第9話 夜会と飴

 その日、ウヌラ大聖堂の北側にある宮殿では、社交のための夜会が開かれていた。

 国中から有力者が集まり、互いに交流を深める場だ。中には他国からの招待客の姿もあった。


 キャンドルライトや花々で会場は華やかに装飾され、煌めくシャンデリアの下には、ずらりと料理や飲み物が並んでいる。音楽家たちによる生演奏が、夜会の雰囲気を盛り上げていた。


 参加者たちは皆、豪華絢爛な衣装を身にまとっており、特に女性は着飾ることに余念がない。たくさんのリボンやレースが施された明るく鮮やかな色のドレス、首飾りや髪飾りには眩い光を放つ宝石があしらわれている。


 そんな中で、シンの装いはむしろ質素と言っていいくらいだった。

 そして、周囲の派手に着飾った様子を見て、彼は思う。

 誰もかれも孔雀くじゃくのようだ、と。

 華やかな色彩とデザインで周囲の注目を集めようとするところなど、そっくり。皆、目立ちたくて必死なのだ。


 もちろん、この夜会が政治やビジネスの交渉の場であることもシンは承知していた。しかしそれらは、国を出る覚悟を決めた彼にとって、今やあまり意味をなさない。

 だからこそ、嘘や世辞、見栄、愛想笑い、ご機嫌伺い、上辺だけのやり取りの空虚さばかりが目についた。


――帰りたい…。


 シンは心の底からそう思う。

 しかし体面上、ここから逃げるわけにもいかなかった。少なくとも、シンの横にいる人物がそれを許さないだろう。


 シンはちらりと隣のアイラを見た。


「アイラ様、ご機嫌麗しゅう」

「今宵もなんとお美しい」


 そう周りの者たちから賞賛を受けるアイラも、煌びやかな衣装に身を包んでいた。持ち前の美しさと相まって、彼女はこの会場の中でもとりわけ目を引く存在である。


 そんなアイラは、夜会中ぴたりとシンに張り付いて離れなかった。

 それは仲の良い母娘を演じるため。そして、シンがカンナギ家の敵対勢力と親密にならないよう見張るためである。


「聖女様もアイラ様も、まるで絵に描いたようにお美しい」

「本当に。世界中、どこを探したって、こんな夢のようなお二人はいませんわ」


 自分たちをたたえる言葉に、アイラは口角を上げる。


「ありがとうございます。私はともかく、イオは自慢の娘ですわ」


 そう言って、いかにも娘を愛おしむような、慈愛の微笑みをアイラはシンに向けるのだった。


――帰りたい。


 今一度、シンは思った。



 何とか夜会を切り上げて、シンは自室へ戻ろうとする。パーティー会場から部屋までは、警護の近衛隊員が送る手はずになっていた。

 そして、今日の警護役はユイトだ。

 彼女の顔を見た瞬間、シンは自分でも意外なほど心安らいだ。


「お母さま、ここまでで結構です。あとは護衛の者と二人で戻ります」

「しかし…」


 まだ、見張る必要があると思っているのか、アイラはシンに付いていこうとする。しかし、周りに人がいるせいか、いつものように高圧的な態度には出られない。

 シンはそこに付け込んで、きっぱりと言い切った。


「私はこの者と戻ります。お母さまは夜会を楽しんでください」


 そのまま、ユイトに「行くぞ」と短く言って、パーティー会場を後にする。結局、アイラは追ってこなかった。



 自室までの帰り道、ふと思い立って、シンは寄り道することにした。

 本来曲がるべき角を折れず、そのまま真っすぐ廊下を進んでいくと、ユイトは少し驚いた顔をする。


「聖女様。いったい、どこへ?」

「少し付き合え」


 二人がやって来たのは宮殿のバルコニーだった。

 建物の高い場所に設けられたその場所からは、周囲を広く見渡すことができる。もっとも、今は夜なので辺りは暗く、その景色はよく分からなかったが…。

 代わりに、満点の星空と細長い月が見て取れた。


 シンは手すりに寄りかかる。夜の冷たい風が心地よかった。


「お疲れですね」

「確かに、疲れた」


 意味のない、けれども妙に疲れる夜会だったと、シンは振り返る。

 すると、ユイトが何やらゴソゴソとポケットを探り始めた。


「何をしている?」

「あっ、あった!もし、よければどうぞ」


 そう言って、ユイトが差し出してきたのは、紙に包まれた小さな楕円形の物体だった。

 シンは首を捻る。


「これは何だ?」

「飴ちゃん」

「飴……?」


 どうして飴に「ちゃん」を付けるんだと思いつつ、シンはまじまじとソレを見つめる。


 シンは男らしい体つきにならないよう、食事を制限されていて、菓子のたぐいは基本的に摂取することができなかった。つまり、この飴も通常なら食べられない。


「菓子のたぐいは……」

「ダメですか?」

「いや…」


 一瞬、躊躇ちゅうちょしたシンだったが、どうせ出奔する身だと思い直す。そうなれば、女の姿で生きていく必要もないわけだと。


 シンがユイトの手から飴をとると、彼女はたちまち笑顔になった。


「疲れたときには甘いものですよ」

「そうか」


 包み紙を剥くと、鮮やかな黄色の飴がひょこりと出てきた。シンはそれを口に含む。すぐに、甘ったるさと少しの香ばしさが口の中に広がった。


「甘い」

「飴ですから」

「それもそうだ」


 ちなみに、これはべっこう飴という種類の飴なのだとユイトが話した。それを聞きながら、シンは夜空に視線を向ける。

 どういうわけか、いつもよりも星々が煌めいている気がした。


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