達成度19:破り捨てられた入部届
────どんな夜もいずれは明けるし、どんな雨もいずれは止む。
それと同じように、たとえどれだけ退屈で、どれだけ苦痛で、どれだけ眠気との激しい戦いとなる授業であっても────耐えてさえいれば、いつかは終わりが訪れるのである。
昼休み。果てしなく長く感じるような授業の呪縛からようやく解放された教室では一気にクラスメイトたちの喧騒が溢れかえり、わあわあと教室全体に活気が満ちていた。
そんな中特にやることがあるわけでもなく、また特に一緒に過ごす人がいるわけでもない僕は窓際の自分の席で寝そべってぼんやり外を眺めていた。
「ああ、今日はいい天気だ……」
普段の昼休みは東間と適当な話をして時間を潰したりしていたのだが、残念ながら今日彼は図書委員の仕事があるとかで不在である。
つまり僕は一人。霧島の言う通りのぼっち先輩だった。
でも生まれてこのかた一人には慣れている。
そんなことより見ろよあの清々しい雲一つない青空、ベランダに干した洗濯物がよく乾くぞ。
だが真冬日に暖かくした部屋の中でアイスを食べるのが一番うまいように、こんな天気の素晴らしい日にこそ僕は家で引きこもって積みゲー消化に精を出したい(ダブルミーニングじゃないぞ?)ところだが、生憎と今の僕にそんなつもりはない。
もうゲームはやらない。少なくとも生活に支障をきたすレベルでは絶対にやらない。
せっかく神様からこうして与えられた時間を無為にすることはできないからだ。
……まぁ、それならこれといって何もせず窓際でうつらうつらしている今も同じツッコミが入るかもしれないけれど。
でも仕方ないじゃないか。こんな日には大人しく本能に従い惰眠を貪るのが一番の快楽なんだ。
そんなわけで夢と現実の境目で僕はしばしうとうと船を漕いでいたのだが、ふと聞こえてきた騒がしい声に校庭を見下ろす。
するとそこではスクールカーストの頂点に君臨しているであろう男女グループがキャッキャウフフと楽しそうにキャッチボールをしていた。
「……」
目に毒だしどっか行くか。
僕は無言で立ち上げると特に行く宛もなく廊下に出る。
廊下では何人かの男子生徒が騒がしくふざけ合っており、教室となんら変わらぬ賑やかさが広がっていた。
「とはいえ、別に行くところがあるわけじゃないんだよな。めちゃくちゃ暇だし」
そうだな、こんな日はなるべく静かなところで昼寝でもするか。
「東間もいるだろうし、久しぶりに図書館にでも行ってみるか」
そう思い立った僕は階段を降りて靴を履き替えると校舎の外に出る。
そうして図書館へと向かおうとすると────、
「……ん?」
旧校舎の目の前、より具体的には旧校舎の目の前の掲示板の前で、見覚えのある少女が立っているのを見つけた。
華奢な体躯に、まるで雪のように透き通った白い肌。
腰近くまで伸ばした髪を二つ結びにまとめ、まるで妖精のような神秘的な雰囲気を漂わせる少女────霧島伊織。
彼女は掲示板の前に立ち尽くし、そこに張り出されているとある一枚の紙をじっと食い入るように見つめていた。
あれは霧島? 一体何を見ているのだろうか。
気になった僕は彼女の側へと近寄り声をかける。
「よ、霧島。何やってんだ」
「えっ」
すると彼女はビクッと肩を震わせ僕のほうを向いた。
相変わらず無表情で、あらゆる感情の起伏を感じさせない顔立ちである。
しかしそんな彼女の瞳は今わずかに見開かれており、おそらくは驚愕という感情を抱いているのであろうことはなんとなく想像がついた。
「どうしたんだ? そんなにびっくりして。同じ学校にいるんだから顔を会わせることくらいあるだろ」
「いえ、私は別に……」
と、霧島はそこでちらちらと視線を彷徨わせる。なんとなく不安げというか、なんと返せばいいのか迷っている感じだ。あれ、僕もしかして声かけちゃまずかったかな?
「霧島?」
「いえ、何でもありません。それでは失礼します」
「え? 何でもないってどういう……って早ッ!?」
霧島は突如ぷいっと顔を背けたかと思うと、そのまま身体の向きを反転させてたったかたーと校舎の方へ走り出す。呼び止めようと思ったときにはもう、彼女の背中は点のように小さくなっていた。
えっ、逃げられた?
あっという間に遠ざかっていった霧島の背中を眺め、呆気に取られる僕はただただその場に立ち尽くしていた。
春のそよ風が頬を撫でる。身体の熱を攫っていく涼しげな風は心地よかったが、対象的に僕の胸の中にはもやもやとした困惑の感情が渦巻いていた。
あっ、そうだ。そういえばあいつ、あんなに熱心に掲示板を凝視して一体何を見ていたんだろうか?
そう霧島が見つめていた一枚の紙を覗き込んで内容を確認する。するとそれは、これまた見覚えのある内容の新聞であった。
「これは……第二回の図書新聞?」
霧島はなぜこの新聞を眺めていたのだろう。
腑に落ちない気持ちをひとまずしまい込み、僕は午後の授業に臨んだのだった。
★
どんな朝日もいずれは沈む。
この母なる地球には朝が必ず存在するように、夜もまた存在する。それと同じように、どんな日であろうとも学校があれば放課後がある。
そして放課後があれば、放課後に存在する暫定生徒会もまた存在する。
放課後。やはり今日も僕は旧校舎の階段を上らされていた。
怪しい部活や生徒会の看板が立ち並ぶ中を抜けて、やがて三階の旧生徒会室にたどり着き、若干躊躇しながらも扉を開く。やはり今日も鏡野柚葉はそこにいた。
鏡野はいつもの上等な椅子の上に座り何やら手元の紙をいじっている。
「やぁ遅かったね塩江君。今日も元気そうで何よりだ」
「お前はいつも早すぎんだよ。てか何やってんだそれ」
「これかい? 折り紙だよ。先程旧校舎倉庫の掃除を手伝っていたらたまたま出てきてね。どうせやることもないので持ってきた。君も作るかい? 紙飛行機」
僕の胸にどこからか紙飛行機がひゅっと飛んでくる。見ればそれは鏡野が飛ばしたものらしかった。人に紙飛行機を飛ばすな人に。
「相変わらずお前は暇なんだな……」
「それは君もおあいこだろう。ん?」
「まぁ、それもそうなんだけど……ってか、そういや霧島はまだ来てないのか」
僕は不意にこの部活(部活ではない)の新メンバーのことを思い出し、部屋の中を見回す。
だがどこにも少女の姿はない。どうやらまだ来ていないようだった。
「霧島君かい? ああ、まだ来てないよ。彼女は一年生だからな、まだ学校にも慣れていないのだろう。少しくらい遅れることはあるだろうさ────と、噂をすればだな」
コンコン。その時旧生徒会室の扉がノックされる。
返事を待たずにガチャリと開けられた扉の向こうには一人の少女が立っていた。
「……こんにちは」
「お、霧島」
相変わらずの無表情に、相変わらずの無機質な声音。そこに立っていたのはつい昨日この暫定生徒会の『書記長』となった少女、霧島だった。
鏡野は霧島を見るとぱぁぁと顔を明るくする。
「おお、霧島君! 待っていたよ。さ、中へ入りたまえ」
「はい、お邪魔します」
律儀にぺこりと頭を下げると霧島は教室の中へ入ってくる。
だが────どこか様子がおかしい。
自分の席であるパイプ椅子を横切って、霧島はずんずんと奥へ向かっていく。
その足取りは力強く、一切の迷いが無かった。
「ほへ?」
まっすぐに自分のもとへと向かってくる霧島に鏡野がアホみたいな声を出す。
霧島は一直線に鏡野へ歩み寄っていった。そして、鏡野が腰掛ける椅子の前に設置された机まで到着すると、そこで鏡野を見下ろす。
「……き、霧島君? 何かな、私に話したいことでも……」
予想外の行動にビビって声を震わせている鏡野を、霧島はじーっと見下し続ける。
な、なんだどうした? 霧島が変だぞ。
僕が立ち上がろうとすると霧島は鏡野から視線を外し、机の上に置かれていた白い封筒を手に取って眺めた。
『入部届』と書かれたそれは、他でもない彼女が昨日置いていったものである。
「……」
しばし教室に静寂が満ちる。が、霧島がやがて「昨日の件ですが」と切り出した。
無言で続きを促す僕たちに彼女は続ける。
「────すみません、やっぱり気が変わりました。取り消させてください」
────そして、霧島は僕たちの目の前で入部届を盛大にビリビリと破り捨てた。
舞い散る紙吹雪。
広がる沈黙。
そして霧島は「失礼しました」と一礼し、教室を後にする。
「……へっ?」
鏡野の気の抜けた声だけが、霧島の去った後の旧生徒会室に響いた。
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