第4話 開花-1


 夏が過ぎて秋の気配が近づく頃、お嬢様はまた床から起き上がることが出来なくなった。


 床に伏したお嬢様は、仰向けに寝ることが出来ないのだと、隣に控えるわたしの方に身を向けて口を開いた。……首の後ろに強い痛みがあるのだと言う。


「最近は和人かずひと様のこと、苦手ではなくなったのかしら? 二人で話し込んでいる姿をよく見ると聞いたわ」


 お嬢様はいっそ無邪気にも取れる笑顔で、そう言葉を紡いだ。


 情報源は誰だと問いかけて口を閉ざした。病床のお嬢様の元に無神経に入り込む者など、はなから決まっている。


 そんなことはないのだと、否定の言葉を吐く前に、お嬢様はさらに衝撃的な言葉を続けた。


「私がいなくなったら、二人で過ごすようお義母様に伝えておいたわ。私の代わりに、和人様を支えて頂戴ね」


 目の前が一瞬で真っ暗になった気がした。


 別に和人様と仲良くなったわけではない。わたしたちはいわば戦友なのだ、お嬢様の命を助けるための。


 その間には恋情なんてものはない。あるとしするなら共通の、お嬢様を救いたいという想いだけ。


 お嬢様に誤解を与えていた事実が苦しい一方で、そもそもお義母様がそれをお許しになるのだろうか、なんて見当違いな考えが浮かんだ。


 言葉もでないわたしに、何を思ったのかお嬢様は震える手を伸ばしてきた。


「ねえ、そんな顔をしないで。……私の考えは、そんなに的外れだったかしら?」


 その通りだとは、言えなかった。


 日に日にやつれていくお嬢様に、何もできないもどかしさだけがつのる毎日。和人様も、必死に伝手を辿って過去の症状についての新たな記述を探しているが、結果はかんばしくない。 


 確かに焦りからか、話す機会は増えてきた。少しでも有力な手がかりはないかと、日に一度は顔を突き合わせて状況の確認をしている。


 それが、まさかそんな風に捉えられていたなんて。


「お嬢様は、わたしがあなたのご夫君に好意を寄せているようだとお考えなのですか?」


「そんなことはないわ」


 お嬢様はつと、目を伏せる。


「そんなことはないのだけれど。そうでもしないと、あなたが私の後を追いそうで怖いの」


 その通りだった。きっとわたしは、お嬢様がいない世界では生きていけない。


 わたしの考えを見通したように、お嬢様が寂し気に微笑んだ。


「やっぱり、否定はしないのね」


「……わたしは、お嬢様がいない世界など、想像もできません」


「それでも私はあなたを置いていくしかできないの。ねえ、お願い。どうかわかってくれないかしら」


 なんて残酷な人なのだろう。わたしも、和人様も、何ひとつ諦めていないというのに。当のお嬢様にはもう、希望などひとかけらも見えていないなんて。


「嫌です。わたしたちは、お嬢様が生きられる方法を探し続けます」


「……どうしようもないのよ。それに、私だけが生き延びたりしたら、今までこの病で亡くなった方々に申し訳なくて」


 そんなこと知ったことか、と思わず口に出してしまいそうになって、唇を噛み締めた。 


 どこまでいってもわたしの世界の中心はお嬢様だ。それがわたしの生きる意味で、わたしだけの使命。それなのに。


「なぜ諦めてしまうのですか」


 なぜ、この想いは届かないのだろうか。


「……って」


 俯くように転がって、お嬢様はこちらに背を向けた。強張った肩が震えているのはきっと、見間違いなんかじゃない。


「だって仕方ないじゃない! ずっと、ずっと言われ続けてきたのよ。お前はそうなる運命さだめなのだって。今更変えられるかもしれないだなんて、そんなの、信じられない……!」


 わたしは開きかけた口を閉じた。


 お嬢様の心の奥底にも、この理不尽な境遇に対する怒りや、死に向かう恐れがきっとあると、わかっていた。しかし、それらが吐き出された今、かけるべき言葉を何も持ち合わせていないことに気がついた。


「私だって、死にたくなんてないわ……」


 絞り出すようにこぼされた言葉は、紛れもなくお嬢様の本心だった。


「……一人にして頂戴」


 その言葉に声もなく頷いて、部屋を後にした。


 どうしようもない焦燥感を抱えたまま。


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