第2話 嫁入り-2



 その日はわたしの気持ちとは裏腹に、清々しいほど晴天の一日だった。 


 ありがたいことに輿入れに際するお嬢様の身支度はわたしに一任された。それからお嬢様の輿入れに付いていくことも。


 お嬢様の身支度については婚礼衣装こそ決まっているものの、その他についてはすべてお嬢様とわたしで決めてしまって良いのだと聞いた。


 なんて名誉な役割を、と思うと同時に、わたしがお嬢様の一世一代の晴れ舞台を整えるなど、と畏れ多い気持ちがい交ぜになって、最近はうまく眠ることもできずにいた。


 だからといって他人に任せるのは悔しい。お嬢様をわたしの好きなように飾ることができるまたとない機会だ、と思い込むことで、なんとか自分を奮い立たせる毎日だった。


 お嬢様を守る鎧のような黒髪を、一房ずつ丁寧にくしげずる。耳より上の束を少しずつ持ち上げて、結い上げていく。


「どうかしら、ケイ? 似合っている?」


 不意にお嬢様が、鏡越しに無邪気に微笑んだ。衣装の長い袖を広げるように掲げて、問うように首を傾げている。


 艶のある布地と同色の糸で細かく刺繍が施された婚礼衣装は、控えめではあるものの上品な華やかさで、お嬢様の美しさを引き立てていた。


「ええ、とてもお似合いです」


 この婚礼衣装は、お嬢様にいっとう似合うものを、と彼が生地から必死に探し出して、非常に気を張って仕立て上げたものだと聞いている。


 悔しいことに、これ以上ないほどにお嬢様に似合っていた。


 それと同時に、これだけお嬢様を想い、心を砕いていてなぜ、彼はお嬢様の命を奪うような真似をするのだろうと疑問に思った。


 お嬢様の家系に緑を生やした女性が生まれることは、この辺りでは有名な話だ。まさか知らないなんてことはないだろうに。


 不意に彼に対する怒りが込み上げてきて、お嬢様の髪を結い上げる手が止まる。


「ケイ? どうしたの?」


 止まった手を不審に思ったのか、お嬢様が緩慢な動きでこちらを振り返った。中途半端に結い上げられた髪が、さらりと肩を滑り落ちる。そこから真白なうなじが覗いて、息が止まる錯覚を覚えた。


 鳳生和人ほうじょうかずひとがなんだと言うのか。わたしだって、お嬢様の命を奪う手助けをしているじゃないか。


 あの白いうなじの下、今まで大切に守られてきた背中に、お嬢様の命をむさぼる緑があるのだ。この射干玉ぬばたまの黒髪が、毎日わたしがくしけずったこの髪が、隠していたのに。


 力を失ったわたしの手から、黒髪が次々にお嬢様の肩を滑り落ちていく。


「ケイ?」


 お嬢様の声音に、心配の色が乗ったのが分かった。しかし、表情はうかがうことが出来ない。ーー顔を、上げられない。


「……わたしには、無理です。こんな、こんなーー」


「私は、いいのよ」


 さざなみひとつ立たない、湖のような。


 静かに澄んだ声だった。感情の読めない、どこまでも透明な。


「私はいいの。ずっとわかっていたことだもの。だから、ね。泣かないで」


 苦笑するように呟いたお嬢様の手が、肩に添えられるのがわかった。その手のひらの温かさが余計に切なくて、ほんとうに涙が溢れてしまった。


「お願い。私を世界で一番綺麗な花嫁にしてちょうだい」




 木々の隙間から差し込む日差しがひどく目に眩しい。本格的に夏の訪れを感じるこの頃、お嬢様の体調が優れない日が続いていた。


「冷たいお飲み物をお持ちいたしました」


 日除けのために下げられたすだれ越しに声をかければ、中に入るように促された。


 失礼します、と小さく声をかけてから、簾の中へと踏み込む。部屋の中央よりも奥に設けられたしとねに横たわるお嬢様は、生気に満ち溢れた外の世界とは反対に、青白い肌をしていて、その顔にはよどむような陰りが浮かんでいた。


「世話をかけてごめんなさいね」


 いいえ、と首を振って、上体を起こそうとするお嬢様の背を支える。衣越しに硬い植物の茎の感触を感じて、苦い思いが混み上げた。


 鳳生家に輿入れして一月ひとつきほどで、予想通り、お嬢様は徐々に弱っていった。


 初めは一日に一度見られる程度だった眩暈めまいや立ちくらみは、日を追うごとに回数を増していき、やがて床から離れられなくなるまで、さして時間はかからなかった。


 そこから食事が喉を通らなくなるまで、どれほどだったか。いまやお嬢様は、液状のものしか口にできず、立ち上がることはおろか、床から身を起こすことすらやっとの状態だ。


「……随分と育ってしまったのね、これは」


 ふふ、とお嬢様が笑う。途端に自身の眉間に皺が寄るのがわかった。


 結局、わたしの足掻きなど、ほんとうに些細なものでしかなかったのだろう。


 お嬢様の輿入れの日、わたしはお嬢様の髪を結い上げることができなかった。耳から上だけをまとめあげた不恰好な上げ髪を、それでもお嬢様は満足そうに撫でて微笑んでいた。


 他の侍女を呼んで結い直すべきだったのだろうが、お嬢様はそのままの姿で輿入れした。和人の両親はお嬢様の無作法な姿に眉をひそめたけれど、和人は静かに微笑んで、素敵ですね、と呟いただけだった。


 それからお嬢様の髪は、耳から上だけを結い上げた中途半端な上げ髪のまま。どうしてもあの白いうなじを日の光に晒すことができないでいる。


 それなのに。


 お嬢様は笑みを消すと、痩せ細った薄い肩をすくめてみせた。


「ごめんなさい、あなたを困らせたいわけではないの。ただ、可笑しくなっただけよ。本当に私の命は一本の花に吸い取られてしまうのね」


 首筋に添えられたお嬢様の指の先。衣の襟口からは、半分皮膚に埋もれた小さな緑が顔を出していた。


「お嬢様……」


「そんな顔をしないで、ケイ。初めから決まっていたことよ、今更嘆いたりはしないわ」


「わたしは恨んでいます」


 お嬢様がゆっくりと瞬いた。


「お嬢様に芽が生えていたことも、それを承知の上でお嬢様を嫁がせたご両親も、ーー和人様も」


 風に揺られた簾が壁にぶつかったのか、かたり、と部屋の外で音がした。


「ケイ。それ以上は」


 いけないわ。


 ふい、とお嬢様が首を横に振る。


 わかっている。これは完全に私情だ、侍女が口に出して良いことではない。けれど。


「何と言われようとも、わたしはお嬢様に生きて欲しいのです」

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