達成度2:はじめてのタイムリープ

 ────ずっと、高校生になれば勝手に青春が始まるのだと思っていた。


 青春とは誰にでも平等に、そして確実に訪れる確定イベントなのだと、そう思い込んでいた。


 憧れの高校生になりさえすれば、きっとこんな僕にも彼女ができる。きっとこんな僕にも輝かしい漫画やアニメで観たような未来が待っているんだ、そう思っていたのだ。


 だから高校に入学したあの日のことは忘れもしない。

 やや大きめのサイズの、少し着づらい新品の制服に身を包み、僕はこれから始まるであろう笑いあり涙あり感動ありのアオハルスクールライフに胸が期待で一杯だった。


 気分はさながら映画の主演、ワクワクが抑えきれないあまりまだ中学生だった妹に「僕、今日から高校生なんだぜ」とドヤ顔で制服を見せびらかし、その結果「あっそ、今お天気予報見てるからじゃあね」と今日のお空の晴れ模様以下のぞんざいな扱いをされたことも忘れられないが、今ではいい思い出だ。


 いや、そんなにいい思い出じゃないな。あいつ許さないからな。


 ともかく、高校生になる前の僕は青春にそんな憧れを抱いていたわけだ。


 だが────そんな僕の幻想が単なる思い込みに過ぎないとようやく気づけたのは、卒業を間近に控えた二月の中頃だった。


「……」


 時、すでに遅し。気づいた時にはもう、僕にできることは何もなかった。


 気づくのが遅すぎたのである。青春とは誰にでも訪れるものではないのだ、と。お前はアニメはゲームの主人公でも映画の主演でも何者でもないのだ、と。


 そして三月一日、めでたく僕は私立柊ヶ丘学院高等学校────柊ヶ丘高校を卒業した。


 彼女、ゼロ。親友、なし。部活、無所属。


 人生においてもっともと言っても過言ではないほど重要であろう、貴重な三年間の高校生活を、気づけば僕はゲームに捧げてしまっていた。


「……」


 後に残ったのは膨大な量のセーブデータ(実績コンプ済み)と山積みになったパッケージ、それから僕以外のクラスメイト達の楽しそうな写真が収められた卒業アルバム。

 これだけ。


 ちなみに卒業アルバムの寄せ書きページには白紙だった僕を哀れんでペンを取ってくれた担任の教師のメッセージだけが左端にちょこんと書いてある。


「塩江君、卒業おめでとうございます!」


 ……先生ありがとう。でも、その優しさが悲しいです。なんだろうな、むしろ白紙の方が傷つかずに済んだような気がする。あとそれだけしか書くことなかったんですか?


「……」


 まあ、そういうわけで。友達や彼女を自分から作ろうともせず、いつかは青春が勝手に始まるだろうとあぐらをかき続けて自堕落に暮らすこと三年。


 その結果としてこの世界に降臨してしまった半分ニートみたいなぼっちの元高校生こそがこの僕、塩江葵である。


 ふとカレンダーを見る。今日は三月十一日、春休み真っ最中で予定はなし。


 ちなみに明日も明後日も明明後日も予定はなし。別にカレンダーを確認する必要もなかった。半ニートでぼっちでほぼ引きこもりの僕って一体……。


 一応卒業後の進路は決まっていて、四月からは少し遠くの大学に進学する予定なのだが、この春休みの間は特にすることもない。


 だから僕は今日も一人、キーボードをカチカチ叩いてPCの画面を眺めていた。


「……」


 部屋の中にはキーボードを叩く音とPCのファンの音、それからプレイ中の恋愛ゲームのBGMだけが延々と響いている。


 画面の向こう側では今さっきトゥルーエンドに到達したヒロインのスチルが表示されていて、やがてエンディングが流れ始めた。


「おっ……終わりか」


 作中一の清楚系ヒロイン。正妻である彼女となんだかんだありつつも結ばれてのハッピーエンド。ありがちだけど王道だからこその良さというか、安心感がある。


 うんうん、やっぱり恋愛ゲームの正規√はこうでなきゃな。

 ヒロインが歌う感動的なキャラソンとともに流れるスタッフロールを最後まで観終えると、僕はほのかな満足感とともにPCの電源を落とす。


 そうして真っ暗になった部屋で、リクライニング式の椅子を倒して寝転ぶと、


「ふぅ……いい作品だったなぁ。このヒロインはまさにメインヒロイン! って感じのメインヒロインだったからな、色々あったけど最終的に結ばれて満足満足」


 天井を眺め、誰ともなしに呟いた。誰かが聞いてくれているわけではないのはわかっている。それでもこの余韻に少しでも浸りたかった。


「やっぱ良いよなぁ……青春ってさ」


 甘酸っぱい恋愛に、暑苦しいくらいの友情。

 うまく言えないけどこう、キラキラしてるよな。


 僕にはもう、無いけれど。

 僕はもう、遅すぎるのだけれど。


 けれどもやっぱり、夢を抱かずにはいられないのだ。

 もしかしたら、もしかしたら僕にも、あんな青春があったのかもしれないと、思ってしまうのだ。


 あんな感じの清楚で一途なヒロインと一緒に波乱万丈の学園生活を送る、とか。

 部活に入って、仲間とともに大会で優勝を目指す、とか。


 フィクションの中にしか存在しないおとぎ話なのかもしれないが、それでも後悔と妄想は止まらない。


 ────ああ、神様。


 もしこの世に神様がいるのなら、今度はうまくやると誓ってみせる。二度目の青春をもし与えられたのなら、次は真っ当な青春を手に入れてみせる。

 だから、もう一度チャンスをくれないだろうか。


「あーあ……次起きたら二年前あたりにタイムリープしてたりしねぇかな……」


 寝転んでいたせいか、天井を眺めていたらあくびが出てきた。


 思えば最近はまともに寝ていない。仕方ない、まだ寝るにはあまりにも早い時間だが、ちょっとだけ仮眠を摂ることにするか……。


 おやすみなさい、世界。


 二度目のあくびとともに、一気に僕の意識は微睡みの底へと沈んでいった。


 ★


「……さん」


 ぐらぐらと身体を揺さぶられて、ゆっくりと意識が鮮明になっていく。何者かの声が遠く響き、叫んでいるのが聞こえてくる。


 誰、だ? 誰かが僕を、揺り起こしているのか? 一体誰が。


「……さん。……いさん。……兄さん!!」


「……んぁ?」


 目を開けて最初に飛び込んできたのは一つ下の妹の姿だった。僕と同じ柊ヶ丘高校の制服を着た妹は、僕を見下ろすようにしてドアの前に立っていた。


「……お前、なんでここにいるんだ?」


 妹に起こされたのは何年ぶりだろう。ざっと計算して、二年ぶりか。


 歳の近い妹ほど厄介な存在はいない。

 ちょうどそのくらいの時期に、僕と妹は些細なことで喧嘩をした。それから毎朝僕を起こしに来てくれていた妹は来なくなって、僕たち兄妹の関係は会話も数ヶ月レベルでないような疎遠になっていたというのに。


 その妹が、今さら僕に何の用なのか。


「さっさと起きなさいと兄さん、遅刻するわよ」


「……は? お前、それはアレか? 皮肉かなんなのか? 僕への」


 部屋の中は陽の光が差し込んでいて明るくなっていた。どうやら朝になっているらしい。

 が、僕は今日も明日も春休み中はニートである。朝に叩き起こされる理由はない。


「はぁ? 兄さん、ついにおかしくなってしまったのかしら。いえ、おかしいのは元からだったけれど」


 信じられないといった表情で僕を見る妹。うるせーよ、余計なお世話だよ。と思いつつ、こんなやり取りも随分と久しぶりだな、と思う。


「新学期始まって早々遅刻未遂だなんてありえない……まったく親の顔が見てみたいわ」


「それはお前の父さんと母さんの顔面だぞ……って待て。今、なんて言った?」


「まったく親の顔が見てみたいわ」


「違う、そっちじゃない!  その前だ」


「……? 本当におかしくなっちゃったの? 新学期始まって早々遅刻未遂だなんてありえない、って」


「え?」


「は?」


 呆気に取られる僕と、そんな僕を呆れたように見る妹。そのまま沈黙が場に流れ────、


「ちょっと待て、聞くが妹よ……僕は今、いくつなんだ?」


「……え、冗談抜きで大丈夫?」


「いいから! 頼む、教えてくれ。僕は今いくつなんだ?」


 僕の推測が正しければ。いいや、コレは推測ですらない。推測と呼べるほど根拠のある考えじゃない。


 ただの予感、あるいは願望に過ぎないが。


 僕は今、十八歳だ。

 もしこの世界が、僕のいた世界と全く同じであれば、の話だが。


「はぁ……何を言っているのよ。兄さんは今────」


 妹はゆるゆると首を横に振る。そして、言った。


「────十六歳、でしょ?」


 こうして僕、塩江葵は摩訶不思議なことに高校二年生の春にタイムリープした。

 人生二度目の青春が始まったのは、突然だった。

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