第1話 出逢い

 パチリと目を開けば、雲ひとつ無い青空が視界に広がった。



「いやなんで?」



 日課のように見ていた謎の夢から覚めたわけであるが、俺は自宅のベッドで寝ていたはずである。まさか寝てる間に屋根が吹き飛んだのか? そういうのはアパートだからやめて欲しい。自分に修理費請求しないでくれよ。

 だがしかし、背中や頭からは草の感覚が伝わってくる。どうやら地面の上に寝っ転がってるようだ。



「いやだからおかしいだろ」



 俺のアパートがあるのはジャングルはジャングルでもコンクリートジャングル。アパートの部屋や駐車場はもちろん、近所に人が寝っ転がれるほどの草が生えているような場所はない。空きスペースは有料駐車場化している。

 山も自然も無いわけではないし、むしろ生い茂っているが……流石にそんなところまで転がるほど寝相は悪くない。


 男はうだうだと考えつつも起き上がる。キョロキョロと周りを見渡して、見知らぬ景色に首を傾げた。

 周りにあるのは木、木、木、木、木。一面の木である。男のいる場所のみが小さく開けており、何かのワンシーンのように日が射し込んでいた。俗に言う『映え』な場所である。まぁ、今の男には関係のない話であるが。



「え、いや……え? 誘拐?」



 だが誘拐されるようなお坊ちゃまでも、何らかの鍵を握る重要人物でもない。男は真っ先に浮かんだ答えを否定する。

 男──神在月未明は平々凡々な人間である。よくある共働きの夫婦の一人息子。中学生の頃には左手に包帯を巻き、高校生の頃には母によってエロ本を机の上に並べられた、大学は大卒の肩書きの為に入学したため目標も目的も無し。そんな典型的な人生を送った男である。

 故に、誘拐されるような心当たりも、夢遊病の疑いなんぞも全くないのだ。妙な夢は見るが夢遊病ではない。酒癖も悪くないし、ザルどころかウワバミである。よって、記憶が無いだけで自分から何処かに……という線もないだろう。

 そして、何よりおかしいことがあった。



「目線が低い……ような?」



 鏡のない現状では未明は気づくことができないが、彼は年齢が明らかに変化していた。

 本来であれば未明は21歳。身長は高めの184センチメートルという勝ち組であった。それが明らかに縮んでおり、顔もほんのり丸みを帯びている。高校生の少年のような顔立ちであった。

 さらに言ってしまえば、目の色が赤くなっていた。しかし髪の毛は黒のままで、長さもショートカットのままだ。目の色のみが変わっていた。無論、顔が見えないので気付くのは先の話である。

 服は持っている覚えのない、全く知らない服であったが……パジャマでないだけマシと言えるだろうか。ちなみにRPGで見るタイプの服だが気にしないことにしたようである。やけにキラキラしている服だがいいのかそれで。


 さて、じゃあここはどこだと周りを見渡していると、ガサガサと背後から音がした。



「グルル……」


「……熊?」



 熊。

 まごう事き熊である。ニュースとかでよく見る熊。動物園でもよく見る熊。それがのっしのっしと出て来た。


 それだけなら「うわマジか熊じゃん……」程度で済んだ。未明は近所が山なタイプのコンクリートジャングル出身だ。大学のグラウンドでキジがケンケン鳴き、イノシシが通学路に出る。今日も教室にオニヤンマが迷い込んで死んでいる。野生動物がなんぼのもんじゃい。

 彼のマイペースな気質も相極まり、熊ならゆっくり下がれば問題ないな、と冷静に考える事が出来た。


 ただ、その熊はピンク色だった。

 鮮やかなピンク、その風貌フラミンゴのごとし。立ち上がる熊の胸元には、月の輪ならぬハートマークがあった。ツキノワグマならぬハートグマかな? うーん、ダサい。



「グォォ!!」


「は!? 火!!?」



 そしてその熊は火を吹いた。こちらもピンク色。


 有り得ない。ピンクの熊はギリギリまだしも火を吹く熊。ない。流石にない。ドッキリ企画でもこんな謎生物を用意しない。一般人へのドッキリにこんなロボットを作ったりもしない。

 目覚めたら見知らぬ土地。度重なる有り得ない現象。そしてピンクの火を吹くピンクの熊。

 現状を説明出来るファンタジックな答えが脳裏をよぎる。



「い、異世界転生……!?」



 だがしかしこの男、死んだ記憶なぞサッパリない。いつものようにベッドに入り、例の夢を見ただけだ。


 よくある神様的な存在に「間違って死なせちゃったごめんね! お詫びに異世界転生させるよ!」とか言われた記憶もない。意味不明の塊。頼むから説明会を開け、説明書を寄越せ。心当たりゼロの状態で俺にどうしろというのか。

 兎にも角にも、今は熊からどう逃げるかという話である。熊はヘビが苦手で、ベルトなどを投げると良いと聞いたことがある。異世界の熊に効くかは不明だが、やらないよりはマシだろうと腰に手をやった。

 しかし、ベルトが取れない。見慣れない服は無駄に手が込んだ作りになっている。すぐに外れそうではない。



「っクソ……」



 ハートグマ(仮)は立ち上がった状態で息を荒らげていた。威嚇だ。刺激を与えれば間違いなく襲われる。


 元々ゆっくり下がるつもりではあったので、予定が戻っただけだ。未明は刺激しないよう、ソロリソロリと動く。

 だが、相手は未明の知る熊とは異なる。目の前の熊の武器はキバとツメだけではない。未明が退るスピードよりも……炎の迫るスピードの方が早いのだ。



「あっつぅっ!?」



 轟々とうねる炎が迫ってくる。ゆっくり下がるなんて言ってる暇はない。そんなことをしていたら炎の餌食だ。全力ダッシュしかない。


 背を向けて走り出した未明を餌と認識したのか、ハートグマは四足歩行に戻る。火に焼かれて死ぬ確率よりツメとキバでバラバラにされる確率が上がった瞬間である。……一般的に熊は時速40kmで走る。はっきり言って、未明は死亡ルート一直線だった。



「ヘルプ! へールプ!! どなたかいませんかァー!?」



 木々の間を縫うように走り抜ける。障害物を利用して、ハートグマが真っ直ぐこちらへ向かえないようにした。始めは大人しく障害物を避けていたハートグマだが、段々苛立ってきたのか薙ぎ倒し始めた。ん~カルシウム取って?

 ピンクの炎はもう吹いていないため、山火事? 森火事? にはならないだろうが、ピンチには変わりない。



「うっそだろ!?」



 中々の身体能力でハートグマから逃げていた未明であるが、彼は特に秀でた人間というわけでもない。限界が近づいていた。走るスピードが遅くなってくる。



「えーとファイア! ファイアボール! 違う!? じゃあフォイア!? 炎の精霊サラマンダーよ我の呼び声に答えよ!?」



 転生(仮)して早々死にたくはない。剣と魔法の世界へ転生したことを前提とし、思いつく限りの呪文を口にする。


 未明はネットに慣れ親しんでおり、web小説やらなんやらで転生物語をそれなりに知っている。こういった展開であれば、魔法が初っ端から使えて森一つを焦土と化してしまい「あれ? 俺なんかやっちまいました?」となるのがテンプレと思っていた。なおこれは未明の偏見である。

 そしてテンプレ(未明基準)とは異なり、魔法は全く使えなかった。うんともすんとも言わない。炎がダメなのかと水系統を口にしたりもしてみたが、本当に、全く、うんともすんとも言わない。


もしや魔法が使えない代わりに剣の腕が凄い? 防御力が高いとか? 死に戻る? まさかまさかの知識チート?

 そんなことも考えたが、手元に武器の類はないし、自分から背中に迫るハートグマ&炎に突っ込む度胸もない。ぐるぐるぐるぐる、どうすれば生き延びることが出来るのかを考える。

 しかし、それが裏目に出た。


 考えることにキャパを使った分、動きが鈍くなってしまう。木の根に足を引っ掛け、未明はついに転んでしまった。

 ハートグマの鋭い爪が眼前に迫る。



「あぁ~さよなら第二の生! 神様よ転生さしてくれるなら次は最強にしてくれ!!」



 神在月未明くんの次の人生にご期待ください!



「神に祈るな」



 誰かの声が聞こえたかとおもえば、鋭い風の音と共に──ハートグマの首がズルりと落ちた。



 「え」


「神なんて不確定なモンに縋る前に、死ぬ気で足掻け」



 頭を失い倒れていくハートグマの背後から一人の女が現れる。


 ベージュのシャツと茶色のワークエプロンに茶色の分厚い手袋、セピアのズボン。鍛冶師か何かに見える。そんな同系色にまとめられた大人しい色合いの服に対し、その相貌は空を思わせた。

 頭には青のバンダナを巻き、トップに纏められた銀髪がふわりと揺れる。瑠璃色と呼ぶに相応しい瞳が俺を見つめていた。



「ったく、何やら騒がしいと思えばなんだテメェは。なんで武器の一つも持たずにこんな所にいやがる? しかも『ラブベアー』にみっともなく追われて……まぁいい、説教は後にしてやらァ。怪我ねーか?」



 茂みをかき分けて女は未明に近づいていく。よくよく見ればその手には刀のような物が握られており、抜き身の状態であった。何をどうしたのかは不明であるが、その刀でもってハートグマ──『ラブベアー』の首を落したのであろう。

 口調こそ乱暴なものであったが、彼女は腰を抜かした未明に手を差し伸べていた。お節介焼きなのであろうか?


 

「…………め」


「あぁ? め?」


「女神か!!? 救いの手を差し伸べるマリアじゃん!! ゆーあーびゅーてぃふる!!!」


「は? キッッッモ」



 そして未明は女の無慈悲な「キッッッモ」により精神が死んだ。

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