達成度22:後輩は一体誰なのか?

 ────昼休み。僕は中庭に設置されている、ある自販機の前で悩んでいた。


「うーん……うーむ……」


 気の済むまでひとしきり唸ってからぱっと財布を開き、中を覗き込む。


 財布の中にあるのは100円玉が一枚、10円玉が三枚。

 合計130円。これが僕の現在の全財産である。


 すっからかんの財布の中にはあまりにも悲惨な、草木一本生えていない荒野のような風景が広がっていた。

 財布の中に広がっている空虚な暗闇はまるでブラックホール、まるでアビスの大穴。

 なんという寂しい空間だろうか。


 こんなことになるんだったら、元の時間軸で株価とか暗記しておくべきだったな……と、今更どうしようもない後悔をしつつ、僕は再び思考に戻る。


「うーん……」


 目の前の自販機にはいつも買っているお馴染みの微糖コーヒーが130円で売られている。


 ちょうど今の所持金で買える値段である。これは僥倖、不幸中の幸いという他あるまい。

 さっそくお金を入れて、ボタンを押して────と行きたいところなのだが。


 だがそのコーヒーの隣にもう一つ僕の興味を惹いてやまないものがあった。


 ちょっと派手なピンク色の缶が目立つそれはさくら抹茶ラテ。

 値段はコーヒーと同じく130円ぴったしである。


「うーむコレは、どうするべきだろうか……さくら抹茶ラテ、気になるな……」


 おそらく名前からして期間限定の商品だろう。

 つまりこの機会を逃せば次また飲めるかはわからない。

 桜ってどういう味がするんだっけか? ていうか味、あるんだっけか?


 一定以上のクオリティが担保されている、安心安全のコーヒーを選ぶべきか。


 あるいは全くもって味の想像できない未知のさくら抹茶ラテに冒険するべきか。


 大いに悩ましい。しかし、やっぱりさくら抹茶ラテの味が気になる。


「……よし、決めたぞ!」


 僕はもう後悔したくない。


 後悔してからではもう、人生は大抵取り返しがつかないのだ。


 もう二度と迷わない。後悔したくない。

 だからここは────さくら抹茶ラテ、君に決めた!


 僕は意を決してぽちっとさくら抹茶ラテのボタンを押す。


 その直後、ガコンと音を立てて缶が落下してくる。

 落ちてきた缶に手を伸ばし、自販機の取り出し口からそれを取り出した瞬間、


「いい選択をしましたね、先輩。それは美味しいですよ」


「霧島か」


「はい、霧島です。先輩の後輩の霧島です。どうぞベストタイミングで現れた私を褒めてください。それはもう褒め称えて崇め称えてください」


「お前は急に、どこにでも現れるな……」


 この霧島とかいう毒属性のモンスターのPOP条件が僕にはわからない。鏡野なんてあの旧生徒会室で以外は一回も見たことがないのに……。


「私は先輩の行く先々に現れます」


「よせ、ストーカーじゃあるまいに」


「否定はしません」


「えっなんで否定しないの? お前僕のことつけ回してんの? ストーカーなの? やめてよ怖いから」


「冗談です」


「なんだ冗談か……」


「多分」


「多分!? 多分って何!?」


 そこに含みを持たせるなよ! 怖いから!


「はぁ、付き合ってられないな……」


 僕はとりあえず、腰を降ろしてさくら抹茶ラテを試飲したいとそこらのベンチに腰を下ろす。するとやはり、霧島は僕の隣に座ってきた。


「先輩、今日もお一人ですか」


「まぁな。あと今日『も』じゃない、今日『は』だ。そこは間違えないでくれ。まるで僕が」


「やはり先輩はぼっちである────と、私は思いました」


「お前もな!!」


「私は普段は知り合いと二人で常に行動しています。友達はたしかに少ないですが、ぼっちではありません。先輩と違って」


「余計な一言を付け加えるな! というか、だったら普段一緒にいるその友達はどこにいるんだよ」


「さぁ? わかりません。今もその辺にいるのでは?」


「わかりませんってお前……いいのかよそれで。友達なんだろ」


「それはそうと先輩、今日は暫定生徒会の活動はあるのでしょうか?」


「めちゃくちゃ強引に話題変えてきたな……」


 何か触れられたくない部分があるのだろうか。まぁ、無闇やたらに人様のことに首を突っ込むものではない。友達関係の相談なら僕(と、たぶん鏡野も)は力になれそうにないしな。

 僕に友達ができたのなんてつい最近だし……それ以前はずっとぼっちだったし。


「先輩?」


「ん、おっと悪い。ちょっと昔の思い出に浸ってたもんでな」


「いじめられてた時のトラウマですか? すみません先輩、嫌な記憶を思い出させてしまいました」


「別にいじめられてたことはねぇよ!?」


「それは失礼しました。とにかく話を戻して、今日の放課後は暫定生徒会の活動はあるのでしょうか」


「ああ、そういう話だったな。そりゃ多分あると思うぞ。暫定生徒会は学校ある日は毎日あるし、今まで休みになったこととかないし」


 おそらく今日もあるはずだ。僕はあの日────西条さんに旧生徒会室の前に連れてこられた日からずっと、暫定生徒会に通わされている。


 おそらく暫定生徒会……というか鏡野に、休みという概念はないのだろう。

 あるとすればそれはきっと、鏡野が病欠でもして学校を欠席した日に違いない。


 というかあいつどこのクラスにいるんだよ……。

 霧島は僕の答えを聞くと小さく頷き、懐から一枚の封筒を取り出した。


「わかりました。それでは今日もお伺いします」


 霧島が大事そうに持つ封筒にはやはり『入部届』と書かれていた。


「はぁ……霧島、お前が何を考えてるか知らないけど、悪質なイタズラならいい加減に紙がもったいないからやめたほうがいいと思うぞ。それコピー用紙じゃないし、毎回書いてるんだろ? なんでそんなことするんだよ」


 昨日も彼女は暫定生徒会に来た。そして、思いっきり入部届を破り去っていった。

 さすがにこうも繰り返されると驚きの感情も薄れてくるが、それはそれとして霧島の奇行はそろそろやめたほうがいい。紙が無駄だし、何がしたいのかまるでわからない。


「イタズラではありません。私は本当に、暫定生徒会に入りたいのです」


「じゃあなんで毎回入部届を破り捨ててくんだよ」


「それは……」


 霧島はそこで珍しく言い淀み、俯く。


「それは……今はまだ、お話できません。すみません。けれど、私がお二人と暫定生徒会を魅力的に思っているのは本当です。だから、あるいは本当に────」


 ふと彼女が、きゅっと裾を握りしめているのが目に入った。霧島の表情は相変わらずのクールフェイスだったがしかし、その瞳には何かしらの感情がこもっているような気がした。


「いえ、何でもありません。とにかく今日もそちらへ向かうので、また放課後よろしくお願いします。それでは」


 そう言うと霧島は立ち上がる。一瞬ふわっとめくれ上がったスカートに目を奪われたが、気づけば彼女はいなくなっていた。


「何なんだ、あいつ……」


 そしてやはり、その日の放課後も彼女は暫定生徒会へやってきた。


 ★


『入部希望者です。よろしくお願いします』


『すみません、昨日の件は取り消させてください』


『入部希望者です。よろしくお願いします』


『ごめんなさい、気が変わりました。入部は取り消させてください』


 それから毎日────霧島は旧生徒会室を訪ねてきた。

 そして入部届を机に叩きつけ、次の日にはそうして叩きつけた入部届を破り捨てる。


 その繰り返しだった。


 最初は混乱しきっていた僕ら暫定生徒会も、この繰り返しが三日と少し続くとすっかり慣れきってしまい、今ではあまり気にせず本を読んだりトランプタワーを作ったり携帯をいじくるようになった。


「それにしても、霧島は結局何がしたんだろうな」


 机の上の白い封筒を眺め、僕は漫画を読んでいる鏡野に話しかける。

 鏡野は手元の漫画(何を読んでいるのかと思ったらスポ根少年漫画だった)に没頭しているようで「んー?」と曖昧な返事を返していた。


「霧島だよ、霧島。あいつ毎回ここに来るけど、毎回入部届を出して翌日には破り捨てての繰り返しだろ? だから何なんだろうなと思って」


「ああ、霧島君か。彼女はまぁ、わからないな。今日も多分来るだろう。今日は……入部届があるから、これを破り捨てに来るだろうな。今までのパターンだと」


「だよな。入部を取り消しにくるはずだ。だからもうちょっとこう、その時にあいつから話を聞ければと思うんだが……あんまり話してくれないからな」


「霧島君はなかなか気難しそうだからな」


「気難しいっていうか、とっつきにくいっていうか……」


「とっつきにくいといえば、塩江君もそうだな?」


「お前もだろ!」


「違いない。我々は案外似たもの同士なのかもな」


 鏡野は漫画に顔をうずめ、くつくつと笑う。僕が何かを言おうとしたその途端、不意に旧生徒会室の扉がノックされた。


「と、来たようだぞ」


 相変わらず返事を待たずにガチャリと開かれた扉の向こうには案の定、霧島が立っていた。


「やぁ、霧島君」


「失礼します。昨日の件ですが────」


「取り消す、かい?」


「話が早くて助かります」


 鏡野がそう入部届を差し出すと、それを受け取った霧島は頷いてビリビリに破り捨てる。


 それから手慣れた手付きでゴミを広い集めると、「それでは失礼しました」と頭を下げ、踵を返して出口に向かって歩きだし────、


「ちょっと待ってくれ」


 僕は気づけば、その背中を呼び止めていた。


「……何か用でしょうか?」


 ピタリと動きを止めた霧島はそのまま僕に振り返り、無機質な瞳を向ける。

 そんな冷たい視線に射抜かれながら、ふと口にした。


 たった今思ったことを。純粋な、素朴な疑問を。


「霧島────お前は本当に、霧島伊織なのか?」


「────」


 その時。


 その時ほんのわずかに彼女の瞳が見開かれた、ような気がした。

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