第1章〜特話〜『子供の正義』

13年前、戦争のせいで村のみんなが死んだ。

 

夜明け前、砂漠の冷えた風が吹き抜ける。


僕は膝を抱えながら、ひび割れてしまった足元の砂時計をじっと見つめていた。


僕が育った家の庭も、みんなで正義の味方ごっこを楽しんだ広場も、いまはすべて砂時計の中の砂と同じになってしまった。


正義の味方に憧れる時期は、心の優しい少年、少女の中にだけ芽生えるものだ。


歳を重ねれば、他人に優しくされることが徐々に減って正義の心も歳と共に消えてしまうか、世界がどれぐらい残酷かを知るまでは、その純粋な正義の形は何よりも尊い。


平等はあっても、公平なんてものはない。


僕は幼くして世界の残酷さを強制的に知ることになった。


小さな手には、一片のガラスを握っていた。


血が止まらなくなるほど、強く握っていたが、それは母だったものだ。


砕け散ったその破片に、家族との最後の思い出が詰まっていた。


「正義なんて、そんなのないじゃないか。母さん。。。」

 

僕の声は冷たい空気に吸い込まれていく。


誰に向けた問いかけか、自分でもわからなかった。


正義に対しての問いだけは頭から離れないのだ。


僕は正義の味方に憧れていた。悪と戦い。みんなを守る人に僕は憧れていた。


しかし、現実は酷いものだ。慈悲もない。


7歳の誕生日の日、村を燃やし尽くした光と炎の中で、現場を見にきた兵士たちに問いただした。


『なんで村をぐちゃぐちゃにしたんだ?』

 

「俺たちがやっていることは戦争でもないし、正義でもない。ただのビジネスの一部だ。俺たちもコマの一つで、お前もボロボロになってしまったコマの一つだ」

 

そう言い放ち、笑っていた兵士たちがいた。


その金稼ぎが僕の家を奪い、家族、村のみんなを奪った。


正義とは何なのか。そもそも、この世に正義なんてものがあるのか?


その問いは僕の中で、いつしか呪いのように響き続けるものとなった。


黒煙の匂いは今でも鼻を刺す。


あの日、母が叫ぶ声、父の背中が折れるように倒れる音、それらが繰り返し少年の耳に残っている。


空から降ってきた一つの光のせいで、村は丸ごと焼かれた。

 

逃げ惑う中で、少年は母の手を掴んでいたが、やがてそれを失った。


どこからか飛んできた爆風に巻き込まれ、気がつけば一人だった。


母は僕を庇いながら倒れ、ガラスの破片になってしまった。


僕は以来、村の跡地を彷徨うようになった。


焼け焦げた地面の上を歩き回り、壊れた瓦や焦げた木切れを集めては、それを元に「村」を作り直そうとした。


だが、風が吹くたびに、それらは崩れ去る。


何度も何度も、それを繰り返した。


「どうやったら、あの日に戻れるんだろう。。。」

 

ある日、少年が村の跡地で拾った壊れたガラスの破片を磨いていると、背後に人影を感じた。


振り返ると、そこには一人の男が立っていた。


戦場帰りの兵士らしき男だ。


ぼろぼろの服をまとい、うつむき加減で歩いてきたその姿は、かつて村を焼いた兵士たちとはどこか違うように見えた。


だが僕は、瞬時に恐怖と怒りを覚えた。


「お前も『正義』ってやつを振りかざしてたんだろ?そのために軍人になったんじゃないのか!!」


僕は言葉をぶつけた。


兵士は驚いたように立ち止まり、目をじっと見つめた。


その瞳の奥には、深い後悔の色が見えた。


「俺は…祖国に捨てられちまってな。。金を稼ぐために、生きるために命令に従っただけだ」


「命令って? 村を燃やす命令?」


僕の声は震えていた。


母と父が死んだあの瞬間がよみがえる。男は苦しそうに顔を歪め、答えられないようだった。


『なんか食え、何日も飯を食ってないだろう。お前』


僕が正義を説いても、兵士はその問いに答えられないまま、砂漠になってしまった村を共に歩いた。


少年だった僕は自分の中にある怒りと悲しみをどうすればいいのか分からず、ただその答えを探し求めていた。


ある夜、彼が焚火を囲んでいたとき、兵士がポツリと語り始めた。

 

「正義なんてものは、俺たちにはわからなくなっちまったよ。ただ、生き残るために戦っただけだ」

 

少年はその言葉に噛みついた。

 

「生き残るために、誰かを殺すのが正しいのか?」


火の揺らめきの中で、兵士は答えられなかった。


ただ、その沈黙が僕にとっては何よりも重たかった。

 

やがて僕と雇われ兵士たちの道は分かれた。


僕は村の跡地に戻り、村のみんなの墓標を建てた。


慣れ果てた村の中心で小さな声でつぶやいた。


「偽物の正義なんていらない。僕はただ、大切な人が失われず、誰も泣かなくていい世界がほしいだけなんだ」


数日後、僕はある神父に拾われた。

 

砂漠の夜、血のように赤い月が昇る中、少年は静かに村の跡地で眠っていた。


冷たい砂の上に横たわる彼の身体は痩せ細り、今にも消えてしまいそうだった。


そのとき、遠くから地響きと共に、黒い影が迫ってきた。


轟音とともに一頭の巨大な馬が止まり、その背に乗る男が鋭い声で叫んだ。

 

「目を覚ませ、小羊よ。死ぬには早すぎる」


男は黒い僧衣を纏い、手には奇妙な形をした銀の十字架を持っていた。


その十字架は銃器を模しており、月明かりに鈍く光る。

目には狂気が宿り、笑みの端に牙が見えた。


「あなたは。。。?」僕はかすれた声で尋ねた。

 

男は馬から降り立ち、深々と跪いて少年を見下ろした。

 

「私はアレクシウス・ヴァンデルカム。神の剣を振るう者だ」


僕は半ば強制的にアレクシウスによって馬に乗せられ、荒野を越えて連れ去られた。


連れて行かれた場所は「神殿」と呼ばれる荒廃した修道院だった。


そこには、血と硝煙の匂いが満ちていた。


壁には聖書の言葉が刻まれていたが、血で書かれたものも多く、不気味な光景だった。


アレクシウスは僕に水を与えながら、低い声で語りかけた。

 

「お前は戦争で家族も村も失った。だが、泣くな。正義に向かって吼えるな。小僧。これは天啓だ。神はお前に剣を握る運命を与えたのだ」


僕は怒りを抑えきれず、叫んだ。

 

「神なんかいない! 正義なんてただの戯言だ!ただ子供を騙すための夢だ!」


アレクシウスはその言葉に笑みを浮かべ、僕の目を覗き込んだ。

 

「正義を信じないなら、お前自身が正義になればいい。ただし――正義は綺麗なものではない。」


僕の訓練は過酷を極めた。


アレクシウスは彼に祈りを教えるのではなく、剣術と銃器の扱い方を叩き込み、戦場で生き延びる術を教えた。


その間に挟まれる説教は、狂気じみたものであった。


「正義とは力だ。神の名の下に悪を裁き、地上を浄化する。そのためならば血を流すことを恐れるな。いや、血を流すたびに神はお前を祝福してくださる」


僕は初めは拒絶したが、次第にその狂気に染められていった。


アレクシウスが悪魔崇拝者の集団と戦う場に僕を連れ出した夜、僕は初めて人間を殺した。


その血の温かさが手に伝わり、僕は震えながら剣を落とした。


「怖気づくな!」

 

アレクシウスが僕を怒鳴りつける。

 

「お前の手が汚れるたびに、神はその血を清めてくださるのだ。戦え、そして笑え。それが神の御心だ。」


僕はその言葉に従い、二度目の斬撃を放った。


その瞬間、奇妙な感覚が胸を満たした。


それは復讐心でも怒りでもない。彼は、自分が正義になったという錯覚に飲み込まれていった。

 

数年後、僕はアレクシウスのもとで異端審問官として成長を遂げていた。


僕の名は「カシウス」と呼ばれるようになり、血塗られた剣を振るう悪夢のような存在として知られるようになった。


だが、ある日、ある村を襲撃する命令を受けた。


その村はかつて彼が失った村とよく似ていた。


燃える家々、逃げ惑う人々――僕は剣を振り下ろすたびに、かつての自分を思い出してしまう。


その夜、僕はアレクシウスに問いかけた。

 

「神は本当に異端の死を望んでいるのか? 俺はただ、自分が奪われたものを他人から奪っているだけじゃないのか?」


アレクシウスは冷たく笑った。

 

「いいか、カシウス。正義に迷いを持つな。それは弱者の特権だ。お前は神の剣であり、迷うことは許されない。神に問う暇があるなら、さらに一人の悪を断て」


僕はその言葉に従うフリをしていたが、心の奥底では芽生えた懸念消えなかった。


冷たい月光が差し込む教会の中、異端者たちが震えながら膝をついていた。


アレクシウスは、銀の十字架を握りしめ、冷徹な目で彼らを見下ろしていた。


「お前たちの存在は罪そのものだ。」


アレクシウスの声は鋭く響き、周囲の空気を震わせた。


「神の名の下に、神罰を下す」


カシウスはその言葉に反応した。鋭い視線をアレクシウスに向け、低い声でつぶやいた。

 

「お前の正義は、俺の正義じゃない。」


アレクシウスは一瞬目を見開き、だがすぐに冷ややかな笑みを浮かべた。

 

「カシウス、お前が何を言おうと、俺の正義は揺らがん。お前もそのうち理解するさ」

 

「違う」


剣を抜きながら宣言した。


「お前が振るう正義は、神の名を語る暴力だ。僕はもう、それに加担しない」


アレクシウスはその言葉に一歩踏み込んだ。

 

「ならば、お前も敵だ! 俺の教えを裏切った者は、救いを与えるわけにはいかない!」


「みんなに救いを与えたい。誰も悲しまずに済むようにしたい!それが僕の願いだ!」


僕は真剣な表情で言い放った。


「だが、お前は違う。お前の正義は、僕を殺すための言葉にすぎない」


剣を一閃させ、異端者たちを解放した。


決意は固め、もう後戻りはできないことを悟った瞬間だった。


荒野を歩きながら、アレクシウスとの決別を確信していた。


砂漠の風が顔を叩き、僕の内面にある不安を引き裂こうとする。


だが、心の奥底で感じる「正義」という言葉が、僕の前に進ませるのを止めなかった。


そのとき、ふと足を止め、ひときわ大きな風に目を閉じた。

 

「何が正義だ? 血に塗れた手で、何を語れるんだよ。。。」

 

その言葉を吐いた瞬間、僕はどこか遠くから聞こえるアレクシウスの声を想像した。


「正義とは、絶対の力だ!お前が迷う暇はない!神が望んでいるのは、裁きだ!」


「神?血に塗られた神を崇めることはしない…」

 

僕は自嘲的に言った。


「お前が語った神は、もはや神じゃない。只の暴力だ。僕は、力に頼らない。僕だけの正義を見つける」


数週間後、ある小さな村に辿り着いた。


そこは疲れ切った農民と商人たちが暮らす小さな集落で、貧しさが漂っていた。


僕は神父として、食料を分け、病人の世話をしながら、少しずつ信者たちの心を開いていった。


しかし、次第に僕は痛烈に思い知ることとなる。


「お前に救われた命がどれほど尊いか、わかってるか?」


ある日、年老いた農夫が言った。


「だが、お前が何を語ろうとも、飢えはおさまらん。俺たちの心も、どんな教義で癒せるものじゃない」


その言葉に沈黙し、ただうなずくことしかできなかった。

 

「正義が救えないものもあるのか…」


小さな声でつぶやいた。


「だが、僕は諦めるわけにはいかない」


数年が過ぎ、僕は静かに生きていたが、ある日、再びアレクシウスが現れた。


黒いローブを纏い、鋭い眼光で彼を見据えていた。


「お前は、もう私の元には戻らないのか?」


アレクシウスは言葉に怒気を含ませながら歩み寄った。


「この世界に正義をもたらすためには、俺のような者が必要だ」


僕は一歩も引かず、静かな声で言い返した。

 

「お前の正義は、僕には黒すぎる」

 

「お前が背負うべきものだ!」


アレクシウスの声が激しく響く。


「正義は血で汚れたものでこそ成り立つんだ!それができなきゃ、神の使徒など名乗るな!」


「僕は人を傷つけて、血を流すために生まれてきたわけじゃない」

 

冷徹な眼差しをアレクシウスに向けた。


「お前のように、暴力を振るって正義を語るつもりはない。僕はもう誰も殺さない!」


アレクシウスは一瞬立ち止まり、だがすぐに鋭く笑った。

 

「ならば、どんな形で死んでやるのか、俺に見せてみろ」


僕はその言葉を無視し、再び背を向けた。

 

「お前の狂気は、もう終わりだ。カシウス。お前も人を殺した。ならば、永遠にその罪は消えぬ。お前の死に様を俺に見せてくれよ。カシウス。戦場のどこかでな。さらばだ。出来損ない。さらば、さらば」


アレクシウスは怒りを露わにしながらも、僕の背中を見つめることしかできなかった。


彼が去るその足音が遠くなるたび、僕は決意を新たにして歩き続けた。


カシウスはその後、国中を転々としながら、神父としての務めを果たした。


貧しい村、荒れた町、どこへ行っても彼は変わらぬ言葉で人々を癒やし、赦しの手を差し伸べていった。


だが、心の中で抱えている「正義」とは何か、未だに答えが見つからないままであった。


しかし、あるとき僕は一人の子供が道端で泣いているのを見かけた。


その子を抱きしめ、涙をぬぐうと、心の中でひとつの言葉が浮かび上がった。

 

「これが、僕の正義だ。今はこれでいい」


再び歩き出す。血を流さず、剣を振るわず、ただ静かに歩み続ける。


それが、僕が選んだ「正義の道」であった。


そして、これは本当の正義の見出すまでの物語だ。


僕の名はカシウスではない。


本当の名はジョセフ・リリギウス・ヴァールハイト。


この世界の正義と真実を露わにしたいだけの正義の味方に憧れていたただの子供でいい。


いつか、本当の正義で僕はこの世を照らしみせる。

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