ちんこの、ちょっといい話

「起立っ」

「礼」

「ちゃくせーき」

 日直が号令をかけると、起立していた児童が一斉に礼をし、そして着席した。教壇の上では、いつもながらの整然な動きに満足した女教師が、柔和な表情で微笑む。昼食を終えて午後最初の授業が始まった。科目は道徳である。

「はい、ちんこ」

 四年三組担任の教師西沢久美は、ちんこに執着していた。人々からは、ちんこ先生と呼ばれている。

「ええーと、じゃあ道徳の時間だけど、みんな、どうしようっか」

「先生」

 学級委員長である佐々木里奈が手をあげた。

「はいどうしました、ちんこ委員長」

「漢字の練習をしたほうがいいと思います。それと、わたしはちんこ委員長ではありません。この前の参観日に、お母さんの前で先生にちんこ委員長って言われて、家に帰って怒られました」

「おい佐々木、ふざけんなよ。よけいなこと言うなよ、ちび、サル」

「そうだよ。面白い話のほうがいいに決まってるじゃんか。泣かすぞ、ゴラア」

「漢字の書き取りとか、ぜってい、イヤっす」

 学級委員長の提案は極めて不評だった。男子連中から、いい子ぶるなとか、おまえの父ちゃんのちんこ黒カビだらけとか、散々に言われてしまった。

「お父さんのちんこ、黒くないもん。ぜったい違うもん」

 委員長は顔を真っ赤にして反論するが、言い訳すればするほど彼女の父親のちんこは黒いこととなった。しまいには泣き出してしまい、なだめる隣席の女子に、お父さんのちんこは黒くないのよ、と涙ながらに訴えていた。

「ハイハ~イ。ちんこちんこ、みんな静かにするんだよ」

 西沢先生の十八番は、ちんこに関するお話である。その奇抜なお題目は児童たちの食いつきが良かった。

「先生ね、今日はちんこのお話がしたい気分だなあ」

 そう言ってから、クラスの反応を待っていた。  

「先生、ちんこの話してよー」

「そうだよ、今日はぜったい、ちんこだよ」

「ちんこしかないっしょ」

「ちんこだあ」

 四年三組の教室は、ちんこの大合唱だった。

「もう、しょうがなわいねえ。この子たちのちんこ好きには困ったわ」と、担任はさも困惑しているといった表情だった。もちろん、彼女自身がちんこの話をしたくて仕方ないのだが。

「みんな静かにっ。騒いだら、ちんこの話はナシにするからね。ちんこちんこ」

 教壇に立つ女教師に、子供たちの熱いまなざしが集中する。これほどまでに慕われているのは教育者冥利に尽きる、小学校の教師をやっていて本当に良かったと、ちんこ先生はしみじみと思うのだった。

「今日のお話はね、団地に住んでいるある男の子のお話です。もちろん、ちんこよ」

 担任教師の意味深なウインクに、児童たちはもうメロメロだ。

「うわあ、きょうは団地ちんこだーっ」

「団地のちんこ、ハンパないわ」

「きたでしょう、これ。キター」

「good,very サンキュー、ちんこ、アルティメイト」

 児童たちの大きなざわめきが徐々に小さくなってゆく。完全にフェードアウトした瞬間を、女教師は見逃さなかった。

「では、お話を始めますよ。は~い、ちんこちんこ」

 こうして、儚くも楽しい団地のちんこ物語が始まった。そして、三十分が経過した。

「とさ。めでたしめでたし」

 西沢先生のお話が終わった。一瞬の静寂のあと、教室にはため息と感嘆が吐き出された。

「やっぱ、ちんこってすげえよな」

「うん。だってちんこがなかったら、雄太君はずっと寒いとこで寝なきゃいけないもん」

「おれのちんこにも住めないかなあ」

「ちんこって、困った人を助けるんだよ。男子っていいね」

 四年三組は ちんこの物語を復習するように話し合っていた。その議論はなかなかに真剣であって、徐々に室温が上がっていった。ちんこに対する感謝と憧憬が混ざり合って、えも言われぬ雰囲気がクラスを一体なものとしていた。  

 道徳の課題に教え子たちが真摯に向き合っていることに満足した西沢先生は、教壇からしばし様子を眺めたあと後ろ向きになった。上半身だけ180度ねじり回して正面を向く。右目にピースサインの指をかざしてポーズをキメた。そして最後に、お約束の言葉を口にするのだった。

「ちんこ」

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