。
――これは私のエゴだ。
そう理解しているのにも関わらず、それでもシンはユイトに一緒に来て欲しかった。
ユイトは、彼女にしては珍しく難しい顔でしばらく考え込んでいた。
彼女は決して馬鹿ではない。シンの事情は分からないものの、その重大さに薄々勘づいているのだろう。
断られるかもしれない。いや、その可能性の方が高い。
シンは自分に言い聞かせた。
ユイトに断られたときは、
ユイトが口を開いた。
「イオには私が必要なの?」
「ああ」
「なら、一緒に行くよ」
「えっ」
にこりと微笑んで了承するユイト。さすがにシンは驚く。
「待て!そんな風に簡単に決めていいのか?どんな事情があるか、君はまだ知らないだろう?」
「ただ事ではないっていうのは分かるよ?でも、イオはその事情とやらを考えて考えて、それでも私に一緒に来てほしいって、そう思ったんでしょう?」
「それは……」
「だったら、私はそんな
事もなげにユイトは言う。
まるで何も考えていないような口ぶりだが、そんなことはない。少なくとも彼女は、シンの背後に何かのっぴきならない事情があることを察していた。
――真実を話さなければ……。
ここまで、ユイトが言ってくれたんだ。そんな彼女に、自分も誠意を示さなければならない、とシンは思った。
彼は己が抱える問題について話そうと試みる。
自分は男で、『ニセモノの聖女』であること。『イオ』ではなく、『シン』だということ。カンナギ家との確執。そして、近いうちにカンナギ家に命を狙われるだろうこと。
今まで言っていなかったこと、言うべきことが多すぎた。
焦ってしまって、何から話せばいいか分からない。珍しく、シンは動揺していた。
そんな彼の手を、ユイトの手が優しく包み込む。
「その事情とやらを、話そうとしてくれているんだよね?」
「ああ。わ、私は――」
「イオの気持ちの整理がついてからで良いよ。でも、何を聞いても私の意思は変わらないと思う」
「……」
シンが抱えている秘密は、おそらくユイトの想像の範疇を超えるものだろう。
だから、真実を知った後に、ユイトが同じことを言ってくれるかは分からない。
もしかしたら、シンに失望して、一緒に国の外へ逃げてくれなくなるかもしれない。
それでも、今この場でユイトが自分の手をとってくれた。
その事実が、シンにはかけがえのないものに思え、彼は感動というよりも感謝する。
ふと、シンは空を見上げた。
そこにあるのは、いつもと同じ空。そして、シンには景色を楽しむ感覚はない。
そのはずだったのに…。
星が煌めき、月が優しく世界を照らす。
ユイトと眺める夜空を、シンは「美しい」とそう思った。
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