第4話
―― なんだここは、なんだこれは!!!
本日何度目かの叫びたい気持ちをグッと抑えカタリナは案内された席に座る。
目に入るどれもが見た事の無いものばかり、しかしそれでもそれらの品々は一級品だとカタリナは判断していた。
部屋の隅で小さな音を立てながら煙を立てている箱、所々に飾られた工芸品や色とりどりのガラスのボトル、それらを飾っている棚ですら注意して見なければ浮いているのかと勘違いしてしまいそうなガラス製だ。微かに届く香りも社交界で嗅ぐ嫌な香水の匂いとは違い上品な香り、何より驚いたのが部屋の明るさ、照明の魔道具が所狭しと設置されており煌々と部屋中を照らしている。この狭い空間一つで王都で屋敷が立つのではないか、目に見えるものだけでそうなのだ、どれだけの価値があるのか分からないとカタリナは小さく頭を振った。
「すいません、こちらに記入をお願いします」
「記入していただけるところだけでいいので」と渡された板には一枚の紙が挟まれており、滑らかな紙は上等品であることが理解でき、その紙には見事に統一された文字で名前や生年月日、職業等が書かれていた。
「こちらお使いください。それと記入いただけてる間にお飲み物ご用意いたしますか、温かいものと冷たいものどちらが」
「あっあぁ、温かいもので」
「では、少々お待ちください」
渡されたペンを数度握り感触を確かめる。インク壺は見当たらず、もしやと思いそのままカタリナは名前と書かれた欄にペン先を置く。
「なっ!」
思わずカタリナは小さく感嘆の声を上げた、それほどまでに書き心地がいいのだ。
平時であれば伯爵家当主であるカタリナは剣を握っている時間よりもペンを握っている時間が長い日などざらだ、そんなカタリナだからこそペンの書き心地に、インク壺に浸けずに書ける事に感動したのだった。
名前だけでいいかと思っていたが思わず筆がのってしまい、「お待たせしました」と声をかけられハッとした。
「これぐらいでかまわないか」
「ありがとうございます。拝見させていただきます」
カタリナの机を挟んだ対面に座り記入された用紙に目を落とし、カタリナは橘が容易した飲み物に目を落とす。ガラスで出来たカップの中には薔薇の花が浮かんおり、一瞬カタリナの手が止まる。
ローゼンクロイツ家を象徴する花、それを加工したお茶、場合によってはそれを出すのは「ローゼンクロイツ家を呑みこむ」と言う意味にも捉えかねない。
――考えすぎか……
小さく頭を横に振るとカップを持ち上げる。
透明度の高いガラスとその加工技術に諦めに似た驚きを覚えながら口に運ぶ。若干の苦みと柔らかな甘み、小さく息を吐けば豊かな薔薇の香りが鼻を抜ける。それに思わずカタリナはもう一口口に運ぶとその香りを楽しむ様に瞳を閉じる。まるでローゼンクロイツ家の薔薇園を思わせる香りに、どこからか聞こえる豊かな音色にひと時の安らぎを覚える。
―― お茶だけでなく、この音楽も素晴らしい……はっ?
そこで気が付くどこからこの音楽が聞こえるのかと、聞こえてくる音楽は一種類の楽器の音色だけではないのだ。
伺うように橘の姿を見るといまだに書類に目を向けており、軽く咳ばらいをすると橘はカタリナに視線を向ける。
「お口に合いました?」
人好きのする笑顔をみせる橘、カタリナはもう一度カップを口に運び「あぁ、とてもいい香りだ」と答える。
「この聞こえる音楽は……」
カタリナの問いに橘は視線を上にあげ、音楽に耳を澄ませた。
「今流れてるのはドビュッシーの『月の光』ですね」
「月の光…… そっそうか、月の光か」
美しいピアノの旋律、穏やかな夜を思わせる曲に口を閉じかけてしまったカタリナ。
「違う、違うくはないのだが、その演奏されている方々はどこに見えるのだ?」
カタリナの質問に橘は一瞬動きを止めたが何かに気が付いたようにカタリナの問いに答える。
「演奏されている方たちはこちらにはいません。なんと説明させていただけばいいか分かりませんが、そうですね…… 演奏を記憶する道具がありまして、その記憶した演奏を今流しているといった感じと思っていただければ」
「そんな道具が……」
―― そんな道具があれば
頭に浮かぶのはどれほど情報の伝達が楽になるかといった事、それは領地経営だけでなく社交界での言質の記録や作戦の。
そこまで考えカタリナは頭を振り、諦めた様に息をはく。
―― 無粋な事は考えず、今は……
「落ち着かれましたか」
「うむ、すまないな」
「いえいえ、では始めさせていただく前にお願いがございます」
「なんだ」
「はい、まず…… ローゼンクロイツ様は貴族の方とお見受けしますが」
「あぁ、伯爵位を頂いている」
「伯爵様ですか…… 申し訳ありませんが、不勉強の為、マナーやルールに反する事があるかもしれませんがご了承ください。次に……」
橘の残りのお願いを要約するとここには武具の持ち込みが出来ない事。他者に対し危害を加える行為を行った場合は強制的に退店させられ、二度と扉は開く事はない事。そしてここでは貴賤卑賎はなく平等にお客様であるという事であった。
橘の様子を見れば、言葉使いに気を使っていることが理解できるし、わざと不快になるような態度を取るようには思えなかった。
手に握っていたはずのセクエンスが手元から消えている理由も理解し、その他も橘の説明で納得しカタリナはそのどれもに了承した。しかし最後に一つだけ加えられた身体に触れる事を許して欲しいというのは少しだけ気恥ずかしさを覚えてしまった。
「ありがとうございます。本日は初回ですので少しお時間いただきますが、はじめさせていただきます」
そう言って橘はカタリナの手を取ったのだった。
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