第14話 存在価値(後編)

「私は聖女にふさわしい人間じゃない」


 思わずシンがそう口に出してしまったとき、隣にいるユイトは目を丸くしていた。


 シンは内心、舌打ちしたい気持ちになる。

 こんなことを口走ってしまったのは、間違いなく先日のカズラとの件が尾を引いているからだろう。


――あの小娘が大事なのは、聖女であるお前なのだ。お前自身ではない。当たり前だろう?なぜなら、聖女ではないお前に存在価値などないのだから。


 あの時の言葉が、未だにシンの胸に突き刺さっていた。


 ユイトに対して、弱音を吐いてしまったことをシンは後悔したが、一度口に出してしまった言葉は取り消せない。


 ユイトはシンに尋ねてきた。


「どうしてそんなことを言うの?」


 その目は真剣にシンを心配しているようで、誤魔化すことができない。仕方なく、シンは白状した。


「私は自分が何を守っているのか、正直ソレに何の価値があるか……分からなくなることがある」

「守っているもの?それはこの世界と、この世界に住まう生きとし生けるものすべてだよ」

「知識では分かっている。けれども、私はこの世界を知らない」


 シンが聖女を務めるのは、それが『義務』だからに他ならない。


 シンには『聖女として国や国民を守りたい』という意思などまるでないのだ。

 そして、己が何を守っているのか、この行為にどのような価値があるのか――シンは知識として知っているが、実感が持てずにいた。

 それは、彼の生まれ持った感情の希薄さや、世間から隔離されて育ったため俗世に疎いこと――などに起因するかもしれない。


 故に、シンは「聖女に人間じゃない」と自らを評している。


 どれだけ霊脈を操るのが上手くても、己には聖女にあるべきがないのだから。

 ただ、聖女にふさわしくなくとも、結界の維持という点において人間だとは考えていた。



 そんな風に、シンが自己分析をしていると、ユイトが話しかけてきた。


「あのね。私はヒスイ国のキネノ里というところで育ったの」

「そう言えば、前にそう言っていたな」


 先ほどまでの話題と何の関係があるのだろうか。不思議に思いながら、シンは頷く。


「本当に田舎で、田んぼと山しかないような所なんだけれど……でもとても自然豊かで美しい場所なんだ。例えば――」

「例えば?」

「田植え前の水を張った田んぼ。あれはすごく綺麗だよ。まるで鏡みたいに空の風景を映してね。昼は真っ青、夕方は茜色に変わるの」

「ほぉ」

「稲が育ったら育ったで、それも良い。一面が緑になって、やがて実りの季節には黄金色に染められるんだ」

「それは少し見てみたいな」


 それはシンの本心からの言葉だった。ユイトが生まれ育った場所には、非常に興味がある。

 すると、ユイトは「私もあなたに見て欲しい」と微笑んだ。


「私は自分の故郷が好きだよ。そして、それを守ってくれているのがイオなんだ」

「……」

「だから、私が伝えたいのは――私があなたに感謝しているってこと。あなたのおかげで故郷があるということで……ごめん。上手く言葉にできないや」


 シンの守っているものには価値があるのだと、ユイトが必死で自分を励ましてくれようとしているのが、シンには分かった。

 カズラに言われたことで断続的に痛んでいた胸の内が、じんわり温かくなるような心地がした。


「いいや。君の気持はわかったよ。ありがとう」


 もしかしたら、ユイトは……聖女ではない自分にも価値を見出してくれるかもしれない。シンは淡い期待を抱き、そうして勇気を出して聞いてみた。


「もし、私が聖女じゃなくなったら君はどうする?」

「えっ……?」

「私の代わりが現れて、私が聖女じゃなくなったら――」

「そんなことあり得るの!?」

「まぁ、可能性はなくはない……」

「もし、そんなことがあり得るのなら……」

「うん……」


 ドクンドクン――シンの心臓は早鐘のように打っていた。手のひらが汗ばむ。喉が張り付いて、彼は唾を呑んだ。

 自分でもおかしいくらい、シンは緊張していた。


 やがて、ユイトが口を開く。その目はキラキラと輝いていた。


「嬉しい」

「えっ?」


 驚きの声を漏らすシン。一方、ユイトは興奮したように言う。


「だって、イオが聖女じゃなくなったら都から出ても良いわけでしょう?」

「あ、ああ……」

「そしたら二人で色んな所に行けるよ!さっき言った、私の故郷にも行ける!!」

「う、うん」

「あと、食べられる物も増えるよね?イオって聖女だから、食べ物を制限されているでしょう?お肉とか嗜好品とか」

「うん……」

「私が山でいのししを狩ってきてあげるよ!お肉美味しいからっ!あとね、街で甘いスイーツを一緒に食べようよ!食べ歩きしよう!アンコたっぷりのたい焼きとか、美味しいよっ!!」


 聖女は結界維持の役割があるため、都周辺から離れられない。

 また、シンは男性らしい体つきにならないように、食事を制限しているが、ユイトには聖女であるゆえだと誤魔化していた。


 つまり、シンが聖女でなくなることで、そういった制約からシンが解放されると、ユイトは考えたようだった。そして、それが嬉しいらしい。


 はしゃぐユイトを信じられないようにシンは見つめていた。まるで都合の良い夢でも見ている気分だった。


「君は……聖女じゃない私に価値を見出してくれるのか?」

「イオは聖女の前に、私の親友だよ!私の自慢の友達。たとえ、聖女じゃなくてもソレは変わらない」

「……そうか」


 聖女でない自分を他でもないユイトが認めてくれること。シンにとって、これ以上のことはない。心を打たれずにはいられなかった。


 胸が熱くなり、思わず涙が出そうになってシンは驚く。

 人が感動のあまり泣いてしまうことがあるとは知っていたが、まさかソレが己の身に起こるとは。


――ユイトに出会ってから、衝撃的なことばかりだ。


 シンは自らをとりまく世界の風景が変わっていくのを感じていた。



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