達成度33:“暫定生徒会”の副会長
その後僕が旧生徒会室に戻ると、やはりそこには彼女がいた。
薄暗い教室の奥には、うっすらと一人の少女の背中が見える。
鏡野柚葉。彼女は何やら大きな机の上にどこから持ってきたのか大量の紙束を散乱させ、その場にうずくまるようにしていくつもの書類を覗き込んでいた。
立ち退き要求を回避する方法を必死に探しているのだろうか。
どうやら随分と集中しているようで、今しがた部屋に僕が入ってきたことにも気がついていないらしい。
彼女に声をかける。
「鏡野」
「ひゃっ!?」
らしくない声をあげてビクッと鏡野の両肩が飛び上がった。
「……な、なんだ塩江君か。どうした、忘れ物かい?」
「いや、違う。ちょっとな。そういうお前は……残って何やってんだ?」
「ああ、私は資料を見ていてね。この旧生徒会室に残された紙束がそうなんだが、何かヒントが得られないかと」
「ヒント?」
「うん。暫定生徒会をどうにかして存続させられないか、と思って」
やっぱりか。
「過去にあった色々な事案をチェックして、参考になるものがないか探してるんだ」
「そうか。で、収穫はあったのか?」
「いや……」
鏡野は目を伏せ、ぽつりとこぼす。
「まだ、何も」
「そっか」
「……」
「……」
二人きりの教室に変な空気が流れる。
な、なんだこの空気?
霧島姉妹が加入する前────ほんの一週間くらい前までは、この旧生徒会室には元々僕と鏡野の二人きりしかいなかったというのに、いつもと違うせいか教室はどこか重い雰囲気が漂っていた。
ダメだ、耐えられない────というより、もったいぶる話でもないだろう。
なるべく早く伝えたほうがいい。そう判断し、僕は話を切り出すことにした。
その時。
「なぁ、鏡野────」
ガタッ。
「ん? 塩江君、今なにか音がしなかったか?」
「ああ、僕も聞こえた。どこからだ?」
「多分、入り口のほうだと思う」
ガタッ、と扉のほうで不可解な音が聞こえてきた。
突然の音に僕と鏡野は同じ方向を向く。
それから無言で目を合わせると、
「……どっちが行く?」
「いや、ここは副会長殿にお任せしよう。別に怖いわけじゃないが、断じてそんなわけではないが、しかし君にも見せ場を作ってあげなければな。ということで塩江君、よろしく頼む」
「僕か……」
「うん、君だ」
鏡野から様子を見てこいと命令されてしまったからには仕方がない。僕はしぶしぶ立ち上がり、一歩一歩入り口の扉に近づく。
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
果たして一体、扉を開けた途端に何が出てくるのか。
鬼が出るか、蛇が出るか。あるいは、巨大な黒蛇か────。
歩みを進めるたびに少しずつ心臓の鼓動がバクバクと早まる。
が、ここまで来てしまったからにはもう戻れない。
扉に手をかけ、おそるおそる開くと、なんとそこには────!
「────やはり先輩はビビリである、とわたしは思いました」
「────やはり先輩は意気地なしである、と私も思いました」
……。
「いや、お前らかよ……」
★
机の上に置かれた一枚の紙。『同好会申請書』と書かれたそれをぐるりと囲むようにして、いつもの“暫定生徒会”のメンツは互いに顔を見合わせた。
暫定生徒会長兼部長の鏡野と、副会長の僕と、それから書記の霧島姉妹。
数十分前に解散したにも関わらず、僕らはこうしてまた旧生徒会室に集まっていた。
「で、お前ら双子はなんでここにいるんだよ。帰ったんじゃなかったのか?」
「伊織が鞄を忘れたので、取りに帰ってきました。そうしたら先輩と暫定会長がいらっしゃったので、二人で息をひそめてじっと様子を伺っていました」
「なんで様子を伺ってたんだ!? 普通に入ってくればよかったじゃないか」
「それは先輩と暫定会長がその……どういうご関係なのかということについて、私たちは考えてみれば教えてもらったことがなかったので、配慮といいますか、温かな心遣いといいますか」
「暫定生徒会内部に恋愛が生まれていたとは知りませんでしたので」
「ちょっと待って、お前ら何か誤解してないか? 重大かつ深刻な誤解をしてないか?」
「え? いや、まさかお二人がそういうことになっていたとは知りませんでしたが」
「違う! 断じて違う! 僕と鏡野はそんなんじゃない! ただの会長と副会長だ!」
「しかし、ならこそこそと二人で何をやっていたんですか? 部活の終わった後の教室で」
「伊織、聞いちゃダメです。伊織にはまだ早いです」
「おい、だから誤解だってそれは」
「む、それはどういう意味ですか香織。前から思っていましたが、香織は生まれるのが私よりほんのちょっと早かったというそれだけでやたら年上として振る舞うのはやめてほしいです」
「私のほうが年上なのでそういう風に振る舞うのは当然です。だいたい伊織はいつも危なっかしいんです。なので、私が姉としてきちんと面倒を見ないと……」
「待て待て待て! ストップ! 一旦話を戻すぞ」
勝手に喧嘩を始める霧島姉妹。そんな二人をどうどう宥めつつ、
「まず、お前らが勝手に決めつけている僕と鏡野の関係性についてだが、これは誤解だ。OK?」
「私は物分りのいい女の子なので、OKです」
「わたしは理解のある女の子なので、OKです」
「……まぁ、いいか。それで僕らが何をしていたかというとだな────僕が鏡野に……ていうかお前らにも、話をしようと思ったんだ。大事な話だからよく聞けよ」
「「すみません、先輩とは結婚できません。代わりに隣の女をあげるので勘弁してください」」
「はいはい、プロポーズじゃないからな。あと、お互いに姉妹を差し出そうとするのやめような」
こいつらは、本当に仲が良いんだか悪いんだかわからない。
「それで、話っていうのはこの『同好会申請書』と、立ち退き要求に関する話なんだが────」
★
「なるほど、つまり正式な手続きを経て暫定生徒会が『同好会』として認められることで立ち退き要求を取り消すことができる……と、そういうことだな」
「ああ、そうだ鏡野。この申請書を提出すれば暫定生徒会は正式に学園から認可される。つーわけで、皆書いてくれ」
「しかし……塩江君。この申請書には、同好会として認められるには最低五人のメンバーが必要だと書いてあるぞ」
「え? 嘘、マジで?」
鏡野が指さした部分を覗き込むと、そこにはたしかにその旨が記されていた。
五人、五人か……この場にいるのは暫定生徒会の全員だが、それでも四人しかいない。
鏡野と僕と、霧島(香織)&霧島(伊織)。
つまりこの申請書を提出するには少なくともあと一人のメンバーが必要になる、というわけである。
「ふむ……あと二人、か。どうにかして集めたいところだが」
「え? いやいや鏡野、数え間違いだろ。この場にいるのは四人じゃないか。つまりあと必要なのは一人だけだ」
「いや、しかし……君は」
そこで鏡野は不意に言いよどむと、俯いて目を伏せるように地面へと向けた。
どこか気まずそうに両手をすり合わせ、そわそわと視線を落ち着き無く彷徨わせている鏡野。僕は彼女の伝えんとしている意図がいまいち汲み取れずに眉をひそめる。
「どうした? 鏡野、具合でも……」
「しかし、塩江君。君は……私が脅しているから、ここに来てくれているんだろう?」
「────そ、れは」
鏡野のその言葉に対し、僕は声が出なかった。
いや、声が出なかったなんてのは結局言い訳に過ぎない。
どんな顔をして、なんと答えればいいかわからなかっただけだ。
絶句する僕を見つめながら鏡野柚葉は続ける。
「私たちが出会ってからまだ日が浅いが、この数週間君とともに放課後を過ごしたからわかる。塩江君、君は良い奴だ。本当に。だから、だから私は────君を無理やりこの旧生徒会室に来させていることが、心苦しくなってきたんだ」
「……鏡野」
「塩江君、これは正式な書類だ。当然、申請書へのサインは本人の意志で行なわれなければならない。屁理屈やごまかしではない、本当の、本人の意志で」
僕は。
僕は────、
「だから……その、だな。君は私が無理にここに来させているだけであって、入る意志のない人間にサインまでさせるわけにはいかない。……塩江君をこれ以上、暫定生徒会に縛り付けるわけにはいかないよ」
そう、鏡野柚葉は笑った。どこか悲しげに、そして切なげに。
「君は優しい。だから私を気遣って、こうして暫定生徒会を守ろうと、立ち退き要求をなんとかする方法まで見つけてくれた。ありがとう。その気持ちは本当に嬉しいよ。だからこそ……もう、いいんだ塩江君」
違う、そうではない。
僕は優しい人間なんかじゃない。
いつだって自分本位のエゴイストで、他人のことなんか考えないで、嫌なことからは逃げて、逃げて、逃げて────その道の果てに暫定生徒会に来たのだ。
だから僕が生徒会に直談判したのは、
「塩江葵」
鏡野は僕の目を真正面から見つめる。
そして帽子を脱ぎ、頭を下げた。
「すまなかった。君は良い奴だ。だから、もうこれ以上ここに縛り付ける気はない。脅すつもりも……いや、初めから本当にやるつもりなど毛頭なかったが。ともかく脅したりももうしないよ。止めたりなんかしない。もういいんだ……塩江君」
そう無理やり作ったような、寂しげな笑顔を鏡野は見せる。
「今までありがとう。────メンバー集めは、私と霧島姉妹でなんとかやってみるよ」
手にしたキャスケットをぎゅっと握りしめながら、鏡野柚葉は僕に笑いかけた。
塩江葵は彼女に何を言えばいいのだろう。
……いや。
もう迷うのも、自分をごまかすのもいい加減やめよう。
僕は知っているだろう。
自分が何をやりたいのか。
自分がどうしたいのか。
自分が、誰と、どこにいたいのか────。
そんなことは他の誰でもない塩江葵自身が知っている。
僕は。
「……鏡野」
「えっ!?」
「そこにあるペンを貸してくれないか」
「こ、これか? 別に構わないが、どうしていきなり……」
おずおずと差し出されたボールペンを受け取ると、僕は同好会申請書に名前を書き込んだ。
副会長────塩江葵と。
「し、塩江君!? 何を!? 言っただろう、もう君は無理に私に付き合ってくれなくていいってば……!!」
「鏡野」
「……っ!?」
僕は薄く微笑みながら、驚く鏡野の顔を見つめ返す。
もう決まっていた。覚悟も、意志も。
ただ流されていた今までとは違う。
「仲間に入れてくれないか? 僕も」
「君は……」
暫定生徒会で過ごしたこれまでの短い日々を思い出す。
『この私、鏡野柚葉が改めて歓迎しよう、青年君。ようこそ我が────“暫定生徒会”へ』
色々なことがあった。
彼女と出会い、東間と出会い、霧島姉妹と出会い。
全くむちゃくちゃで騒がしい日々だった。
時に天を恨んだことさえあった。
でも────楽しかった。
僕は楽しかったのだ。
それに鏡野柚葉の笑顔がもう脳裏に焼き付いて剥がれやしない。
たとえ、思い描いていた青春とは違っていたとしても。
たとえ、正規√からはほど遠い道のりであるとしても。
それでも────もうこの日々は、僕にとって大切な青春になりつつあるから。
だから、僕は。
「僕は────暫定生徒会の副会長、塩江葵だ」
今、暫定生徒会に加入した。
「……塩江、君」
鏡野の頬から静かに、一筋の光が伝っていく。
「いいの、か?」
「ああ、勿論」
「もう君は自由なんだぞ? 君がここから出て行っても、私は何もしないぞ?」
「それでも僕は、ここに居させてほしい。こんな青春も……ま、悪くないからな」
「……塩江君」
「なんだ? 鏡野」
「……ありがとう……」
「……こちらこそ」
しゃくりあげる泣き声だけが、しばらくの間旧生徒会室に響き続けていた。
もう誰も、何も言わなかった。
★
「それでどうするんですか? 正式に先輩が加入したとしても、やっぱり……」
「うん、一人足りない」
それから数分後。僕らは再び、輪になって同好会申請書を覗き込んでいた。
メンバー枠には四人の名前が書き込まれている。
だが、まだ足りない。暫定生徒会が同好会として認められるまでにはあと一人のメンバーが必要だ。
あと一人。
「あー、そのことについてなんだが……」
不意に手を挙げた僕に全員の視線が向く。
無言で先を促す鏡野と霧島姉妹に僕は言った。
「────僕が、なんとかできるかもしれない」
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