達成度30:『暫定生徒会』とは
「君たちはこの柊ヶ丘の理事長がどういう人物なのか、知っているかい?」
前髪をいじいじ触りながら、鏡野はそうおもむろに切り出した。
「理事長、ですか?」
双子の霧島姉妹が互いにそっくりは顔を見合わせ、はてな、と首をかしげる。どうやら知らないらしい。
必然的に三人の視線が僕へと向く。『で、お前は知っているのか』と目で聞いてきているのである。しかし実質この学校の四年生である僕も、残念ながら柊ヶ丘の理事長については全く知らないので霧島姉妹に習って首をかしげた。
「僕も知らないな。校長なら思い出せるんだけど」
「思い出せる?」
「ああいや、言い間違えたすまん。思い浮かぶんだが」
あ、あぶねー。一瞬眉をひそめて不審げに聞き返してきた鏡野はしかしすぐに切り替えたようで、苦笑交じりに僕らに向かってゆるゆると首を横に振った。
「そうか。まぁ、無理もないだろう。あの人は表舞台には一切姿を表さないからな。実際、ほとんどの生徒は会ったこともないんじゃないか?」
「その理事長さんが、暫定会長の────」
「ああ。理事長の名前は、鏡野直人。他でもない私、鏡野柚葉の父親だよ」
鏡野はまっすぐ僕らを見つめて言った。どこか覚悟を決めたようなその表情に僕らはなんと返していいのか分からず、黙って続きを促す形になってしまった。
「あの人は大した人間だ。大きな大学を出た由緒正しい名家の家柄で、自他共に認める完璧なエリート。若くしてこの地位に上り詰め、以降その巧みな手腕を用いて柊ヶ丘を運営している、すごい人だ。だが────同時にとても冷たい人だ」
そこでふっと目を伏せた鏡野は、始めて目にする表情を浮かべていた。
「誰に対してもまるで感情を見せないし、抱かない。まるで血の通っていないロボットのようだ。家族に、妻に────そして、実の一人娘に対してもそれは同じ。私は父から肩車された経験がないんだ。手を繋いで歩いたことも、一緒に遊んだ記憶も数えるほどしかない」
「……」
「だが、そんな父が一人だけ可愛がる人間がいた。ここに西条七海という女がいるだろう?」
「西条って、あの西条さん?」
「そう、その不当に生徒会長の椅子に座り続けてこの柊ヶ丘を苦しめている悪の帝王ダークブラックマスターの西条七海だ!」
「別に悪の帝王ダークブラックマスターとは誰も言ってねーよ」
「ともかく、その西条だ。私の家は古くから西条家と付き合いがあってね。なんでも父同士が仕事で知り合いだったらしい。私と父、そして西条と彼女の父は顔なじみだったんだ」
「そうだったんですか」
「うん。そして父は────私ではなく、西条を大層気に入っていたんだ」
「それは……なんというか、酷いな。実の娘なのに」
僕がわずかに声のトーンを落として言うと、鏡野はまたふっと寂しく笑った。
鏡野の笑顔なんていつも目にしているはずなのに、その笑みはどこか自嘲的に僕には見えた。
「仕方のない部分もある。なんてったって彼女は昔から優秀だった。今もそうだろう? 西条は父と同じ大学に進む予定で、現在もエリート街道を突っ走る才女。父は家同士の集まりがある度に西条を褒めたよ。時には頭を撫でて、微笑みかけていた。だが────私に一度たりともその笑顔を向けられることはなかった」
キャスケットを外し、俯いた鏡野の表情にほの暗い影が差す。
「私は落ちこぼれだ。勉強も、運動も、まるで西条には敵わない。せめて知識を蓄えようと、たくさん本を読んでみたりもした。だがそれでも、西条は私の遥か先を突き進んでいた」
どこか遠くを見つめるようにして、鏡野は瞬きした。
「父からすれば、不出来な私よりも優秀な西条の方が可愛らしいんだ。わかっている。でも、私は西条にはなれない。だから────私はきっと、西条に嫉妬したんだ。今も嫉妬し続けているんだ。彼女を目の敵にして、彼女にとにかく対抗しようとした。彼女が生徒会長になるなら私も生徒会長になって────彼女への当てつけに、この学校の生徒全員を彼女よりも幸せにしてやろうとした。それで、この旧生徒会室にこもるようになった。これが暫定生徒会のはじまりだ」
それは鏡野柚葉の口から語られた本音だった。
なぜ彼女が“暫定生徒会”なる第二の生徒会を名乗り、この旧生徒会室を占拠しているのか。
なぜ彼女が、全ての生徒に『健全かつ充実した学園生活』を提供しようとしているのか。
その理由がようやく僕にはわかった気がした。
謎だらけの存在だった彼女のことが、穴にパズルのピースを埋め込むようにしてだんだんと理解できるようになっていく。
当たり前のことだが、彼女もまた人間なのだ。
「笑えるだろう? 笑ってくれて構わないとも、諸君。私は父にも、西条にも及ばない取るに足らない人間なんだ。私は父と西条を見返したかった。そのためにこの学校を支配しようとして……この学校の全員に素晴らしい学園生活を送ってもらおうと思った。それだけなんだ。崇高な理念や大義に突き動かされていたわけじゃない。私は……ただ家族に見てほしかっただけの、どこにでもいるような人間なんだ。これが鏡野柚葉の正体だ」
「……鏡野」
鏡野柚葉は笑った。どこか寂しげに、どこか切なげに、どこか自虐的に。
自慢げでナルシストな普段の彼女は、その奥にある自虐的な自分を覆い隠すための仮面だったのかもしれないな、と僕は思った。
「暫定会長、あの」
そこで手を挙げる少女がいた。
「なんだい? えーと、香織君」
「伊織です」
「失礼、伊織君。何か言いたいことが?」
「わたしは、暫定会長がすごい人だと思っています」
「……それは嬉しいな。でも、そんな優しい嘘を言って無理に励まそうとしてくれなくても」
「本当です。だって暫定会長は────それでも本気で、この学校の生徒の暮らしを良くしようと思ってくれているんですよね」
「それは……」
「だからあんな広告を張り出して宣伝して、わたしたちのことも解決してくれた」
「……」
「なので、暫定会長はすごい人です。少なくとも私はそう思って、あなたを尊敬しています」
伊織は一歩鏡野の前に進み出る。するとその直後、
「私もです」
と、香織も伊織の横に立って鏡野を見つめた。
鏡野はそんな霧島姉妹を驚いたような顔でしばし見つめた後────、
「……ありがとう、二人とも。そう言ってもらえると、とても嬉しいよ」
と、頬を綻ばせた。
白い歯を見せて笑う鏡野の表情は明るく────そして、綺麗だった。
「────っ」
僕はふと、彼女を見つめる自分の心臓の鼓動が昂ぶっているのを感じた。
鏡野はそれから一度大きく頷くと、ぱちんと両手を打ち鳴らす。
それは解散の合図。いつも暫定生徒会が終わる時に会長であり部長でもある鏡野が行う、『また明日』のルーティンだった。
「皆、ありがとう。私も私なりになにかできることがないか、これから探してみることにする。だから今日はこれでひとまずお開きだ。気をつけて帰ってくれ。それではまた明日、この場所で」
こうして、その日の暫定生徒会は最終下校のチャイムを待たずして解散となり、僕はどこかモヤモヤとしたものを胸のうちに抱えながら廊下に出たのだった。
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