達成度21:霧島伊織、二度目の加入宣言

「はい。もちろん────暫定生徒会の部室に、です」


「……?」


 霧島はそう言って、かすかに微笑んだ。


 普段はまるで凍りついたかのように表情筋の一切を動かさないクールフェイスな彼女が浮かべた微笑みは、彼女が纏う妖精のような雰囲気もあって大変かわいらしく────だが僕には彼女の言っていることが全く理解できていなかった。


 より正確には、理解が追いついていなかった。口をあんぐり開けて立ち尽くすこと数秒、ようやく遅れて脳が動き出す。


「いや……お前、何言ってんだ」


「何を言っている、とはどういう意味でしょうか先輩? たった今申し上げた通りの意味です。暫定生徒会の部活に行きましょう、という意味です。たしかここから旧生徒会室まではそう遠くないと記憶しています」


「いや、そうじゃなくて。だってお前昨日気が変わったから取り消してくれって、旧生徒会室まで来たよな? それで入部届まで破り捨てて、退部の意思を明らかにしてたじゃないか。やっぱり入部は取り消したんだろ」


「……」


 僕がそう言うと、不意に霧島は静かに視線を落として黙り込んだ。その表情から微笑みが消え去り、相変わらずの無表情に戻る。


「……あれは嘘です。かわいい後輩の、ほんの冗談です。と、私は思いました」


「いや、冗談でわざわざ書いた入部届を破り捨てるなんてそうそうできることじゃないと思うんだが。あれは本気だったよな? どう見ても」


「それでも冗談です。いいから一緒に行きましょう、先輩。旧生徒会室で暫定会長が待ちわびています」


「いいからって、お前はもう退部したんじゃ────あ、おい霧島! 先に行くなよ!」


 霧島は気づけば僕を置き去りにして、スタスタ先に歩き出していた。

 僕は慌ててその後を追う。だが、突然目の前を歩く霧島の歩みがピタリと止まった。


「ん? どうした、急に立ち止まったりなんかして」


 前を見てみればそこには旧生徒会室の入り口の扉があった。目的地はもう目の前だというのに霧島はなぜ立ち止まるのだろう?


「先輩、ここは先輩が先に行ってください」


「え、なんで」


「この状況にはさすがの私とて少しばかりの気まずさを感じずにはいられないからです」


「お前な、僕に対してはそういう気まずさとか感じないのかよ」


「特には」


「え、なんで!?」


「なんででしょうか?」


「僕に聞かれてもな……」


 霧島は可愛らしく、こくんと首を傾げて顎に手をやる。かわいい、けどかわいくない。

 なんだこの二律背反。


「とにかく私は少し気まずいので、先に行ってください。後ほどお礼はしますので」


「お前……はぁ、まぁ別にいいけどさ」


「さすがです先輩。思春期特有のあんなことやこんなことの妄想を広げられるお礼という単語に釣られましたね」


「僕の名誉を守るために言っておくが、別にそこに釣られたわけじゃないからな!?」


 僕はため息をつきつつ、霧島を横切って旧生徒会室の扉に手をかける。

 そのまま扉を開くと、


「やぁ塩江君、今日も遅かったじゃないか」


 鏡野柚葉はやはりいた。彼女はいつも通りの椅子に腰掛け、その椅子を回転させて僕を出迎える。

 一方霧島は僕の背中に隠れるようにして縮こまっていた。


「お前はいっつも僕より先に来てるな」


「当然、これでも生徒会長だからね。私自身が模範となって、メンバーに威信を示せなければ始まらない。というかむしろ君は毎日来るのが遅すぎるぞ、いったい私という乙女をどれだけ待たせるつもりなのか────って、君の後ろに隠れているのは霧島君か?」


「えっ」


「おお、一瞬でバレたな」


「……驚きました。よくぞ私を見破りましたね、暫定会長」


 変身を看破された悪役みてぇな台詞だな。


「言っただろう? 私はこれでも暫定生徒会の生徒会長だ。一度ここを訪れた生徒の顔は忘れやしないし、足音や気配でわかるとも。その程度の隠密行動で私を出し抜こうなどと百年遅いぞ、霧島君」


 その悪役と久しぶりに再会した師匠みてぇな台詞だな。なんだ、ここは演劇部か何かか? まぁ似たようなもんか。


「それはともかく、私のことを覚えてくださっているのならありがたいです。改めてご機嫌よう、鏡野暫定会長」


 そうぺこりと一礼すると、霧島は鏡野のもとへとずんずん歩み寄っていく。

 あれ? この流れ、既にどこかで見たような気がするぞ? 


 鏡野は「えっ? き、霧島君!?」と近寄ってくる霧島に若干引き気味になりながら上体を仰け反らせていた。


 霧島は一切の迷いのない動きでずんずん歩み寄っていき、そして。

 机の上に封筒を叩きつけた。ぱぁん、と。


「────入部希望者です。よろしくお願いします」


「……え?」


 ──── 一昨日に入部し、昨日に退部し、そしてまた今日には再入部する。


 この三日間で霧島伊織という人間は、一日おきにくるくると入部・退部の意思を二転三転させた。

 結局暫定生徒会に入りたいのか、入りたくないのか。

 なぜ暫定生徒会に入ろうとするのか、一体その目的はどこにあるのか。


 僕には全く、理解できそうになかった。


「これは入部届です。もう一度書いてきました」


「え、ああ……しかしだね霧島君。君はつい昨日、入部を取り消すとここに来て……」


「……あれは気の迷いです。私は暫定生徒会の仲間に加わらせていただきたいです」


 霧島はそこで壁からパイプ椅子を持ってくると、開いてすとんと腰を降ろした。

 そして僕と鏡野のことを無表情のままじーっと見つめる。


 ……な、何? 何なんだこの子は?


 結局、その後も霧島は無表情かつ無言のままその場に居座り続けた。


 最終下校のチャイムが鳴って────暫定生徒会の活動が終了する時刻になって、「では、また明日お会いしましょう」と彼女がひらひら手を振って下校するまで、霧島はその場から一ミリたりとも動かなかった。


 ★


 次の日。やはり霧島は旧生徒会室にやって来た。


 入り口で「こんにちは」と頭を下げると、そのままパイプ椅子に腰掛けることなく一直線にすたすたと鏡野のもとへと向かう。


 そして机に置かれた入部届を無言で拾い上げると、

「昨日の話ですが、すみません。やっぱり取り消します。退部させてください」

 ────と、入部届をビリビリに破り捨てる。


 そのゴミをせっせと手で拾い上げて律儀に回収していくと「では、ご迷惑をおかけしました」と、一礼してから去っていった。


 一連の動作が行なわれた時間、わずか三分。

 ……僕と鏡野は今回ばかりはもはや言葉も出ず、互いに顔を見合わせて眉を寄せ合ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る