第13話 存在価値(前編)
「あの近衛隊の小娘のことが、余程気に入っているようだな」
周囲に誰もいない渡り廊下。
そこで、二番隊隊長カズラ・カンナギとすれ違った折、シンはそんなことを囁かれた。
「……何のことですか?」
努めて冷静に問い返すと、カズラは嫌な笑みを浮かべた。
「女の隊員が良いとは……そんな
その言葉に対して、さすがにシンも腹を立てた。
シンに聖女の身代わりを強要している
それでも、シンは表情一つ崩さなかった。
安い挑発に乗るな、と己に言い聞かせる。
「無駄口を叩いているほど暇ではないので。失礼」
そのままその場を離れようとするシンに、カズラは言い募った。
「随分と仲が良いらしいが、あの小娘がお前を慕っていると、まさか本気で思っているわけではあるまいな?」
思わずシンは足を止め、カズラを見た。
「あの小娘が大事なのは、聖女であるお前なのだ。お前自身ではない。当たり前だろう?なぜなら、聖女ではないお前に存在価値などないのだから」
カズラの言葉がズキリとシンの胸を突き刺した。
この男の言葉が悪意に満ちているのはいつものことだ。ソレらはただ、シンを傷つけるために発せられる。
これまでシンは、カズラの言うことを一々気にしなかった。相手の思惑通り、傷つくなんて馬鹿らしかったからだ。
にもかかわらず、今のシンは心に確かな痛みを感じている。
「だから、小娘だからと油断するな。お前が男だと分かったら、どういうことに――」
「そのときは、カンナギ一門が破滅の道をたどるでしょうね」
「そうだ……おい。お前、何を笑っている?」
不審そうにカズラが問いかける。
カズラの指摘通り、シンは優雅な笑みをたたえていた。その美しい笑みとは裏腹に、シンの胸の内は静かな怒りで満ちている。
どうして、こんな男に己が傷つけられなければならないのか。そのことに対する怒りだ。
いつもは適当に受け流すカズラの嫌味だが、この時ばかりはシンも黙ってはいられなかった。
「私が失敗すれば、一族もろとも破滅。教会からの破門や国外追放もあり得る。ですが、カズラ様やアイラ様は実はそれをお望みなのでは――と、つい誤解しそうになります」
「何を言っている?」
「なぜなら、誰に聞かれるか分からない、このような場で危険な話題を持ち出されるし…」
「だ、誰もいないではないかっ!」
「守護者の中には、情報収集能力に長けた奇石使いがいるとご存じでしょう?もしかしたら、奇石の能力で我々の会話を聞いているやも……」
「――っ!」
ようやく、己の
さらに、シンは続ける。
「加えて、私に無用な
「そんなつもりはないっ!俺はただ忠告しただけだっ!」
忠告?腹いせの間違いではないか?
カズラの言い分を聞きながら、シンは白々しい気分になった。
どうせ、カズラのことだ。以前の事件――エニグマに
もしくは、本物の聖女であるイオが駄々をこねていることへの八つ当たりか。
カズラとアイラの兄妹は、本当によく似ている。カンナギ家の命運がかかった問題よりも、自らの感情を優先させるところなど、そっくりだ。
もし、嫌がらせに辟易したシンが自暴自棄になり、全ての秘密を暴露すれば、カンナギ家は破滅だというのに。そんな危険性を省みず、自分たちの
また、カズラとアイラは、自分たちの優位性を示すために、シンに対して不遜な振る舞いをし、上から押さえつけようとする……が、そもそもソレだって利口とは言えない手段だ。
なぜなら、そのようなマウンティング行為にシンは委縮しない。むしろ、彼は反骨心を抱く
つくづく愚かだと、シンは見下げ果てた気持ちになる。
そんな胸の内とは正反対に、シンは口角を吊り上げて笑った。
「ご忠告ありがとうございます。しかし、あまり厳しいことを言われると、失敗してしまうかもしれません。それこそ、混乱して私の正体を誰かに話してしまうやも」
「お、おいっ!」
「そうなれば、私も、カンナギ家もどうなることやら…」
「俺を脅すのか?」
「脅す?まさか。私はただ、我々が一蓮托生だと、そう言いたかっただけです」
「……っ」
まさに脅しそのもののセリフを吐いて、シンは身を
一方のカズラも、今度はシンを呼び止めようとはしなかった。
歩きながら、シンは先ほどのカズラの言葉を思い返す。
――ユイトが大事なのは聖女である私……。聖女ではない私に存在価値などない、か。そんなの、私が一番よく知っている。
どうしてカズラに言われたことが、こんなにも胸に突き刺さるのか。その答えは明白だった。
シン自身もそう思っているからだ。
ユイトに限らず、この国の皆は『聖女としてのシン』しか必要としていない。そもそも国民のほとんどが『本当のシン』を知らないのだ。
シンはそのことを十分理解しており、なおかつ、それで平気だった。他人にどう思われようと構わない、と思っていたからだ。
しかし、その他人にユイトが加わると話が違ってくるようだ。
どういうわけか、ユイトに対しては、シンは平気でいられなかった。己の正体を彼女が知ったとき、果たしてそれでも『友達』と思ってくれるだろうか、と不安だった。
そして願わくば、『本当のシン』をユイトに受け入れて欲しかった。
ただ、シンにはそれが非現実的な――途方もないようなことに思えたのだった。
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